第28話 休業
身内でもないのに、一緒に診察室に入る。
山下がなぜかそれを望んだ。
明らかに年下の女医さんが、穏やかに語り掛ける。
「体調はいかがですか?」
「・・・。」
女医の目を見てはいるが、表情が死んでいる。
「最近、何か辛いこととかありましたか?」
その一言がトリガーとなり、山下の目から涙があふれだす。
とめどなく落ちる涙を拭おうともしない。自分が泣いていることに気づいていないようだ。
山下さんに連絡を入れるべきか、無表情で涙を流し続ける山下のそばで悩んでいた。今のマネージャーさんがこちらに向かっている。彼は私の話に驚いていた。そして、困っていた。山下の代わりは誰でもいる。せっかく取ってきた仕事がこなせないと、次に繋がらない。仕事が出来る状態か否か、心配のポイントはそこだった。そんな奴に今の山下を預けられない。でも、山下さんはもう関係のない人だから、こんなことで心配や迷惑をかけるのを本人が嫌がるだろう。そう思うと一度取り出したスマホが何度も鞄に戻される。
少しずつ、症状を話し始める。山下が口を開くと女医は一切語らず、完全に聞き手に回った。眠れない、食べられない。周囲の声が全て自分の悪口に聞こえる。動悸、理由もなくあふれ出る涙。
「誰も、山下の悪口なんか言ってないよ?」
そう話しかけた私を女医が制した。
「周囲の声が全て自分の悪口に聞こえるのはとても苦しいことです。サポートされる方はお話を正しく理解し寄り添ってください。悪口を言っている人が例えいなかったとしても、西園寺さんにはそう聞こえるんです。それが現実です。」
サポート?寄り添う?
山下のことは本当に心配だけど、私の立場って何なんだろう?
「それは、お辛いですね。」
山下の絞り出すような一言一言を一文字も漏らさないようにタイピングしながら、女医はここというところで相槌を打つ。それに対して山下はまた泣く。
「ここで我慢してはいけませんよ。涙が出るなら泣いてください。今まで感情を押し殺して生きてこられたのが、漏れ出ているんです。コップが溢れるようなものです。当たり前のことです。」
マネージャーが到着すると、淡々と女医は告げた。
「鬱状態です。心の安定を取り戻すまで、お仕事は休ませてあげてください。無理をさせると命に関わると思って、きちんと向き合ってくださいね。」
「タレントなんです。数年先まで仕事が決まっています。キャンセルとなると金銭の支払いが発生します。どの程度の仕事ならさせても大丈夫でしょうか?」
畳みかけるように話すマネージャーを女医が睨みつける。
「お仕事は全てお断りしてください。必要があれば診断書を出します。」
しおしおとうなだれる自己中マネージャーを私も睨んだ。
翌朝の情報番組で山下の病気と休業について盛大に取り上げられた。
こんなにテレビで名前が連呼されているのを見るのは久しぶりだ。マスコミが大人しくなるまでは家に帰れないだろうと、諦めたマネージャーがホテルを取ってくれた。山下はそこに一時避難している。なぜか、私には居場所を教えてくれた。
一人にしておくことが危険なことは私も重々承知している。電話を入れるたび、「大丈夫」という元気のない返事が返ってくる。
「先日は勝手なことをして、ごめんなさい。山下に会いに行ってもいい?」
一応マネージャーに断りを入れて、都内の高級ホテルのスイートルームの呼び鈴を鳴らした。手土産はいつもプリン。おっさんではあるものの、二人きりで会うことを気にしたマネージャーが着いてきている。
「気に障ったら申し訳ないけど、山下がこうなったのはあなたや今の仕事に原因があるかもしれないの。だから、何かあったら連絡するし、30分で出てくるから、ロビーで待っててくれる?」
マネージャーはもちろん気を悪くした。でも私の方が山下と付き合いが長い。
「あのね、一生仕事できなくなるかもしれないよ?私が信用できないのは、それで構わない。それならロビーまで行かなくていい。外の廊下でドアにへばりついて待っててくれる?」
プライドの高い、私より少し年下のおっさんマネージャーは、廊下に立たされるよりはと、ロビーのカフェで待つと告げ、渋々部屋を後にした。
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