第9話 推される山下
私はテレビっ子ならぬ、ラジオっ子だ。
実家にはテレビが2台あった。1台はリビング。もう1台は両親の寝室。
リビングのテレビでは溺愛されている弟の観たい番組が映し出されている。私もテレビが観たいので、アルバイトをして自室にテレビを置くと言ったら、
父親が「絶対に認めない、買えば買うだけぶっ壊す。」と言い放った。引きこもりになるとでも思ったのだろうか。余計な争いを避けるべく、テレビを諦めた私はラジオを聴きながら部屋に引きこもるようになった。
ラジオにはテレビと違う独特の世界がある。
テレビというメディアで活動をしないミュージシャンの楽曲を聴くのが楽しかった。有名なタレントさんもラジオではテレビよりも自然体で話をするように感じる。ベッドの枕元にラジオを置き、一晩中つけっぱなしにする日が続き、夜中に目が覚めても話しているパーソナリティの声でだいたいの時間が分かるまでになった。
「ラジオ局でライブ番組の公開収録があるよ。」
数少ない同性の友人からの連絡。お気に入りのミュージシャンが何組も出るイベントはとても魅力的だ。何よりキャパシティーの小さい会場でライブを楽しめるのがいい。私は二つ返事で行くことを伝えた。
少し早めに行ったのだけれど、ラジオ局の前にはすでに10人程度の列が出来ていた。その列が20人くらいにまで伸びた頃、黒いワンボックスが入り口の前に停車した。降りてきたのは山下のグループだった。
「ひぇ~。」
私は山下と友人であることを誰にも話していない。
「あ、西園寺さんだ。」
列に並ぶ前後の人たちから、山下の名前がささやかれているのが聞こえる。
みんながアイドルのスタジオ入りを眺めているところで、一人そっぽを向いていたら、返って目立ってしまう。私はお気に入りのキャスケットを深く被り直して、顔を隠した。
この行列に山下たちのファンはいない。ギター一本で歌う人のライブを楽しみに並んでいる。誰も有名人を目の前にしても騒がない。全員が建物の中に姿を消し、私はホッと肩で息をした。
カチャ。たったったっ。
扉の開く音と足音が聞こえる。誰かが出て来た。たった今スタジオ入りしたはずの山下だった。スタッフも従えず、一人で出てきて私たちの列に向かって歩いてくる。さっきより近い。
「ひぇ~。」ばれませんように。
「お前ら、ちょっとは喜べよ。」
困惑した表情でたった一言を残し、再びスタジオへ消えていった。並んでいた人たちはファンサービスならぬ、ファンじゃない人サービスに大笑い。
「いい人そうだね。」
そんな会話が飛び交う。こういうことを自然にできることがあの人の武器なのかもしれない。ただかっこいいだけでは推されることを生業にして生きてはいけない。そもそも私は山下をかっこいいと思った事はないけれど。
公開収録を終え、ラジオ局の向かいのカフェに入った。2階の窓側。局の入り口がよく見える。テーブルに季節限定桃のパフェが運ばれて来たとき、仕事を終えた山下たちが出て来た。どこで情報を仕入れるのか、彼らを推している人々が一目会いたいと集って、大変な事態になっている。もみくちゃ。目の前に停まっている車にたどり着けない。プレゼントを渡したい人、話したい人、触りたい人。数分後何とか車はラジオ局を後にする。
「なんか、大変そうだね。」
一緒に外を眺めていた友人の一言で我に返り、パフェのアイスが少し溶けてしまったことに気づいた。
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