第55話 陣中見舞い
楽屋に寄りたいけど、寄りたくない。町のみんなは初めての楽屋を楽しみにしている。案内係の私が尻込みしている場合ではなかった。
「関係者以外立ち入り禁止」という大きな張り紙が貼られたドアを開けると、殺風景な廊下があり、規則正しくドアが並んでいる。年寄りや子供を連れた集団が、関係者専用の扉からぞろぞろ入っていく姿を他のお客さん達が不審そうに見ている。一歩舞台裏に足を踏み入れると無機質な廊下には装置の一部が雑に置かれ、ステージの華やかさは微塵もない。
たくさんのドアの中から「西園寺亘様」と書かれた扉を探す。初めての楽屋訪問、藍ちゃんが仔犬のように走り回り、あっという間に山下の楽屋を見つけてきた。
「さつきさん、ここだ!」
ノックするのと同時に中から笑い声が聞こえた。
「どうぞー。」山下のいつもの声。そっとドアを開けると藍ちゃんが飛び込んでいった。部屋にはたくさんのスタッフ、出演者たち。急に子供が入ってきて驚いている。
周りの有名人に全く気付かず、藍ちゃんは山下に駆け寄り、抱き着いた。山下も藍ちゃんを抱きしめる。
「山下さん、すごくかっこよかったよ。」
「そうか、観に来てくれてありがとう。藍ちゃんのおかげで頑張れたぞ。」
芸能人独特のスキンシップが苦手だった。クイズに正解しただけで抱き合っている姿に違和感を感じながらテレビを見ていた。でもそれは山下の存在が生活の一部になってから少しずつ当たり前のことになっていった。山下は順番にみんなと言葉を交わしながらハイタッチをして、最後に私を抱きしめた。ハイタッチをしようとして上げかけた手が痛い。私もハイタッチにしてほしかった。ハグだとなんだか涙が出てしまう。
「メイ、ありがとう。メイのおかげでここまでやってこれた。」
「やめてよ。山下の努力の結晶でしょう。歌もダンスもすごくよかった。」
いつもまっすぐな山下。改めてお礼を言われると照れくさいし、何か特別なことをしたつもりもない。ただ一つ、山下の芸能人人生が終わったという現実が目の前にあるだけ。これから、どうなるんだろう。どうするんだろう。心配と不安で余韻に浸る時間もない。
同じく余韻に浸る暇のない他の役者さんたちが、さっさと着替えて楽屋を出ていく。一つの現場が終われば、また次の現場が待っている。その繰り返し。そこに感動があるのはお客さんだけ。いたってクールに「お先~」と扉を開ける。私が会社から出る時と変わらない。少し落ち着いた藍ちゃんが、
「今、出て行った人、さっき舞台に出てた人だ!!」と騒ぎ出した。
周りにいる人がみんなそうであることに気づく前においとましよう。
山下、今までお疲れ様。すごく大変な世界でよく頑張ってきた。
これからの人生が穏やかで幸せな物であることを願ってやまない。そして、私がその人生に少しでも彩を添えられるように。そんなことをメイクのとれかけた山下の横顔を見ながら思った。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます