第35話 看板

山下は、気付けば週の半分以上を我が家の離れで過ごすようになっていた。

もう山下さんは同伴しない。


来ない日もあれば、私の帰宅前に帰ってしまう時もある。(来ていたことはお気持ち箱にお金が入っていることで知る)。週末はほぼ毎週きて、夕食も一緒に食べる。世帯主が不在の間に近所の人とどんどん仲良くなって、今日は誰が来ただの、おばあちゃんが来なかったから心配で会いに行ってきただの、いろんな話を聞かせてくれる。結果、大工さんはやっぱり毎日遠回りをしてまで我が家の前を通過してくれていることが分かった。


山下がおばあちゃんを案ずるように、私も山下を案じていた。本当は毎日来られても困るのだけれど、来ない日はすごく体調が悪いのではないかと心配してしまう。今は、友人を超えて兄弟のように感じている。翌日、何事もなかったかのように笑顔でベンチに座っている姿を見ると安心する。そして、誰かに「お帰り」と言ってもらえることが嬉しい。人間が苦手だった私をこの町の人と山下が少しずつ変えてくれた。


上司とも部下とも折り合いがつかない毎日に嫌気がさして、体調不良を宣言し半日で早退した日、山下は大工さんと一緒に「お帰り」と迎えてくれた。


「メイ、今日は半日だったの?サプライズのつもりが間に合わないじゃないか。」

何のことやら焦っている。足元に切り株をスライスしたような楕円型の端材が転がっていて、二人でせっせと何かを作っていた。大工が天気のいい昼間に仕事しないで何をしているんだ?


「サプライズなら、ちょうどいいや。ちょっと家でやらなきゃならないことあるから、離れは任せたよ。」

そう言って部屋に戻ると、嬉しそうに二人で作業の続きをしている。

やらなきゃいけないのは、仕事を忘れ心を休めることだった。

エアコンで部屋を適温にして、あえてホットコーヒーを飲む。夜眠れなくなるのが分かっているのに、ベッドで少し横になる。少しのつもりが1時間も眠ってしまった。


おにぎりと作り置きのお惣菜をお盆に並べて様子を見に行くとサプライズは完成していた。「休憩処もみじ」と書かれた2枚の看板。一枚はベンチの横に立てかけてあり、もう一枚は玄関から少し飛び出す格好で道行く人に分かるように掲げられている。もみじのシルエットが焼きつけられていて、フォントも可愛らしい。


「うわー!これじゃあお店みたいじゃない。」

たった一枚の看板で、離れの雰囲気が変わる。


「さつき、本気でやってみろよ。せっかく美味しい物が作れるんだから。こんなにいい場所もあるんだし。」

能天気に突然のプレゼントに喜んでいたら、大工さんが想像もしていなかったことを言い出した。


「まさか。雇われて嫌なことは全部人のせいにしてる方が私の性格に合ってる。この場所は趣味みたいなものだからねぇ。」


「仕事辞める必要ないよ。平日は俺がいるし、メイは今まで通り週末にみんなとコーヒーを飲んだらいい。」

山下にそうイキイキと言われると、返事に困る。元気になったら平日も休日もなく、再びスポットライトの下に立つ人なのだから。


「まぁ、考えておくか。中を改装してカウンターやトイレを作らなくちゃ。」

私のこの一言で大工さんが嬉しそうに腕まくりをする。


「よし、図面かくぞ。トイレとカウンターな。」

足取り軽く帰っていく大工さんを見送りながら、やれやれという気分になった。

みんな、私のことが好きすぎる。山下のことが好きすぎる。私の歩む道が勝手に開かれていく。それは枝分かれをしていない。この町の人がどんどんまっすぐに作っている。私が自分でわき道を作り始めない限り、ここに喫茶店が出来てしまう。それが自分にとっていい事なのか、悪い事なのか、それすら分からなくなっている。


たった一つ確実なのは、離れに通うようになって、山下が良くなってきていることだだった。

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