第38話 商品

次の日の来客は想像を超えた数だった。そして、みんななかなか帰ろうとしない。


「西園寺さん、一緒に写真撮って。」

「色紙持ってきたんだけど、サイン頼めるかな。」


山下は全員に笑顔で応じる。

そして、翌日からぱたりと来なくなった。

山下不在の間に離れの改装が終わった。改装中もその後も客足が途絶えない。

カウンターも外のベンチも満席になることが増えた。

いつものご近所さんだけでなく、全く知らない人まで訪ねて来て、

山下がいないことを知ると残念そうに帰っていく。


ご近所さんも来るたびに、

「今日も西園寺さん来ないの?」と聞くようになった。

適当にかわしながら、全く連絡のない山下を案じている。

元気になったのならいいが、この展開でそれはなさそうだ。

久しぶりに電話をかけてみる。最近毎日のように顔を合わせていたから、

電話は本当に久しぶりだ。


何回もコール音が鳴り、諦めかけた頃に繋がった。

「・・・。」

何か言え。明らかに電話の向こうには人の気配があるのに、黙っている。

「もしもし?山下?大丈夫?」

「仲間だと思っていたのに。」

返ってきたのは蚊の鳴くような小さな声だった。

「やっぱり俺は商品なんだよ。」

「山下、落ち着いて。」

「なぁ、メイ。俺がいるって分かったら、店繁盛するぞ。一緒に喫茶店やろうぜ。

だって俺は客寄せパンダみたいなもんだから。コーヒーはサイン付きで1000円ってとこかな。」

「いい加減にしろ!」

いつかやってしまうと思っていた。ついに怒鳴ってしまった。


「山下、あんたは商品でもなんでもない。ステージの上では確かに商品だったのかもしれない。でも私や町の人と一緒にいる時は生身の人間だよ。なんで分からないの?みんな急にあんたが来なくなって心配してる。もう来ないならそれでいい。テレビの世界に戻っておばあちゃんや大工さんに元気な姿を見せてあげて。」


「心配してる?」

「山下がおばあちゃんが来ないって心配して家まで見に行ったのと同じこと。おばあちゃん、すごく心配して毎日訪ねてくる。あんた今何してるの?」

「家でゲームしてる。」子供みたいな返事が返ってきて、私を心底がっかりさせた。


調子が良くなったら一度来てとだけお願いして電話を切った。こればかりは無理強いできない。山上さんにメールを送る。以前よりは回復していると思う。万全ではないので、ステージは難しいかもしれないけど、何か小さい仕事でも取れないかと。返信が来るまでに1分かからない。

「確認します。」

いつも返信が短くて早い。最近ようやくこの短文から山上さんの気持ちがくみ取れるようになってきた。きっと今の山下に見合った仕事を探してくれるだろう。復帰までもう少し。


夜更けに離れを開けた。もちろん誰も来ない。

豆を焙煎し、空になった瓶に詰めていく。来客が増えれば当然豆の減りも早い。仕事でもない趣味であるはずの物で私は疲れ始めていた。良くない。一人で淡々と豆を仕上げていると心が空っぽになり、コーヒーの香りだけがそこに満ちていく。

無駄な物を省いて生きていきたい。何が無駄か。山下を心配し過ぎること、心が疲れる会社。もみじの看板を眺めながら、生まれたての珈琲豆の香りに身をゆだねていると、少しだけ涙が出た。

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