第3話 下準備


『お願いします、サラ様!どうか落ち着いて‼』

月明り以外、何も灯りが無い部屋で乳母が泣き叫んでいる。


(あぁ、あの時の夢だ)

忘れもしない2年前の記憶。父や兄よりも大好きで近い家族だった乳母を見た最後の記憶。


『私に近寄らないで‼誰か!誰か助けて‼』

私は、泣き叫ぶ乳母に負けず声を張り上げて助けを呼ぶ。


(あの時は、全身痛くて、背中の傷が一番痛くて、でも乳母の顔を見るのが一番つらくて悲しくて)


部屋の外に居た衛兵が駆け込んでくる。

『どうしました!……これは、何が!』


私の姿を見た衛兵が驚いて駆け寄ってくる。血が足りないのかふらつくし、一番深い背中の傷のせいで意識も危うい。

私は必死に衛兵に縋りついた。

『助けて!乳母に!ソニエにやられたの‼私を殺そうとしたの‼』


乳母は私のことを悲痛な顔で見ている。

『サラ様……』


一言、私の名前を呼ぶと乳母はそれ以上何も言わず、涙を流し続けた。







「サラ様!起きてください!」

意識が急激に浮上させられた。

目の前には必死なミーシャの顔がある。

急に起きたせいで、夢現のまま目をパチクリさせていると、ミーシャは心配そうに私の頬を触った。

「こんなに泣いて、怖い夢でも見たんですか?」

「うん……二年前の……乳母の夢を見ていたの」


「っ!サラ様‼」

ミーシャが起き上がった私の体を強く抱きしめるが、私からは抱きしめない。

(だって信用できないし)


「ありがとう、ミーシャのおかげで元気が出たわ」

軽くミーシャを手で押し返しながら笑顔を作る。


ミーシャに手伝ってもらい、身支度を整える。

遠目に見える、ツル状の植物で出来た緑色の国壁に目をやる。


今日も不快極まりない程に青々と美しくそびえたっていた。


昨日、護衛の騎士であるルーカスの反応からして、アレンは恐らく相当強い部類に入る。

(乳母のためにも、死んだ二人のためにも絶対に、アレンを味方にしないと。そして……)


(何を犠牲にしても国壁を壊す)


国壁の奥には終戦後、国交がほぼ無いと言ってもいいくらいの関係性の悪い国クレヴェンス帝国がある。

国壁が壊れれば民がどれだけの危険にさらされるかは分かっている。


それでも私は、あの忌々しい国壁を壊したいのだ。


決意を固め、ミーシャには笑顔を作りながら拳を握る。







「おいクソガキ、諦めたか」

王宮庭園で花を摘んでいるとアレンが後ろから声をかけてきた。

「まさか!でもちょっと待って」


侍女のミーシャ、護衛のルーカス、アレンを引き連れて私は庭園中をゆっくり歩き、目に留まった花や草を摘み取っていく。

摘み取った花達を一度綺麗な芝生の上に置き、選別し、花冠を作っていく。


「ミーシャ今週の分!ルーカスも!」

ミーシャには黄色を基調とした花冠を、ルーカスには青を基調とした花のブレスレットを渡した。

「「ありがとうございます!」」

2人とも手慣れた様子で受け取る。

私は毎週花で何かを作り二人と、その時声をかけたい人に贈っている。


毎週の恒例行事とすることで庭から毒草を摘み取ってもバレない。

「アレンも欲しい?」

にっこりと嫌味っぽく笑えば、アレンは眉間に皺を寄せる。


「くだらねぇ、誰がいるか!」

「使用人には結構人気なのに……そんなこと言うんだったらアレンには何もあげないから!」

「あぁそうしろ、ゴミが増えなくていい」


私はアレン用に作った花冠を抱きしめ、そっぽを向いた。そして心の中だけでほくそ笑む。

(うん、ここまでは順調)

