第9話 想いは加速する
日を追うごとに、作業はどんどん進んでいった。弁慶の下半身はほぼ70㎝の長さ。カッターで腿の部分を切り抜いていく。数枚を重ねて作り上げるのだが、「のりしろ」というんだろうか、これはカッターで切り目を入れて、折り返す。それを土台の段ボールにボンドで貼りつけ、穴を開けたところにビニールひもを通して、土台からはがれないように縛り付ける。そのまま貼ると立体感が乏しい。そこで、隙間に新聞紙を入れる。これで立体感が出てくる。
両足作ってみた。大失敗。森下が吐き捨てた。
「だめだね。細すぎるんだよ。これじゃ、力感が出ないよね。」
「山村、どう思う?」
「そう云えば、そうかな」
はっきり言えよ。なんで、長いものに巻かれるかな。
「決定、作り直しね」
森岡のミニチュアをもう一よく観察して、作り直した。腿の付け根を太く、膝がしらの付近は細く。膝から上を部分に分けて作成し、少しデフォルメした感じで作る。段ボールで腿の部分を立体的に作るために、パーツに分け局面を表現する。違う、全然違う。かっこええ。
こうして、嵐のように月日は過ぎていき、8月25日を迎えた。『義経』の下半身は鎧ものせて、武者らしくなってきた。
天赦園で竹下と進捗状況なんかを話していた。
「兜の細工が細かすぎてよ。おれには無理」
「そうかな、腿の部分の甲冑とか、ええ出来やったよ」
「頭に乗せる兜がな、無茶苦茶、細かい」
「それは、そうとよ、門田とはうまくいっとんか?」
「ああ、まあな」
髪をいじりながら吹っ切った表情で話す竹下の様子からすると、もうあきらめんたやろか。
「そういや、お前、5組の森下と付き合いよるんか?」
「はあー、誰から聞いたんや」
「おお、まあ、風の噂よ」
なんじゃ、そりゃ。
「からかわれとるだけよ。ええように使われとる」
「まあ、仲ようやれや」
そんなこと、誰が言いふらしとるんやろか?
本日の作業は終了。道具を片付けて、着替えたら、空から雨粒が、、、。あっという間に結構な降りになってきた。今日はたまたま自転車に乗ってきていなかった。
お袋が持たせてくれた傘を開き、校門を出て電停に向かおうとした時、文房具屋の庇の下で雨宿りをしていた森下を見た。
しまった、体操服忘れとる。疲れた足を引き摺り、体操服の入ったバッグを取りに、校舎に戻った。もう一度、文房具屋の前を通ると、森下が目力のある視線でおれを見ている。どこか気圧されている自分を感じる。
あいつ、誰か待っとるんやろか?見なかったことにしよう。電停に向かう。おれと同じように作業の終わった者が電車を待っている。狭い停留所からあふれそうだ。
まもなく市内電車がやってきた。みんなぞろぞろ動いて電車に乗る。ふと気づいてしまった。気づかなかったらよかったのに。
あいつ、この雨の中、電車に乗らんかったら、家までどうやって帰るんやろ。あいつの家までは歩いて帰れる距離ではない。タクシーかな、そんな訳はないよな。なんであんな所で、、、。
乗車ステップに足をかけた。傘をすぼめると冷たいしずくが首筋にかかった。思わずステップから足を下ろした。頭の中で森下の笑窪のある横顔がアップになった。。
やめた。この電車は見送ろう。どうせ、10分したら次のが来る。発車のベルが鳴る。おれはその電車を見送った。
文房具屋へと足が自然に向かう。
「やめとけ。彼氏とどっかに行っとる。もう、おらんて。あほやな」
文房具屋の角を曲がると、さっき見たままの姿で森下が立っていた。おれを見ると、
「ほら、やっぱり戻って来た。私の勝ち」
意味が分からん。
「ふざけるな。人の気持ちやら弄んで楽しいか!」
おれは傘を押し付けて、踵を返した。
気がついたら、ずぶ濡れで家の前に立っていた。晩飯は萩の叔母さんが作ってくれた。親父の長兄に当たる叔父貴が心配したんやろ。しばらくおって、食事やら、洗濯やらしてくれるらしい。ありがたい。
今晩は鶏肉を薄く切って、衣をつけて揚げたものに甘辛いソースとマヨネーズをかけて食べた。無茶苦茶旨かった。叔母さんにレシピを聞いて、ノートに書き残した。
部屋に戻ったおれは横になった。いつのまにか眠っていたが、不気味な音で目が覚めた。
「コッツ、コツ。」
窓ガラスをたたくような音がする。ここは2階、気のせいだろう、、。
「コッツ、ゴツ。」
薄気味が悪い。おれは起き上がって、窓を開いた。
その瞬間、おれの左頬のそばを小石が音を立てて通り過ぎた。部屋の中の何かに当たったのか、派手な音がする。石の飛んできたであろう方を見たとき、そんなことはどうでもよくなった。
「こんばんは。起きた?」
森下が笑いながら、こちらを見上げている。これは夢なんだろうか。
「降りてきてよ。傘持ってきたわ。話もあるの」
ふざけるなよ、ちょっと可愛らしいから云うてな、人の家の窓に小石を投げつけていいわけあるか。
「お前、何やってんだよ」
「電話番号が分からなかったから」
「それで、石投げるか?」
体育祭のことなど、しばらく立ち話をしたが、やぶ蚊に邪魔され、家の離れに彼女を誘ったが、離れには叔母の姿が見えた。そうだ、叔母がここで泊まるんだ。
「ごめん、帰るわ」
「そうか、悪かったな。家は何処なん?」
「うーん、知ってるかな、御法寺の近く」
「そうなんか、ここまで自転車で来たん?」
「そうよ、15分くらいかな」
「分かった。送って行ってやる」
「あんた、馬鹿ね。帰りの時間考えてる?」
雨は止んでいた。彼女は嘘をついた。ゆっくり漕いだせいもあるが、15分ではとても着かなかった。彼女の後姿を見て気づいた。思ったよりも、体つきがしっかりしている。お尻はとても立派だった。ペダルを漕ぐたびに彼女のお尻が揺れる。だからと言って、欲情しているわけではない。たぶん。彼女がブレーキをかけた。
「あそこよ。あれが私の家」
彼女の指さす先には、庭のある一軒家が見えた。怖気づくおれにはお構いなく、彼女はどんどん進んでいく。玄関のドアを開けて、こちらを振り向く。
「何してるの。入って」
ええ、大丈夫なんか?
