第7話 回想


ぬいぐるみを抱きしめ、国壁を眺めていると嫌でも2年前のことを思い出す。


(何も知らない、毎日が楽しいあの時に戻れればいいのに……)





―2年前、事の発端は私の10歳の誕生日を過ぎて1週間後だった―



「サラ様‼」

大人の女性の金切り声が響き渡る。


私は王宮庭園で優雅に紅茶を飲みながら笑顔で対応する。


顔を真っ赤にして私に怒っているのは30代半ば、少しふくよかで灰色の髪に青い瞳を持つ乳母のソニエだ。


「どうしたの?」


「どうしたの?ではありません!調理場の調味料を差し替えたでしょう⁉塩とお砂糖が入れ替わっていると報告がありました!昨日、調理場に遊びに行った時にやりましたね?」


「証拠は?」


にっこりと微笑みながら返すと、乳母はギリギリと歯をむき出しにする。


ソニエは普段は大人しいが、不測の事態にはとても弱く、顔に出やすい。

私は彼女を困らせている時が無性に楽しい。


「~~~~証拠なんて必要ありません‼が‼サラ様以外に誰がするんですか⁉」


「ふふっ!アハハ!ソニエ、顔が赤から黒っぽくなってきたわ!ちょっと調味料変えたくらいで怒りすぎよ!」

ケラケラと笑う私の所に、1ピースのチョコレートケーキを侍女が持ってくる。


にこやかに私の前にケーキを置く侍女の笑みは何だか嫌な予感がする。

ソニエよりもほんの少し若い侍女は茶色い髪に茶色い瞳、名前はリリスだ。


彼女も乳母であるソニエと同じ様に私が生まれた時から仕えてくれている。


「どうぞサラ様、本日のおやつです」


「…………」

(まさか……)


緊張しながらチョコレートケーキを頬張るとやはりかなりしょっぱい。


恐らく私の罰のためだけに作られたようでちゃんと砂糖は入っており、食べられないわけではないがかなり塩も入っている。


「リリス!こんなの食べられない‼」


「申し訳ございません。妖精の悪戯でお砂糖の味が変わってしまったみたいで……」


どうしましょうと困り果てている様に首を傾げるリリス。


「~~~もう‼お塩とお砂糖変えたりしないからちゃんとしたおやつにして‼」


私が観念するとリリスはにっこりと微笑んだ。

「ご安心ください。可愛い妖精の悪戯は最初の一口目の部分にしか効き目がございません。あとは美味しいチョコレートケーキですよ」


私はムッとしながらも二口目を食べると確かに、ちゃんと美味しい。

(だから1ピースだけわざと持ってきたのね)


切り分けた1ピースのケーキであれば、だいたい先端から食べる。

そこにだけ塩を練り込んだチョコレートをかけたのだ。


(今度私もやってみよう!)

