第45話 稽古

私のことを心配しつつ、山下は当分来られない。

タレントとしての最後の仕事、ミュージカルの稽古が始まった。

稽古が始まる遥か以前に、仲間全員分のチケットが届けられた。本来関係者席と言うのは二階席の端や、一階席の後ろに確保されていることが多い。

今回私たちに送られてきたのは、主演俳優のファンクラブにでも入っていない限り取れないような、いい席だった。


山下はもう主役ではない。脇役の中でも脇と言っていい。

本来なら主役の若手ミュージカル俳優のファンたちが座るべき席が、私たちのために確保された。藍ちゃんは大喜びだ。たまに店を訪れては山下に電話をしてくれと、キッチンに無造作に置かれた私のスマホを触り始める。


「稽古中に電話に出られるわけないでしょ。」

さんざんコール音だけを聞かされてがっかりする藍ちゃん。

山下は、休憩中に折り返してきた。

「藍ちゃんが電話くれたのか。ちょっと待って、もう一回かけ直す。」

あっという間に切れた電話がもう一度かかってきた時、テレビ電話に切り替えられていた。山下の笑顔が画面に映っている。


頭にタオルを巻いて、笑って手を振っている。小さな画面でも汗だくなのが分かる。

「やっと、休憩。疲れた~。早くみんなに会いたいなぁ。また一緒にご飯食べような。」


セットや衣装が映り込むとまずいのでと、廊下の隅に座り込んで電話をかけてきている。周りの人がいぶかしげに見ているシーンを想像すると吹き出してしまう。そして、そこまでしてテレビ電話を使う山下の藍ちゃんへの思いにちょっと感動してしまうのも事実。


「山下さん、本番楽しみにしてるからね。ちゃんとセリフも歌もダンスも覚えた?」

「・・・。まだ・・・。」

しっかりした女の子の一言で店内に笑いが起こる。

「あと、誰が来てる?」

「みんな、集まってるよ。」

藍ちゃんがみんなにスマホをバトンリレーすると、一言ずつ言葉を交わした。


「みんな、本番終わったら楽屋に寄って。有名な俳優さんに会えるから。」

「藍は、山下さんのステージが観たいんだよ?他の人は別にいいや。」

山下は言葉を飲んだ。一瞬笑顔が消える。

「藍ちゃん、ありがとう。みんなもありがとう。頑張って稽古するね。」

電話が切れると思った瞬間、それから・・・と山下は続けた。

「メイのこと、よろしく頼む。」

私が息を飲む番だった。

「もちろん、お店も心配しなくて大丈夫だから、しっかり練習するんだよ。」

おばあちゃんが答える。


通話終了。涙開始。病気のせいか、やたら涙もろくなっている。

藍ちゃんがいつものようにカウンターの中に入ってきて洗い物を始める。

「結婚しちゃえばいいのに。」

その一言は、小学生の口から出たとは思えないほどクールで、現実味がなかった。

なのに、いつまでも耳の奥に残る。


結婚?私が?まさかね。


「だって、山下さんはさつきさんのこと大切なんだと思うよ?さつきさんもそうでしょう?私のパパとママもそう。」


恋愛すらしたことのない小学生に言われた一言で私は何を動揺しているんだろう。


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