「何、ビビってんの?」
おれは、彼女の家の駐車場の片隅に、自転車をとめた。
ダイニングキッチンでおれたちは向かい合っていた。
「家族はどこなん?」
「父は東京、母は神奈川の祖母のところ。コーヒーがいい?それとも何か、ジュースがいい?」
「コーヒー。ミルクがあったら、、、」
「ミルク?お子ちゃまじゃん」
やかましい。大人だってミルク入れてコーヒー飲んどるやろ。
彼女が席を離れ、オーディオセットの前で何かしていると思ったら、ギターをつま弾く音と乾いた歌声が聞こえてきた。
“町のはずれの
背伸びした 路地を
散歩してたら しみだらけの
靄越しに 起きぬけの路面電車が
海を渡るのが 見えたんです
それで ぼくも風をあつめて
風をあつめて 風をあつめて
蒼空を駈けたいんです 蒼空を“
なんだよ、訳のわからんこの歌詞。
「父親の趣味が移っちゃった」
親父さんの趣味か。
「私ね、実は中学3年の時、父親の転勤で、横浜から引っ越してきたの」
それでか、語尾に「~じゃん」って付くのは。おれは一生かかっても、そんな言葉を喋ることはないだろう。
「転校してきて、周りの子に向かって、普通に喋ったら、変な空気になるのがわかったわ」
なんとなく、わかる気がする。その場にいたら、『気取ってるんじゃないよ』、そんなことを思っただろう。
「でもね、この間あなたを見てたら、抑えていた訛りが湧いて出てきたわ」
「なんで、おれを見たら訛りが湧いて出るんや?」
「あなた、周りの人と違う『言葉』喋ってるのに、気が付いてない」
「気づいとるよ。生まれは石川、小学校卒業までは広島。自分で何弁を喋っとるんか、よう分からん。それより、神奈川弁も、訛りって言うんかな」
「大多数が別の方言なら、やっぱり『訛っている』んじゃない」
「なるほどね」
「広島弁が出んように気をつけとる」って言いかけた時、電話が鳴った。
“リリリーン、リリリーン、、、。”
電話の呼び出し音に咎められている気がした。
「もしもし、お母さん。こんな時間に何?」
こんな時間?、反射的に壁掛け時計を見ると、10時前だった。
「来週帰ってくるんでしょ?分かったわ。大丈夫だって。それなりにやってるから心配しないで。それじゃ、、、」
受話機を置いて振り向いた彼女と視線が重なった。
「遅くなったね。おれ、帰るわ」
「そうね。送るわ、玄関まで」
おれは玄関まで行くと、ドアの外で雨音がした。雨音はだんだん強くなる。森下がおれの傘を持って、玄関のドアを開けた。自転車で帰るのは無謀に思える雨脚だ。
森下はそっと、ドアを閉めた。
「30分だけ、雨宿りしよっか」
おれは無言で頷いた。
ダイニングキッチンに戻って、二人でビートルズを聴いた。青版のアルバムから『ワイル・マイ・ギター・ジェントリー・ウィープス』が流れてきた。間奏のギターが何度聞いてもかっこいい。
「ジョージ・ハリソン、かっこええ」
「私も、お母さんも大好きよ」
森下はアルバムをかえて、ターンテーブルの上に乗せ、針をそっとのせた。流れてきたのは、『エニー・タイム・アット・オール』
「あの放送びっくりしたわ。村上先生、元気にしてるの?」
「ああ、予備校の講師やっとる。元気にしとるらしいよ、福島先生によると、、、。お前のお母さんは何で神奈川にいっとるん?」
「うん、親戚の法事でね」
その時は彼女が嘘をついているとは知らんかった。でも、今はどうしてそんな嘘をついたんか、何となくわかる。
「そうか、おれんところは、この間、叔父の葬式が金沢であってな」
「そう、大変だったね」
この娘が悪いわけじゃない。でも、軽い返事に、興が冷めた。現実に引き戻された。それでよかった。芳人叔父の自殺やら、靖叔父の悪事やらを話しても、空気の悪うなるだけや。
帰ろう。彼女が出してくれたコーヒーの残りをあおった。
「やっぱり、おれ、帰るわ」
「どうしたの、怒ってるの?」
「いいや、そんな訳じゃない。あんまり遅うなるのは、ええことじゃなかろう?」
無理やり笑顔を作った。怒っているわけじゃない。何か、埋め切れない溝みたいなものを感じた。それだけや。帰ろう。
玄関を開けると、雨は小降りになっていた。振り返ると、森下は足元に視線を落として、つま先で下駄箱の角を突いている。拗ねた子猫みたいだ。後ろ髪を引かれる思いはあったが、それで残っても、きりがない。
「それじゃ、またな」
森下は黙って、頷いた。自転車に乗って気づいた。行きは緩やかな上り坂だったんだ。今は、軽くペダルを漕ぐだけで、勢いよく進んでいく。家まで15分弱で着いた。
彼女は嘘つきじゃなかった。
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