甘く美味しいチョコレートケーキを食べながら、次の悪戯を考える。


悪戯をすると、ソニエは怒り、リリスが意趣返しの軽いお仕置きする。

そのお仕置きを踏まえて学習した私は徐々に悪戯の高度を上げていく。

それをルーカスが微笑みながら後ろで見ている。


これの繰り返しが日常だった。



次の悪戯を考えながらふと私は思い出した様にソニエを見た。

「ねぇソニエ!そういえば歴史の先生に例の話がどうなったか聞いてきてもらえる?」


「例の話?ですか?」


「そう!そう言えば分かってくれるから‼」

「かしこまりました」


ソニエは訝しみながらも向かってくれた。

チョコレートケーキを食べ終えた私の横にリリスがにこやかにピッタリとくっついてくる。


「ソニエ様を遠ざけて今度は何をされるおつもりですか?」

「ふふっ!リリスは何でもお見通しね!」


例の話、などというのは無い。

そして歴史の教師はこの時間だと今日は他の学者達と共に会議中で、ソニエがすぐに会えるはずも無かった。


私はルーカスとリリスに手招きをして顔を近づけさせる。

「来月、ソニエの誕生日でしょう?今日は王都で出し物があるらしいから、そこで何か買いたいの!お忍びで!今から‼」


リリスがため息を吐いた。

「駄目です、と言っても無理に行くんでしょう?」


私は瞳を輝かせながらコクコクと頷くと、ルーカスもリリスも諦めていつものお忍びの準備に取り掛かった。


私は何度も王宮から脱走した経験がある。

ある時は護衛の少ない深夜を見計らって次の日の朝帰り、ある時は護衛を買収(ルーカスには効き目が無かったけど)、脅迫、トイレに行ってそのまま窓から飛び降り等々。


二人は分かっている。


今、ついていかなければもっと最悪なタイミングで私が王都に行くことを、だからこそすぐに準備に取り掛かってくれた。






服装を変え、二人に連れられて私は王都に降りる。

私は町娘風の白いワンピースを来て、つばが広めの帽子を被り、リリスやルーカスも町人風に服装を変えている。


お忍び設定としては商家の娘とその侍女と護衛。


町は賑わっていて、リリスが手をつないでくれているため問題無いが油断すると人の波に流されそうになる。


「今日はもう帰りませんか?人が多すぎます」

「大丈夫よ、ちょっと買うだけだから!あ‼あれとかいいんじゃない?」


私が指さしたのは手作りのアクセサリーを売っている露店だった。

値段も庶民にも手ごろで、綺麗に結った紐の先端に石か金属がついていて服の下に隠せそうなぐらいの簡素なデザイン。


ソニエは高い物をプレゼントすると嫌がってしまうのでこれくらいが丁度いい。


じっくり見るために邪魔な帽子を外し、手に取ってみていると40代くらいの男の店主がこちらをじっと見ていた。


私はまだ式典には少ししか出ていない。

白い髪に金色の瞳は確かに少し珍しいが、それでも王家特有というほどではない。


(式典で見かけたとしても遠目で気がつくはずないし)


「手にとって見てはいけないの?」

「あぁいや!随分綺麗な子だと思ってね。この辺の子かい?」


「いえ、旅行です」

ルーカスが店主を威嚇する様に私の横に並び、反対側にリリスもピタリとくっついた。


「へぇ、どこから」


店主が言い終わる前に後ろの人混みから怒声と悲鳴が聞こえ、後ろから人の波が一気に押し寄せてきた。


自分の倍以上ある大人達に押しつぶされるかと思ったが、寸前のところでルーカスに突き飛ばされ私は近くの路地に逃げる様に転がった。


一瞬にして人の波に押しつぶされたルーカスの姿が消え、リリスに至ってはどこにいるのか見当もつかない。


「ど、どうしよう」


酔っ払いか何かの乱闘が始まったようで、顔を赤くした5人程の男達が殴り合い、ついでに目についた者を殴り、殴られた者が更に殴り返す。


私以外にもはぐれてしまった子供もいる様で必死に子供の名前を叫ぶ親。


殴られ、血を垂らしながら呻いている者。

人の波の余波で怪我をしたのか動けずにいる者。


人々が叫びや怒声を上げながら、蠢くその姿は私にとって恐怖の対象でしかなかった。


「ルーカス、リリス……」


小さく呟きながら頭は真っ白になり、普段なら絶対にしないのに私は走って逃げてしまった。


(怖い、怖い、どうしよう)


不安で自分が今、どこを走っているのかも分からない。


息が切れ、パニックに陥っている時、何かに躓いて転んだ。

「何……」


自分が躓いた物を確認すると、それは自分と同じくらいか、少し上の少年が寝そべっていた。


少年がむくりと起き上がると私は絶句した。


全身汚く目は落ちくぼみ、頬はこけ、瞳はくすんでいる。

少年は私を見た瞬間に呆けた様な表情になり、すぐにくすんでいた瞳に危険な光が宿る。


「あ……の、ここどこ?」

「お前一人?」


少年は立ち上がり、地べたに座り込んでしまっている私を見下ろす。


(答えちゃいけない)

少年の問いに一人だと答えれば自身に危険が及ぶ、嘘を吐いてもどうみても一人だからすぐにばれてしまう。


私は周囲を見まわした。

どこもかしこも汚く、荒れ果てている。


王都は栄えている。

栄えているからこそ、低賃金で犯罪まがいだが誰でも出来る仕事があり、ゴミなども多くでる。

そのため、一部ではかなり治安が悪い路地があると聞いたことがある。


(逃げないと)


震える足を動かし無理やり立つと、腹に衝撃が走り、地べたに引き戻された。

腹を少年が蹴ったことが分かったのは何度も咳き込んでからだった。


少年を見上げるとその瞳は怒りに満ちている。

そして、地面に伏せている私を何度も何度も蹴ってきた。

蹴っている最中、少年が叫ぶ。


「何で俺ばっかり!何で‼俺だって上等な服着て!たらふくうまいもん食って‼」


私は頭を抱え必死で耐えた。一拍おいて、蹴りが止んだかと思って少年を見上げるとその手にはナイフが握られていた。


私はただ見返すばかりで何も行動できず、固まっていると、そのナイフは私に向かって振り下ろされた。


「サラ様‼」


もう死ぬんだと思った瞬間、温かい何かが私を包み込んだ。


ナイフと私の間にリリスが割って入ったのだ。







リリスは少年に背中を刺された。







リリスは私を抱きしめ、呻き、少年は我に返ったのか全身から震えて座り込んでしまった。

温かい血がボトボトと落ち、それと同時にリリスは蒼白になっていく。


「リリス‼リリス‼」


私は何度もリリスの名前を呼んだが、リリスは真っ青な顔で驚愕の表情をしていた。

視線の先をたどり、振り返ると見知らぬ汚い男が居る。


「ハッハッハ!こりゃぁ良い!上等なガキだ‼」

「リリス!リリス‼」


男は私を持ち上げ、軽々と抱えていく。私は必死に叫んでリリスに手を伸ばす。

リリスもこちらに手を伸ばしてくれるが、その手は弱弱しく宙を掴む。


「お嬢様‼」

泣きながら声のした方を見るとルーカスが走って来ていた。


腰の剣を抜き、男に構える。

「その方を離せ」


「ハハハ!お坊ちゃんよぉ、周り見てからそういうことをしようぜ」

下卑た笑いと共に、周囲を見渡すと10人くらいの男達が集まって来ていた。

この騒動を聞いて湧いて出てきたのだ。


それでもルーカスはひるまずに剣を正面に構える。

周囲の男がニヤニヤと笑いながら、私を抱えている男の合図でルーカスに襲い掛かった。


(ルーカスが死んじゃう!)

ぎゅっと目を瞑り、ルーカスの悲鳴に耐えるように身を固くしていると次の瞬間に聞こえたのはルーカスよりも野太い男達の悲鳴だった。


恐る恐る目を開けると。左肩を切られながらも立っているのはルーカスだけだった。

その周囲にはさっきまでニヤニヤ笑っていた男達が呻きながら転がっている。


私を抱えていた男は分が悪いと思ったのかルーカスに私を投げつけると走って逃げて行った。


「サ……お嬢様‼大丈夫ですか!」

「ルーカス!私は大丈夫だけどリリスが‼」



ルーカスはリリスの状態を見た瞬間、背中周辺を自分の上着で圧迫するように結んでから肩へ担ぎ上げ、私を空いている右手で抱きかかえて走り出す。



王宮へ戻ると使用人達も驚愕し、私はソニエに泣きながら抱きしめられた。


「サラ様!心配しました‼」

「ごめんなさい」


強く強くソニエが抱きしめる中、私はやっとの思いで一言呟いた。

呟くと、止まっていた涙腺が再び動きだす。


「ごめんなさい、ごめんなさいごめんなさい、ソニエ…………リリスが…………リリスがぁああ‼」


体から力が抜け、全身をソニエに託しながら私は泣き叫んだ。ルーカスが事情を説明し、運ばれていくリリスは人形の様に動かない。


そんな様子を見せない様にソニエは自分の胸に更にきつく抱き寄せた。




たくさん泣き、私はソニエに抱きしめられながら意識を失った。







意識が戻るとソニエが手を握ってくれていた。


「サラ様!」

しっかりと目を開けるとソニエが涙を浮かべながらこちらを見ていた。


「…………リリスは?」

私がリリスの名前を口にした瞬間、ソニエはひどく悲しそうな顔をして泣き出した。


リリスのことを聞きながらも私は聞きたくないと思った。

(だって、良くなっているならすぐに言うはず)



「サラ様、もう大丈夫ですから……」

「ソニエ、リリスは?リリスはどうなったの⁉」


ソニエはぐっと口を引き結び、しばらくの沈黙の後、告げた。




「リリスは亡くなりました」





「嘘」


私が呟いた瞬間、ソニエや他の侍女は悲痛な顔をした。


「嘘だよね?私がいつも悪戯ばかりするからからかってるんでしょ⁉」


「サラ様」

ソニエが諭すように名前を呼んだが無視をする。


「ねぇ⁉皆で私のことからかってるんでしょ⁉もう悪いことしないから嘘つかないで‼」

肩で息をして、叫んでも誰も答えてくれない。


「リリスに会わせて」

「サラ様、それは……」


「リリスに会わせて‼」

自分でも狂っていると思うほどに甲高い声が出た。喉が痛く、大粒の涙がベッドに落ちる。


ソニエはしばらく悩んでいたが結局、陛下に確認を取り、リリスに別室で会わせてくれた。


普段使っていない空の物置部屋で既に棺に入れられ、血の気の無いリリスが中で眠っていた。


「リリス」

呼んでも返事を返してくれない。

今日私が我儘を言わなければ、今日だけじゃない、我儘自体言わなければこんなことにはならなかった。


私は棺の中のリリスの手を握り、その冷たさに驚きながらも謝り続けた。


「リリス、ごめんなさい‼ごめんなさい‼」





すごく長い時間がたった。

肩に上着をかけられて振り向くと、ソニエが柔らかく微笑んだ。


「サラ様、このままでは貴方が倒れてしまいます。リリスもそれでは困ってしまいますよ」


時計を見ると深夜11時を過ぎていた。


気がつくと喉はひどく痛み、謝っているのに声が出ていない。

私は頷くと、リリスの棺は優しく閉じられる。


ソニエについて自室に戻り、ベッドの中に入るが目を閉じてもリリスのことが頭から離れない。



レトニア王国では深夜のうちに遺体は運び出され、埋葬される。


今を逃せば、もうリリスに会うことは叶わない。



(もう一度だけ)

本当にもう一度だけ、リリスの顔を見たいと思った。


部屋の外に控えている護衛に一声かけようと扉の外を覗くと、引継ぎをしている最中で、私のことが見えていない。


(すぐ戻ってくるし、駄目だって言われたくない)


いけないこととは思いつつも私は護衛に見つからないようにリリスの部屋に行き、ゆっくりと棺を開けた。


そこには変わらぬリリスが居た。



(ごめんなさい)

私は棺の中のリリスを強く抱きしめた。

ぎゅうぅと思いを込めて抱きしめていると、絨毯の下からガタガタという物音と共に荒っぽい男二人の声がした。


「ったく!侍女一人の死体くらい外に捨てりゃあいいのによ‼ついでになんか金目のモンを」

「おい止めとけ‼死にてぇのか‼」


ザワリと背筋に悪寒が走った。


男達は言葉遣いからも明らかに王宮の人間ではない。


遺体を埋葬しに来たとしても、嫌な感じがする。

そもそもここは王宮の一階ではあるが、なぜそんな所から声が聞こえるのか分からない。


遺体を誰がどこにどのように埋葬しているのかなど、今まで私は考えたことが無かった。


リリスを雑に扱って欲しくない、彼らに渡すくらいなら明日、他の人間に丁重に埋葬してほしい、でも彼らと対峙するのは怖い。


考える暇もなく絨毯の下で鍵を開ける様な音が聞こえ、私は目の前の棺に逃げ込み、リリスと共に閉じこもった。


冷たいリリスを抱きしめ、男達の荒っぽい足音と共に、棺に鍵をかけられた音がした。


その音を聞き、私は自分が最悪の選択をしてしまったことを悟った。


(このままだと埋葬される)

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