第59話 間借り

お金にものを言わせて、山下は何でもすることができた。残念なのは、お金があっても判断力や決断力、行動力や常識が乏しいところ。よく言えば子供っぽい。不動産屋から退去するよう命じられても、何から着手していいのかさっぱり分からない様子だった。


「とにかく引っ越し屋さんを手配しないと。」

引っ越し先が決まっていないのに、引っ越さなければならない日にちは決まっている。広いマンションに見合った大きくて高価な家具や家電の数々は運び出した後、どこへ移動してもらえばいいのだろう。私も頭を抱えた。力になれるとは思えない。自宅で預かれるような物ではない。これはイメージだけど、服だけでも相当な量を持っていそうだ。テレビで服や靴を置くだけのための部屋を家に備えている芸能人を見たことがある。全員がそうではないだろうけれど、山下もきっと荷物が多いはず。


引っ越し屋さんは簡単に手配が済む。お金さえ払えば何時間かけてでも梱包からやってくれる。やってはくれるが、それは引っ越し先があること前提だ。それが見つからないなら荷物を置く場所を間借りしなければならない。引っ越し先ががない転居者の住民票はどうなるんだろう。可能なら次の家を見つけた方がいい。山下の思考回路はショートしてぼんやりしていた。


「あんた、自分のことなんだからね。」

つい語気が荒くなってしまう。いつもと違う空気を察してもみじが部屋の隅に隠れる。気が付くと、どうしようと何をすればいいんだろうを繰り返し口にしている。言葉が出るだけで一つも体を動かさない山下に、私は心配しながらもいら立ちを感じていた。今日は店のBGMが大きく聞こえる。


「あれ?どうした?」

元気に入ってきた親方が張り詰めた空気に戸惑う。

「いやぁ。」どこから話していいのか、そもそも話していいことなのか分からず、口ごもってしまう。

「親方、俺強制退去なんだって。」

とても短い言葉で、そして他人事のように、張り詰めた空気の原因を山下が説明した。


「なんだそれ?」

事の次第を私も加わって、説明する。出来るだけさらっと。町の人に山下が愛されているのを分かっているから、なるべく心配かけないように。

「へぇ、それでどうすんだ、清。こっちへ引っ越してくるのか?」

山下がこの町の住人になるという未来が私の中にはなく、親方の言葉に驚いた。

「家を探すにも、手続きとかよく分からなくてさ。」


「そうか、いろいろ大変だな。とりあえず仕事行くわな。」

大きな保温できる弁当箱を肩から下げて、コーヒーを飲み終えた親方は少し深刻な表情をして、名残惜しそうに軽トラで去っていった。また静かな時間が流れる。

「店、頼む。家に戻るから。無理そうなら閉めていいからね。」

大切なバディのはずなのに、一緒にいることが苦しくなって、私は自室へ戻った。

助けてあげたい気持ちはあるけど、自分の落ち度で引き起こしたことに対して、あまりにも無責任すぎる。その態度にがっかりしていた。


自宅のソファでコーヒーを飲む。

来客を想定していない、二人掛けのシンプルなソファと大きめのテレビ。コンパクトだけど、いい音がするステレオ。自分だけの時間。コーヒーの香りに包まれて、心が穏やかになっていく。


一口飲んだところで携帯が鳴り、現実に引き戻される。電源を切っておくべきだったと、後悔しながら画面を見ると山下だった。

「ちょっと、来て。」その声は申し訳なさそうで、とても小さい。今、私の時間が始まったばかりなのに。苛立ちは最高潮に達していた。

「何?」不愛想だし、つっけんどん。我ながら困っている人に対してずいぶんな態度だと思うが、もうどうしようもない。


「親方が戻ってきた。」

その一言で、私はリビングのカーテンを開けた。

確かにさっき出発した軽トラが同じところにまた停められている。現場で何かあったんだろうか。店に戻ると、親方は一人の男性と一緒だった。私たちもよく知っている、近所の農家さんだ。おばあちゃんに紹介してもらって、いろいろなことを教わっている。もちろん、店の常連さんでもある。


「どうしたの?」

「とりあえず、納屋片づけとくからな。」

農家のおっちゃんが満面の笑顔で言った。

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