第39話 絵日記
「西園寺亘復帰」
短い記事がインターネットで流れた。
山上さんは今の西園寺に見合った仕事をいくつか見つけて来た。しかも高速で。
その一つが雑誌のコラム連載だった。短い原稿と本人の撮った写真だけが掲載される。絵日記のようなものだ。月間のファッション雑誌に1年間の契約。写真を撮って送る作業、原稿を書く作業、今までの労働時間を思えば僅かな時間だ。少しずつ少しずつ。メディアに出るのはもう少し先。
仕事が入ったという知らせをネットニュースで知ったことに、私は少しだけ傷ついていた。山下は何も教えてくれない。今月の雑誌に初回の原稿が載るという。それならとっくに原稿は仕上がっているはずで、さらにもう少し前に仕事は決まっていたはず。相変わらずこっちには来ないけど、何度も電話で話をしている。その間一言も自身の仕事の話題にはならなかった。むしろ山下が気にしているのは、我が家の休憩処だ。
おばあちゃんは元気にしているのか、藍ちゃんは学校に行けているのか。
そんなに心配なら直接会って本人に聞けば?と言うと口をつぐんでしまう。
無言の時間が「俺はどうせ商品だから」と語っている。
町の人もみんな山下を心配していた。
「元気にしてるの?」
もう会えないのかと涙目になっている藍ちゃんに、お仕事が忙しいだけだからと言って、何とか納得してもらう。子供の成長は早い。中学生になる前に山下にもう一度ここに来てもらうか、テレビに復活してもらうか、どちらかの方法で彼の姿を見せてあげたい。大の大人の行動を第三者が決めるわけにもいかず、ただ待っている時間はとても長く感じる。
全く関心のないファッション雑誌をたった1ページのために購入した。
イキイキとした作品が何枚か掲載されていた。感性が光っている。写真が好きだとか趣味だという話は聞いたことがない。初めて本格的に撮ったのだとしたら、すごい腕前だ。何気ない町の風景や、新緑の木々の写真に何かメッセージを感じる。写真を撮るために外出するだけでも、心にいいはずだ。この仕事を選んでくれた山上さんに感謝した。一番下の隅にマグカップに注がれたコーヒーの写真があった。
「一人より二人。二人より大勢で飲むコーヒーが美味しい。」
強がってないで、また来ればいいのに。山下のことを商品だと思っているのは、山下自身だ。藍ちゃんが雑誌を持って遊びに来る。
「知ってる人の名前が雑誌に載るって不思議な感じがする。」
みんな、ごく普通に山下と知り合い、友達になった。少し特別な仕事をしているというのは後から知ったこと。仲間であることに変わりない。自分で勝手に壁を作っている。
「雑誌、買ったよ。藍ちゃんも買って持ってきたよ。いい写真撮るじゃない。」
「見てくれたのか、ありがとう。」
「ねぇ、今度離れの写真撮ってよ。SNSに投稿して、ここのこともっと大勢の人に知ってもらおう。」
「メイ・・・。」
「もう、タレント辞めればいいじゃない。私も店手伝う。」
こうして休憩処もみじは喫茶店として動き出すことになる。
普通という概念があるとしたら、店という物は事前に開店日が決められていて、
オープン前に告知があったり、近所にチラシを配ったりするのが普通なのだろう。
休憩処もみじは必要な届出が完了したタイミングで、名前はそのままにズルズルっと喫茶店になった。メニューは手書き。値段も適当。胡蝶蘭が届くわけでもない。
今までコーヒーを飲むたびに「お気持ち箱」に小銭を入れてくれた、町の人たち。ある日突然レジが導入され、飲み物の値段が定められても文句ひとつ言わないどころか、開店を喜んでくれる。
ここに暮らしてたくさんの人にお世話になり、私の心が少しずつ柔らかくなった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます