第31話 休憩所
私一人だけのための贅沢な場所のはずだった。
知人でも自宅の敷地内にコーヒーを飲むだけのため場所を持っている人なんていない。しかしそれはいつしかみんなの物になった。仕事を終えて帰宅すると、離れのベンチに人が座っている。勝手に休憩していたのは作ってくれた大工さんとお弟子さんだ。
「おう、さつき。使い勝手どうだ?」
「ただいま~。めちゃめちゃ気に入ってる!時間まだ大丈夫?」
慌てて電気をつけ、3人分のコーヒーを淹れて並んで座ると少しベンチが狭い。
「椅子とテーブル、増やすか。」
大工さんはノリノリだ。
「親方、中にカウンター作った方がいいんじゃないですか?雨の日も使えますよ?」
おい、私の家だ。
「さつき、どうする?」
確かに、来客が増え始めているのは感じていた。でも離れを広くするつもりは全くない。自分が飲む分のコーヒーを作る場所さえ確保出来たらそれでいいと思っている。
「とりあえず、今日はこれな。」
返事も聞かずに親方は端材で作った小さな木箱をベンチの隅に置いた。
「何?これ。」
「お気持ち」とマジックで書かれている。お世辞にも上手とは言えない文字が、木箱に味を出している。
「俺が作ったんだよ」お弟子さんが箱を持って軽く振るとコインのチャリンという音がした。
「やめてよ、喫茶店じゃないんだから。でもありがとう。」
私は、お礼を言いながら別のことを考えていた。
簡単な夕食を済ませてから、山下に電話を入れる。
一週間ほどのホテル滞在ののち、自宅に戻された。
もう、家の前で待ち構えている記者もいないし、山下が無期限休業をしていることに関心を寄せている人もいない。テレビではアイドルの熱愛と女優の離婚が報道され、ついこの前まで山下を追いかけまわしていた記者たちが画面の中で忙しそうにしている。
「山下、相変わらずか?」
毎日同じ会話。そして山下からのリアクションも変わらない。
中でも、みんなが自分の悪口を言っているように感じて外に出られないという一言が、全く理解できず私を苦しめた。だって、誰も悪口なんか言っていない。
「なぁ、山下。ちょっとうちに来て手伝って欲しいことがあるんだけど。近所の人も集まる。会話が聞こえるのが嫌なら、中に入ってしまえば?それを聞いて悪口かどうか自分で判断したらいい。」
「手伝い?」
「いいから、来れるようになったらすぐ来て。」
ハンズフリーで会話しながら、パソコンで必要な物を注文する。いろいろ便利な世の中だ。確定の文字をクリックした絶妙なタイミングでもみじが花瓶を倒した。
こぼれた水を拭いてから、山下さんに短いメールを送る。
「来月、自宅に山下が来る予定です。宜しければ会ってやってください。まだ仕事は出来そうにありませんが、少しずつ回復しています。」
速攻で返事が来る。マネージャーという生き物はみんなそうなんだろうか。忙しくて携帯を見ている暇なんかなさそうなイメージなのに、とにかくレスポンスが早い。
「顔を見に伺います。」
10文字にも満たない返信に、いろんな気持ちが詰まっているような気がした。
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