第53話 開幕

「なんだって?お前はそんなことも分からないのか?」

舞台俳優のセリフの言い回しは独特だ。そして、本当にマイクが必要なのかと思うような声量。主演俳優が大股で歩いて舞台に登場すると、会場から拍手が沸く。

「そんな言い方しなくてもいいだろう?」共演の俳優さんも声が響く。まだ、どんなストーリーなのかも分からないのに、客席に熱気を感じる。イケメン俳優のパワーはすごい。ファンじゃなくてもきれいな顔をしているなぁと素直に思う。


演劇の魅力、映画との違いって何だろう。

目の前に役者がいるというのが一番の差だと思う。その迫力は他のエンターテインメントとは少し異なる物がある。他のどんな仕事よりも役者としての力が試されるのが舞台なのではないか。コンサートも然り。テレビやラジオで気になったアーティストがいると、私は必ず生で観られる仕事をしている人かどうかを調べる。特に演劇やミュージカルは技量を問われる仕事なのではないかと、素人のくせに勝手に思っている。同じ一発勝負でもテレビの生放送とは全く違う。演技力、表現力、歌唱力、協調性、異なる個性の様々な力が相まって、一つのステージが完成する。そして、同じ公演は一度も存在しない。だから好きな人は何度でも同じ演目を観劇する。


他の役者さんから少し遅れて山下が登場した。

徹底的にボイストレーニングをしたらしい。アイドルの時と違う発声方法がなかなか掴めないとぼやいていた。その歌声は耳を疑うほどの美しさだった。ダンスはもちろんもともと素質がある。ピンと伸ばしたつま先が高く上がる。もったいない。心から思った。まだ輝いていられる。山下さんと連絡を取り続けて、もう一度ステージに戻りたいと言い出した時の道しるべを作っておこう。


「あ、西園寺さんだ、久しぶりに見るね。」

後ろの席の女性がささやいている。その一言が私を現実に戻した。

確かに歌もダンスも素晴らしい。きっと血のにじむような稽古をしたんだろう。でも山下は踊れるし歌えるけど、旬じゃなくなっているんだ。

ステージの端で山下は踊り続けていた。主演のソロパートの時も役になりきって大袈裟に耳を傾けるしぐさをしている。きっと他のお客さんたちには気づかれないだろう全力の演技。私たちはしっかり観ていた。まるで役が憑依している。初めてコンサートに招いてくれた時のことを思い出すと、舞台ではケンカのシーンを演じられているのに私一人涙が止まらなくなった。


殴られ蹴られ、ボロボロになった山下がたった一人でステージにいる。

これからの彼の人生そのものなのではないか?そんな心配をした瞬間、歌い出した。

「起こってもいないことを心配しないで。俺は昔も今もこれからもずっとずっと幸せだ」

歌い踊りながら、山下は私たち一人ひとりと目を合わせた。小さく手を振った藍ちゃんがお母さんにとがめられる。堪えきれずおばあちゃんの手を握ると、おばあちゃんも静かに涙を流していた。


ドラマでも映画でも「涙を誘うシーン」という物がある。今は全くそのシーンではなく、私やおばあちゃんの涙は明らかに場違いで、周囲のお客さんにばれたら不審に思われただろう。なるべく鼻水をすすらないように、なるべく涙を拭かないように、二人で変な気をまわして涙を流し続けた。


舞台監督さんが山下とかつて一緒に仕事をしたことがあるらしい。そのご縁で引退公演を飾るべくソロパートが用意されていた。粋な演出にまんまと涙腺を崩壊させられたわけだ。他のお客さんは何も知らない。主演目当ての女の子たちは山下を知らないかもしれない。


ちゃんと観ないと。ストーリーを味わって気の利いた感想を後で本人に伝えないと。

そう思えば思う程頭が空っぽになっていった。

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