第24話 引っ越し

山下が引っ越すことになった。


事務所が借りてくれていたマンションなのだから、移籍すればそれは当たり前。新しい事務所は、「プライベートは本人に任せています。」という方針の会社なので、家を選ぶのも家賃を払うのも本人。家を借りたら、引っ越して電気やガスが通るように手続きをしなければならない。何一つやったことのない山下は、物件を決める前に詰んだ。


「メイ、助けてくれぇ。」

本当に情けない。今のところに住める期間は限られているのに、仕事があるとはいえ、ギリギリまで何もしないなんて。こんなのが自分の男だったら頼りなさすぎて、多分3ヶ月も持たない。頼りがいのある人が好みというわけではないけど、あまりにも世間や一般常識を知らなすぎる。普段、あまり家から持ち出さないノートパソコンをリュックに入れて、カフェで落ち合った。


「家を借りるとは」を一から説明をする。

役所でいくつかの書類を取り寄せる必要があること、敷金礼金とは。引っ越しを業者に頼むといくらくらいするのか。


どの辺りのどのくらいの間取りの家に住みたいのかをはっきりさせないと、不動産屋に行っても話が進まない。カフェの一番奥の席を陣取って、ノートパソコンの画面を見せる。間取り、家賃、場所、築年数。


「LDKってどういう意味?」

もう、置いて帰ってしまおうかと思うような質問が飛び出す。せっかくの休日なのに、私はいったい何をしているんだろう。早々に私も詰んだ。


助けを求めたのは、山下さんだった。

家族より長い時間を過ごしてきた彼は、山下の好みや予算、そして彼が何も知らないことまでを熟知していた。電話をかけると「明日、折り返すね。」というそっけない一言で電話が切れ、その「明日」には山下のもとに次の家候補がいくつか届けられていた。


山下と山下さんは仕事の縁が切れてしまったことになる。ただの元マネージャー。お付き合いはそれっきりになっても仕方がないのに、なぜか二人は友好的に連絡を取り合っていた。山下は新しいマネージャーより信頼を寄せているし、山下さんもそれを喜んでいる。わずかなプライベートの時間を使って、家探しに奔走したらしい。


以前住んでいたところと同じくらいの広さで、セキュリティがしっかりしているという部分が山下さんに最重要視された。そして、ひとりぼっちの山下が払える家賃のところ。少しだけ不便な場所であることさえ妥協すれば選択肢はたくさんあった。そもそも不便というのは駅から遠いとか、都心まで少し時間がかかるとか、そんな問題。送り迎えのある山下にとってさほど気になる物ではなかった。


「メイ、やっと引っ越し終わった。いろいろありがとな。」


「ちゃんと、手続きとか学べよ。いい大人なんだから。」


「ほんと、その通りだよな。」

こういう素直なところが羨ましい。


私が郊外に引っ越し、山下は私とは逆方向に都心から離れ、会う機会が少しずつ減った。


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