第56話 居候

「何これ?俺が来ない間に店が二階建てになってる。」

離れに作った客間は、最終公演の後、事務的な手続きを終え普通のおっさんになって戻ってきた山下を驚かせた。


「見てきなよ。」

言い終わらないうちに階段を駆け上がる。もみじもそれに続く。山下に会えることが嬉しすぎて尻尾が回転している。


「え?部屋じゃん。ホテルみたいだ。」

山下は、2階に客席を増やしたと想像していたようで、突然現れたシャワールームと寝室に驚いていた。ホテルの一室のように生活感があまりなく、それでいて快適に過ごせるようにと熟考して決めた間取りや家具。改めて言葉で表現されると達成感が増す。泊まってもらわないことには使い勝手がいいのか分からないのだが。


「山下が遅くまでいる日が多くなってきたから、客間を作った。こっちで仕事して自宅に戻るのが億劫だったら使って。食事は店のキッチンで好きに作ったらいいし。」

淡々と話す私と真逆で、山下は盛大に混乱していた。

「いや、ありがたい。けど、メイ。」

恐らく、どのくらいお金がかかったのか、それが私の生活に負担になっていないかを心配している。

「あんただけのための部屋じゃないから。居座らないようにね。私の友達は山下だけじゃない。」

やっと嬉しそうな顔をする。


「よーし、働くぞ!」

私が珈琲豆の在庫を確認し、山下がエプロンをすると、早速大工さんたちが入ってくる。

「清!戻ってきたか。ステージよかったぞ。なんか難しかったけどな。」

ミュージカルなんて、今までもこれからも縁のない親方らしい感想に、みんなが笑う。もうあの日から1週間以上が経っているのに、公演を観た町の人たちは未だ余韻に浸っている状態だ。山下本人が一番あっさりしている。

「親方、ありがとう。」

お決まりのサンドイッチとホットコーヒーをカウンターに並べる。

若い大工さんが口々に舞台の感想を話し始める。舞台そのものも素晴らしかったけど、何よりその感想を出演者本人に自分の口で伝えられるのが、普通ではなかなかあり得ないことで、大工さんたちの気持ちを高揚させていた。


「みんなありがとね。いや、親方。それももちろんなんだけど、俺がお礼言いたかったのは。」天井を指さす。

「すげー、いい部屋作ってもらった。」

「そっちかい。」

関西のお笑い芸人のような突っ込みが入り、また笑い声が響く。

たくさんの笑顔に包まれた休憩処もみじ。初めは笹船のように不安定だったけど、船も船長もそして船員も少しずつ少しずつ強くなった。これからもたくさん迷うし、回り道もするだろうけど、後戻りだけはしない。


大工さんたちを見送るために二人で外に出ると、通学途中の藍ちゃんが手を振っている。

「おはよう。気を付けて行ってらっしゃい。」手を振り返す。

「お、藍。今から学校か。乗ってくか。」

親方と二言三言交わして、藍ちゃんは軽トラに乗り込んでいった。

いじめられて学校に行きたくないと泣いていた日が嘘のようだ。


心が温かい。会社を辞めて店一本で生きていけないかどうかを真剣に考える時間が、今までより長くなってきた。




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