第7話 お礼

「メイ、ありがとう。本当に助かった。」


数日後にかかってきた電話の声は、普段と変わらなかった。

私が知らないだけで、アイドルさんはテレビに出ていない間も働き続けている。

写真撮影やら、新曲の収録やら、ダンスの練習やら。むしろそんな時間の方が長いのかもしれない。山下はどうにか仕事に穴をあけることなく済んだようだ。とはいえ、すぐに熱が下がるはずもなく、解熱剤を飲みながら笑顔を振りまいていたらしい。


 歌手になりたい。


 小学生の時、七夕の短冊にそう書いて私は同級生に笑われた。

笑われたことに驚いた。だって、みんながそう思っているとばかり思っていたから。

テレビの中の人たちは素敵な服を着て歌を歌い、みんなに愛されている、そんな風に思っていた。そんな単純な物ではないことに早々に気づき、人よりパソコンや書類と向き合っている方が性に合っていると、事務職を選んだ。笑顔は楽しい時に自然と出る物であるべきだと私は思っている。作り笑顔を売って生活している山下がちょっと気の毒ですらある。本人が望んでついた仕事ならそれでいいのだけれど。


また、電話が鳴る。それはほとんど一方的で、番号を知っていても私から連絡することはなかった。いつ途切れてもおかしくない友情が細々と続く。


 「お礼がしたいんだけど、時間とれない?近いうちに夕食どうかな。」


 「いや、そんな大袈裟なことじゃないし。」


 そうと決めたら譲らない山下は昼も夜もないスケジュールの隙間にレストランの予約を入れた。イメージ最優先の人が決める店なんて庶民には敷居が高そうだ。お礼をしてもらうために大枚をはたいてワンピースを新調した。なにやってるんだ、私。


 指定された店は賑やかな居酒屋で、私は出鼻をくじかれた。デニムでよかったか。それでも、先に到着した私は個室に案内された。そりゃそうだろうな。ここに山下がいきなり現れたら大騒ぎだ。席に座って5分とたたないうちに帽子を深く被った山下が店の人に案内されて入ってきた。店がカジュアルだったこと以上に、彼が一人で現れたことに驚いた。絶対にマネージャー(本物の山下さん)と一緒に来るだろうと思いこんでいた。


 「一人で来た!?」


 「いや、そこまで車で送ってもらった。」


 普段からそんな感じなのか。ものすごく大きな力に守られて生きている人をイメージしていたのに、普通の人とあまり変わらない。そして、デニム。


 「あ、忘れないうちに、これ。」


 デパートの袋に入っていたのは、きれいなハンカチだった。


 「ハンカチ汚しちゃってずっと気になってたんだ。」


 「ありがとう。では遠慮なく。」


 山下、こういう時は店員さんに値札を取って下さいと言うものだぞ。1000円と書かれた札がぶら下がったままのハンカチを受け取り、私は心の声を飲み込んだ。誰かが教育するだろう。学校にも満足に通えずに若い時から働いているのだから仕方ない。もっと親しい友人だったら愛情を持って注意するところだけど。

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