私はアレンに勝つための計画を順調に進める。




アレンに渡さなかった花冠を抱き、アレン達と一緒に稽古場へ行くために廊下を歩いていると、正面から10代後半、銀髪碧眼の美青年が来た。

美青年は後ろに顔に大きな傷のある、金髪碧眼の女性を連れている。


女性はどこを見ているのか分からない虚ろな瞳だ。


「おや?これはこれは、花の妖精かと思いましたよ。お久しぶりです。サラ王女殿下」




美青年は芝居がかった口調で恭しく礼をする。


「えぇ、お久しぶりです。リーグランド様。今日はお父上の手伝いですか?」


美青年の名はケメス・リーグランド。

この国の宰相の息子であり、女性大好き、自分大好き、見栄っ張りで仕事が出来ないことで有名。


「そうなんです。まったく、私に頼りきりの父にも困ったものです」

「ふふっ、そうですね」

淑女らしく静かに愛想笑いをすると、嬉しそうに頬を緩め、ケメスは一歩詰め寄って来た。


「ここで会ったのはもはや運命ですね!サラ王女殿下、この後お茶でもいかがでしょうか?」


王女の私との婚姻を狙っているのか、まだ婚約者の決まっていない私に、ケメスはいつもしつこいぐらいに言い寄ってくる。

少女趣味というわけではなく、仕事で目立てない分、権力で目立とうとしているのがヒシヒシと伝わってくる。


なまじ女性からの評判が言い分、私がなびかないのはまだ私が子供で、自分の魅力に気が付かないからだと思っている節があり、とても面倒くさい。


「いえ、」

断ろうとした時に顔に傷のある女性と目が合った。


服装からして護衛と思われるが、女性の護衛というのは珍しい。

「そちらの女性は?」


そちらの女性と言われ、ケメスは訝しんで振り向く。


「あぁ、コレのことでしょうか?コレはまぁ、腕が良いので連れ歩いていますがサラ王女殿下に紹介するまでもありませんよ。それよりどうでしょう、この後お茶でも」

「……コレ、ですか?」


つい低い声で聴き返してしまい、ケメスの顔が曇る。

レトニア王国に奴隷の文化は無い。


ケメスはすぐに取り繕った笑顔になり、私の手を取り両手で包み込む。


私が包帯を手に巻き付けていることに一瞬眉を顰めたが、ケメスはそのまま手をさすってくる。


「コレの家族が病に陥っていまして、父とは別の私の屋敷で!特別に!面倒を見てやっているのです」


ケメスは自慢げに片方の手を自身の胸に当てる。


「その見返りとして付き人兼護衛として働かせています。ですが、学の無い下民は駄目ですね。野良犬よりは聞き分けがいいですがいやはや何とも、隣国の奴隷の調教法を学びたいものです」


小石を肌に擦りつけられた様な、と私の中に嫌悪とも軽蔑ともとれる不快な感情が沸き上がる。


「そんなことよりもこの後のご予定は?花の妖精さん?」


自分の見た目に絶対の自信を持っているのだろう。

碧い瞳をギラギラさせて顔を近づけてくる。


さすってくる手がとてつもなく気持ち悪いが、それとは別に私はアレンのことを考えていた。


チラリと後ろを気にすると、護衛のルーカスと侍女のミーシャは何とも言えない顔で握られている私の手を見ている。


恐らく平民の嫌いな典型的なタイプだろうに、アレンは昨日と同じで全くの無表情だ。


(やっぱり、自分の本音を隠すのが上手い。強いし、エリックが信頼しているなら私も信頼出来るし、絶対にアレンは欲しい)


順調に計画が進んでアレンに勝っても、アレンからの信頼がもらえなかったら意味が無い。


この状況はアレンに自分のことを知ってもらう良い機会ではないだろうかと考え、私は目の前の美青年に一泡吹かせることを自分の中で正当化する。



私はにっこりと子供らしい笑顔を作り、ケメスの手をキュッとかわいらしく握る。

「この後予定はありましたが……ケメス様とご一緒する方が楽しそうですね!」

「おや!それは嬉しい!」


あえてケメスをファーストネームで呼び機嫌をとったところで、私は握られていた手を引き、護衛の女性に近寄った。

「彼女に話しかけても?」

「えっ、えぇ」


私は女性に向き直った。

顔に大きな傷があり、どこを見ているのか分からない虚ろな目をしている。


「あなた名前は?」

「……傷物と呼ばれています」


「え?」

女性はケメスを見るが、その後俯いて何も話そうとしない。


「……そう、少しかがんでもらえる?」

私はふわりとアレンに渡す用に作った白を基調とした花冠を女性の頭の上にのせる。

そして、内緒話をするために顔を近づける。


「私も背中に大きな傷があるから傷物王女って呼ばれているの。おそろいね」


女性は虚ろだった目に少しだけ光を宿し、私を凝視した。


ふふっと笑って私は彼女を力いっぱい抱きしめる。


緊張しているのか、全身固まっていることが分かる。

女性にしてはとても筋肉質で固い抱き心地だった。

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