第29話 素人カウンセリング

「山下、悪かったな。」

急に謝られて、ほんの少し驚いた表情を見せる。うつむいていた顔が上がる。


「全然気づいてあげられなかった。」

正直、申し訳ないというより悔しい。涙が一粒だけ落ちた。山下の前で泣くのは初めてのこと。基本私は何があっても泣かない。


隣に座って大きな手の上に自分の手を添えた。

スイートルームのソファーは誰にでも平等にフカフカだ。


「いったん、仕事のことは忘れよう。誰とも会わなくていい。もし私を信用してくれるなら、必要な物を運ぶくらいなら協力できる。とにかく心と体を休めようよ。」


「話、聞いてくれる?メイに聞いて欲しい。」


「もちろん。でも今日はもう帰らないと。マネージャーさんと30分って約束してある。家に着いたら、すぐに電話するから。夜中に電話してくれても構わない。そして、明日はこっそり来る。」

そういうと山下はちょっと笑った。


約束は30分。25分で部屋を出て、カフェで待つマネージャーの元へ行く。こういう約束はしっかり守らないといけない。さっきまで怒りや不信感をあらわにしていた人とは思えないほど穏やかな顔をしている。そして、向かいの椅子へ座るように促された。


「何か飲みますか。」

答える前に右手を挙げてウエイターを呼んでいる。それに応えてやってくるウエイターのスピードも速い。タレントのマネージャーって、執事のような役割も担っているのだろうか。大勢の人の意見を聞き、一つに取りまとめる縁の下の力持ち。さりげない心遣いから普段の仕事っぷりが想像できて、初対面から失礼な態度をとった自分を恥じる。

「ホットコーヒーをいただきます。」


「いろいろありがとうございます。申し遅れました。」

渡された名刺には「山上」の文字。冗談みたいだ。


「こちらこそ出過ぎたことをしてすみませんでした。」

簡単に山下とは長きにわたり交友関係があることを説明した。


「まだ、事務所を移籍してきたばかりで、彼とは付き合いも浅く、どうしていいか正直困惑しています。仕事のキャンセルで発生する支払いのことを考えると、事務所から責められるのではという不安もあります。自分では力不足なので、今後もどうかご協力ください。なんとか復帰させて、もう一度スポットライトの下に立たせたいんです。」


悪い人ではなさそうだ。一生懸命仕事をする人。山下を魅力のあるタレントだと思ってくれている。だから何とか復帰させてやりたい。本人が復帰したいと思うかどうかまで考えが及んでいないのがちょっとだけ残念。


「分かりました。私にできることなんてわずかだと思いますが、お力になれる部分は協力します。話を聞いて欲しいと言っていましたので、明日もこちらに伺わせていただきます。」


山上さんは安堵の表情を浮かべた。

こっそり来る必要がなくなった。


結局、一週間にわたって仕事の帰りに山下を訪ねた。

食事を摂れていないのか、顔色が悪い。試しに、一緒に食べようと二人分のお弁当を差し入れると、嬉しそうに完食する。会話は以前と違って単調だ。同じことを繰り返す。とにかく誰にも会いたくない、そんなようなこと。少しでも話をそらすと、「ちゃんと聞いていない」だの、「気を紛らわそうとしないで欲しい」だの言いだす。

友情を持って接しているから、辛いのだろうか。臨床心理士と呼ばれるプロの方々はどうやって心の痛みに寄り添っているのだろう。


山下の状態はなかなか改善されず、私自身の疲労も大きくなっていく。そして世間は山下を残酷なまでに置き去りにした。その方がかえって今の山下にはいいのかもしれないけれど。


宿泊先への訪問、その後の長電話、仕事中にこっそりする山上さんへの近況報告。何してるんだろう、私。自分の為に時間を使うことを忘れている。心の病気も移るんだろうか。


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