第40話 復帰

山下が戻ってきた。


周囲も本人も全く変わらない。久しぶりに会えてみんな嬉しいだろうに、

「どうして来なかった?」と聞く人は一人もいない。

大工の親方が

「おぅ、久しぶり。仕事忙しかったのか?」と尋ねたくらいで、

他の人はまるで昨日もその前も、ここで一緒に過ごしたかのような接し方をする。


仕上がったカウンターを見るのは初めてだ。テーブル席も一つ増やしてある。

ちょっと嬉しそうな表情を見せたけど、特に感想を聞かせてくれるわけでもない。


みんなが思い思いの時を過ごす。

おばあちゃんは勝手にキッチンを使って簡単な手料理を作るし、

藍ちゃんは当たり前のように洗い物をする。

そこにコーヒーを淹れる山下がいる。何も変わらない。


しばらく来ない間に山下は何種類かのホットサンドを作れるようになっていた。

パンを焼き、みんなのコーヒーを淹れ、時折写真を撮る。

そこには笑顔しかない。

現実ってもっと厳しくて、眉間にしわが寄ってしまう物だと思っていたけど、

今の私の生活には笑顔しかない。


休憩処もみじが喫茶店として軌道に乗るか。これはギャンブルのようなものだ。

失敗しても山下には芸能界という戻れる場所がある。私は仕事を辞めてしまうと、

生きていくすべを探すのが大変だ。しばらくは両立という形をとるしかない。

山下が言ったように、平日は彼に任せて週末に手伝うスタイルでスタートしよう。


「俺さ、今の仕事辞めて、ここで喫茶店の店員として働こうと思っているんだよね。」

山下が帰ってきたから、今日の来客は多い。そんな中で宣言をした。


「私、山下さんがステージに立っているところ、見てみたいな。」

藍ちゃんの一言で周りの空気が変わった。それはみんなが思っていて口に出さなかった言葉だった。ここで働く山下を応援しないはずがない。でも、みんな元気になったらもう一度舞台で活躍して欲しいと願っている。藍ちゃんは年が離れすぎていて、山下がテレビで活躍している姿を見たことがなかった。その無邪気な発言がお母さんを慌てさせる。

「藍、そんな無茶なこと・・・。」

山下が遮った。


「藍ちゃん、俺がステージに立ったら観に来てくれるか?」

「もちろん。」


小さなお客さんの言葉に、笑顔でうなづく。

必死で涙をこらえているのに気づいたのは私だけ。山下には思うところがたくさんあるんだろう。喫茶店経営に興味を持ったのは事実。でも、大人気のアイドルだった。そこからの世代交代、そして鬱。いつまでも輝き続けられない現実とやっと向き合おうとしたところで藍ちゃんがステージに戻って欲しいと言った。大切な仲間の期待に応えたい、そんなところか。ファンの期待に応えるのとは全く種類が違う。商品としての西園寺ではなく、友人としての西園寺。


「仕事探してもらうよ。決まったらみんなで観に来て。俺がステージに立つのはそれが最後。その後はこの町でみんなのために働く。」


事務所スタッフの知らないところで、西園寺亘の引退は決まった。

「ダンスを入れてもらえる舞台がいいなぁ。」と山下が言えば、

「踊れるの?稽古大変そう。」

「けがするなよ。」と愛情たっぷりのヤジが飛ぶ。

「歌も聴きたい。」という藍ちゃんの一言で、

「うーん、ミュージカルか?」となり、

「歌、そんなに上手くないだろう?」とまたヤジが飛び、笑いが起こる。


山下とコーヒーがみんなの心を温めた。

夜、誰もいなくなった離れで山上さんへ電話を入れる顔はいつになく真剣だった。

「明日ちょっと会ってくる。詳しい事決まったら連絡する。」





  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る