第57話 離れの二階

山下が芸能活動を辞め、ついに喫茶店の従業員になった。


店には往年のファンが遠路はるばる訪れる。そんな人達のどの程度が固定客になってくれるのか。正直、望みは薄いと思っている。山下も同じ思いなのか、ファンだと名乗った人や、遠くから来たと言う人には、快く写真撮影に応じ、いつまでもお喋りをした。通ってくれる人の名前を覚え(これが一番相手を喜ばせる)、

「いらっしゃいませ」ではなく町の人同様「お帰り」と出迎える。


今まで楽しんでやってきたことが、生活のための義務となった。必死で売り上げを出さなければならない。私は日々胃痛に悩まされるようになる。売り上げの中から光熱費を支払い、材料を仕入れ、山下に給料を出す。残りが純利益、すなわち私の収入になるわけだが、収入だけを考えれば、どこかでアルバイトをした方が効率がいいのではないかと不安になるほど、資金繰りは大変な仕事だった。


ずっと店に出ていたい気持ちを持ちながら、会社勤めを続けるしかなかった。逆に山下はお気楽に毎日店を営業した。

不定休、営業時間も不定で一般家庭の敷地内にある、ミステリアスな喫茶店。

「夜に灯りが消えていても電話してね。」

山下は町の人にそんな風に伝えて、離れの二階に寝泊まりをし続けた。店の掃除はいつもきれいに行き届いており、ほろ酔いで夜に親方が電話をかけてきても、風呂やトイレにでも入っていない限り、店を開けて嬉しそうに出迎える。

母屋の私がイビキをかいて寝ている時間にゆかいなコーヒーブレイクをしていたことを、翌日知らされる。


「体、大丈夫?」

出勤前に、店をのぞいて初めて夜中まで営業してしまったと聞かされると、さすがに心配になる。

「全然問題なし。昔は二日間睡眠時間が取れないとか、1ヶ月休みがないとか、当たり前だったから。むしろありがたいほど休ませてもらってる。」

私も山下も体力には自信がある方だが、何ぶん歳を重ねてきた。

「無理しないでね。」といいつつ、店を任せて出勤。私とすれ違いでおばあちゃんが入ってくる。

「行ってきます!」

「さつきちゃん、気を付けてね。夕方また来るからお話しよう。」

笑顔で見送ってくれる。腕に大きめのビニール袋を提げているのは、また野菜でももってきてくれたんだろうか。


早く帰ろう。そう思える家に暮らせているのが本当に幸せだ。


山下はあれだけ言ったのに、客間にわりと居座った。

時々家に戻って洗濯をして、着替えを持ってくる。しまいにベッドメイクも掃除もちゃんと自分でするからと、勝手に洗い替えのリネンと掃除機を買った。立派な自宅があるのに、なぜこんなに10畳一間で居心地よさそうにしているんだろう。そう思わなくもないが、山下が幸せそうにしてくれているなら、それでよしとしよう。他にも友達がいると見栄を張って言ってみたものの、今のところ、訪ねてくる人もいない。


食事と部屋がある環境で、バイトみたいなお給料しか出せなくても、山下は気持ちよく働き、暮らしていた。


ある日、突然不動屋さんから連絡が入る。




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