第32話 お手伝い

さほど回復した感じのしない山下が、週末の朝早くから山下さんと一緒に訪ねて来た。


気持ちに波がある。すごく回復したように感じた翌日にひどく落ち込んでいることがあって、がっかりしてしまう。今日はあまり元気がない。でも、そんなこと言ってられない。


「これ着て。」

エプロンとキャップ、そしてメガネ。

「何これ。」言われた通りに素直に全部身に着けてから、初めて不本意であることを口にする。ただ、似合っているのは間違いない。メガネをかけてキャップを被ると、山下だと分かりにくい。この町は若者が少なくて、私ですら歓迎される。言ってしまえば、山下をテレビでみてキャーキャー言っていた世代の人たちが暮らす町だ。ばれたらそれも仕方ないけれど、なるべく騒ぎにしたくなかった。


もみじの先導で、離れに行く。

「こんな建物、前あったっけ?」

前とは、君が夜中に急に、しかも泣くためにやってきた時のことだね。


「建ててからまだ3ヶ月ってとこかな。前に来てくれた時にはなかったね。」

鍵を開けると、もみじが飛び込んでいく。お菓子をもらえる場所と思い込んでいる。私はエサ以外の食事を与えない。


「わ!何これ。」

中を見て山下の声のトーンが変わった。

きれいに並べられたカップ&ソーサー。ミルやサイフォン、フレンチプレス。コーヒーのための器具が静かに出番を待っている。

そして、カラフルなラベルが貼られた瓶に詰められた、世界各国の珈琲豆たち。


「山下、どれでも好きな豆を選んで。」

決められるわけがない。迷いに迷って、一つの瓶を手にした。

インドネシア神山。うん、悪くない。


「そこの計量スプーンで豆をすくって、ミルのホッパーに入れて。スイッチを入れたら勝手に挽いてくれる。」

言われるがまま山下がスイッチを入れるとモーター音が響き、部屋にコーヒーの香りが漂う。


「いい匂い。」

「これからもっといい香りがするから。こっちに移して。」

今日はハンドドリップ。フィルターに挽いた豆をさらさらと入れる。人に見られる仕事をしているせいか、やったこともない作業の所作が美しい。


コーヒーケトルにお湯を入れて静かに注ぐ。

蒸らしている30秒で香りが爆発する。飲んでいる時より、私はこの瞬間が好きだ。


「お湯、注いでみて。出来るだけ細く」

「細く?」

この表現に山下が戸惑う。コーヒーケトルの注ぎ口は普通のケトルよりも細くて、上手に使うとお湯が毛糸位の細さで珈琲豆に届く。ゆっくりと豆を通過し、サーバーに落ちるコーヒーは苦味や甘味、油分がしっかり含まれていて美味しい。


十分に蒸らされた珈琲豆は丸く膨らんでいる。新鮮な証拠だ。そこへ山下が細く細くお湯を注ぐ。ちょっと手本を見せただけで習得する。面白がっているようだ。手の空いた私は、二人が来る前に下準備しておいた材料で、サンドイッチを作る。


「これでいい?」

山下が言うタイミングでサンドイッチも仕上がった。

「初めてにしては上出来。好きなカップ選んで、3人分注いで。砂糖が必要ならこっちの棚、ミルクは冷蔵庫。」

勝手にスプーンも探しだして用意している。


「ベンチで食べよう」

一緒だとやっぱりよく食べてくれる。もみじが山下から離れない。パンをくれるかこぼすかするのを待ち受けている。

「旨いなぁ。メイのサンドイッチも自分で淹れたコーヒーも。外で食べているせいもあるのかも。」


「このために呼んでくれたの?」

その質問に答えるまもなく、一人目の来客がくる。







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