第61話 町の人外の人

山下が町の人になった。


離れの二階に住んで、洗濯機だけ私の家に借りに来る。もし私が同じ目に遭ったら、そんな面倒な生活絶対にしたくない。早々に次の仕事を探して、自分だけの家を見つけ、プライベートな時間と場所、自由に使えるお金を確保したいと思うに違いない。山下は家に固執していないのか、その根幹がふにゃふにゃしている。少し、本音を言わせてもらえるなら、洗濯機をいつまでも借りに来られるのも困る。


「どうするの?これから。」

と尋ねても、あまり心に響かないようで、機嫌よく店のカウンターで食器を洗って、ホットサンドを焼いている。離れに持ち込めなかった大量の衣類は箱詰めされたまま、農家のおっちゃんに任せて納屋に置いてもらっている。簡単な部屋着と外出着、店に出る時の服と肌着。そんなシンプルな物だけで上手く暮らしていた。その姿がとてものびのびしているように見えて、ずっとここにいさせてもいいかなという気持ちが芽を出してしまう。それは絶対に本人のために良くない。これじゃあ、働いていないわけではないけど、不安定すぎる。


「おはよう。」

おばあちゃんが朝から寄ってくれる。山下が町の人になったのを一番喜んでくれたのは彼女だった。

「おはよう、もう出勤時間だから行くけど、ゆっくりしていってね。」

カウンターで朝食を食べながら少しお話をする。


遠くの親戚より近くの他人とはよく言ったものだ。こんなことを言ったら怒られて強制帰宅させられそうだが、実の親よりおばあちゃんに今の私は心を寄せている。山下もおばあちゃんが大好きで、顔を見ない日があると心配して家を訪れ、そのまま上がり込んで食事や風呂を済ませて帰ってくる。ひどい時は帰ってこない。年齢的におばあちゃんと呼ぶけど、私や山下にとってお母さんのような存在だ。私の母親と同じくらいの世代のはず。山下は離れに住むようになってから、おばあちゃんのことを「町のかあちゃん。」と言い出し、いつしか「母ちゃん」と呼ぶようになった。

私たちを本当の子供のように可愛がってくれる彼女は、そう呼ばれることを心から喜んでくれる。山下の心が癒える時、自然と周囲も幸せになっていく。


「この歳になると、どんどん出来ることが少なくなってくるのよ。」

テーブルの紙ナプキンで器用に鶴を折りながら言う。

「ほんとなら悲しくなっちゃうところだけど、さつきちゃんたちが来てくれてから、何かが変わった気がする。毎日が明るくて楽しいわ。」

「母ちゃん、何しんみりしてるんだ?トースト焼けたぞ。一緒に食べよう。食べ終わったら、ちょっと料理教えて。その後は母ちゃんとこ行って掃除するからな。」


山下は、おばあちゃんのところへ遊びに行っているだけではなかった。車で買い物に付き合い、部屋の掃除をする。高齢女性の一人暮らしではどうしようもなく、諦めていた部分を山下が埋めていった。手の届かない棚の片づけや、行き届かなかった風呂掃除。重い物のまとめ買い。その行為はおばあちゃんの心の隙間も埋めていった。私たちがおばあちゃんを親と思うように彼女も私たちを子供のように可愛がってくれる。


「出来ることは何でもしてあげたい。」

そう何度も繰り返し、晩御飯を作ってくれる。携帯電話を持っていないから、

「今日は、うちに食べにおいで。」の一言を店まで言いに来ることもある。自宅の電話とスマホが繋がることがピンとこないらしい。かわいい。そしてありがたい。私も山下も出来ることは何でもしてあげようと自然に思い、体が動く。


おばあちゃんがお母さんなら、親方は兄貴といったところか。ご近所全体が家族。そんな環境が幸せだ。山下の鬱が息を潜めているのと同じで、私の適応障害も家に帰ると症状が出ない。会社にいる間も帰ってからどんなふうに過ごそうと考えれば、苦痛が和らぐ。


「さつきちゃんも山下君もお薬に頼らずに暮らせるようになるといいわね。」

そう微笑みかけてくれるおばあちゃんが一番心に効く薬かもしれない。

「行ってきます。おばあちゃん、今日仕事終わったら泊まりに行ってもいい?」

「いつでもおいで。晩御飯作って待ってるからね。山下君も一緒に来て。たまには大きいお風呂に入りなさいな。」

今日は二人でおばあちゃんの家に泊まることになった。帰宅後の楽しみがあると、上司や部下の嫌がらせもさほど気にならない。


おばあちゃんの一言で今日一日を乗り越えられる気がする。

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