第8話 本音

 山下はよく喋る。


 仕事中のイメージと違って、少しトーンが低く穏やかだけれど、お酒が入ると楽しそうに話すし、人の話も楽しそうに聞く。その姿はテレビの中のそれとあまり変わらないように思う。時々嘘か本当か分からないけど、俳優の○○さんはイメージと違って性格が悪いなんて情報が流れる。山下に関しては裏表がないようだ。もう酔いつぶれないでおくれよ、そう思いながら私は彼の話に耳を傾けた。


 一般的な会社の「社外秘」にあたる物がとりわけたくさんある仕事をしているだろう山下は、私に話せる範囲でいろいろな話を聞かせてくれた。単純に尊敬するのは仕事仲間の悪口が一つも出てこないことだった。


 「みんな、頑張ってくれてるから。」


 たくさんの制限を抱え、イメージ最優先で生きているのに、スタッフさんや同じグループのメンバーを労う。意見の食い違いなんか山ほどあるだろうに。私は愚痴をこぼさない日はない。


 「仕事だから仕方ないけど、見ず知らずの人と握手なんてしたくない。」


 そんな山下の口から飛び出した至極当たり前の本音は、私を驚かせた。中学生の時、近所のショッピングセンターで開かれた女性アイドルのサイン会に行き、浮足立って握手を求めた。テレビで見ている人が目の前にいる。自分に向かって微笑んでいる。お小遣いでケーキを買って渡した。知らない人から渡されたケーキなんて、絶対ゴミ箱行きだ。今なら分かる。


 切実な悩み。他人に一方的に自分を知られている恐怖。それは普通の生活をしている者には想像するのも難しい。


 「えー?そんなこと言わないで。山下くーん!握手してくださーい!!」


 右手を差し出すと、山下は大笑いしながら、両手でぎゅっと包み込むように握った。こんな風に茶化して笑わせるくらいしかできないのが、少しもどかしい。


 私には協調性がほとんどない。


 なるべく意見の違う人とはかかわらずに生きていきたいと思っている。かといって、自分の意見をゴリ押しできる性格でもなく、声の大きい人やハッキリ物を言う人に道を譲り、同じ土俵に上がらないようにして生きてきた。もちろん、人とのふれあいに関心がない。よほどの長い付き合いがないと、友達とは思わない。だから私が「知人」と思っているのに相手は「友人」と思っている付き合いがたくさんある。そんな私の心に山下はスルスルと入り込んで、「男友達」になるまでにかかった時間はとても短かった。


 「確かに知らない人の手なんか触りたくないな。電車で隣に座ったおっさんが眠ってもたれてきた時とか、朝からテンション下がるもんな。」

少しでも、共感していることを伝えようとして口にした例えに、

 「電車って、小学生の時以来乗ってないな。」

という、とんでもない答えが返ってきて、なんとなくその話は終わった。


 切符も一人で買えないのか。


自分の当たり前と、山下の当たり前に差がありすぎて、「友人」と思っていいのか、時々不安になる。

 


 




 

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