第6話 金沢より帰宅

 鉛のような体を引き摺り、登校すると、おれの周りはいつもと変わらない雰囲気で、なぜかほっとした。竹下はおれを見つけると近づいてきた。

「おお、金沢はどうだった」

「どうこうも、叔父貴の葬式やぞ。通夜があって、葬式があった。それだけや」

「そうか。今月のうちに例の義経な、ミニチュアを作って、ちゃんと動くかどうか、調べようってことになってな」

「あ、そうか」

「おい、やる気出せよ。月曜日から始めるからな」

「少し、休ませてくれ。いろいろあってな」

 竹下は不服そうだったが、おれの顔を見て、引き下がった。疲れて、萎んでいるのがわかるのだろう。


 お袋は金沢から帰って以来、体調を崩し、寝込んでいる。実の弟の葬式で、兄のあの様を見せられたら、無理もない。布団から体を起こし、寝間着のまま夕食を摂るお袋を見ていると、昔のことを思い出した。

 

 おれが小学校6年生の時には、子宮筋腫で子宮摘出の手術を受けた。その影響か、ホルモンのバランスが崩れたようで、若年性の更年期障害に苦しんだ。そこから、およそ10年、半年起きて、半年起き上がれないといった日々を過ごしていた。

 おふくろが元気でいてくれたら、わが家は明るい日差しが満ちていた。お袋が寝込んだ我が家は、太陽を失った感じになる。もちろん、誰かが炊事当番をやらなくてはならない。中学校2年生の時から、その役目はおれが担っていた。

 おれは、学校から帰って近くのスーパーに出かけた。使い古した緑の買い物かごを提げて。遠足のお菓子を買いに行くわけではない。晩飯の材料を買いに行く。お袋が寝込んだら、家族の中で飯を作れるのはおれしかいない。家を出るとき見たお袋は、起き上がるのもしんどそうだった。煮つけだな。魚屋のコーナーへ急ぐ。ここではなにかと世話になっていた。うわさ好きの近所のおばちゃん連中がおれの家の事情を話しているのかもしれない。

「おう、来たか。ひさしぶりやな」

「煮つけにする魚をください」

「わかった、今日は太刀魚やな。お袋さん、調子悪いんか?」

「ええ、でも、そんなに悪いってこともない。かな?」

 厚みのある太刀魚の切り身二切れを受け取り、金を払う。

 次は、肉屋。牛肉の細切れを200g。弟と親父は肉の方が好きだ。あとは、野菜。にんじんと玉ねぎはあったから、キャベツとピーマン。これで、肉野菜炒めだ。

 あとは朝食用のパンとミルク。

 おっと、忘れるところだった。アサリを買って、みそ汁だ、お袋が喜ぶ。他にサラダ油、諸々、、、。会計を済ませて、買い物袋に全部詰め込むと、意外に重かった。スーパーが近くでよかった。

 最初に魚の煮つけを作った。味醂をもう少し入れたらよかったのかな。少し、しょうゆが勝っている。次は、アサリの味噌汁、アサリの砂抜きはきちんとできているので、軽く水洗いして鍋に。ひたひたになるくらいに水を入れて、料理酒少々を入れて、火にかける。アサリが口を開いたら、灰汁を救って、味噌を溶かし込んで出来上がり。この味噌は近所の酒屋さんで売っている。大きな甕の中に味噌がたっぷり入っていて、必要なだけ量り売りをしてくれる。だから、味噌を買いに行くときは、小ぶりの甕を持って行った。

 煮つけ、アサリの味噌汁、冷奴に花かつおをふって、法蓮草のお浸し、これでお袋の飯の出来上がり。おっと、隣からもらった卵焼きを添えとかなくちゃ。

「お母ちゃん、できたよ」

 お袋はゆっくりと起き上がり、寝間着に薄手のカーディガンを羽織って布団に座り直した。

「ありがとう。太刀魚の煮つけやね」

 上手に箸を入れ、身を骨からはがし、煮汁に浸して口に運ぶ。

「うん、おいしいよ」

 お世辞とわかっているが、嬉しい。

「すこし、醤油が多かったかな」

「そんなことないわ。こんなもんでしょ」

「こんなもんか」

「すまないね。お前にこんなことさせて、、、」

「大丈夫や。たぶんおれはずっと一人もんやと思うけん、ちょうどええ練習じゃ」

「だらなことを、、、」

 あとは、肉を炒めて、適当に切った野菜を入れて火が通ったら、焼き肉のたれ。これで、それなりの味になる。


 ふと我に返ると、お袋はもう食事を終えて、床に就いている。お袋がいない男三人の食卓には会話がない。暗く沈んだ感じが拭えない。そんな時、無理に親父がプロ野球のネタで会話を盛り上げようとするが、かえって侘しさが募る。

 飯が終わり、三人で洗い物を済ました後、二階に上がろうとするおれを親父が呼び止め、書斎に連れていかれた。

「金沢から帰ってきてからというもの、お母ちゃんな、元気がない。お前、何か知っとるんやろ。何があった?」

 なんでおれに聞くんや。

「何があったんや?」

「おれは、詳しいことは知らん」

「お前の知っとることを話せ」

 おれは渋々、あったことを話した。思い出したくないことを簡潔に。聞き終わった親父はしばらく黙っていた。

「おれが行けばよかった」

 今更、何云うとるんじゃ。親父とおれの視線がぶつかった。

「お母ちゃんがな、あなたは来ない方がええって云うから、やめた」

 そんなこと、、、。だったら、最後まで黙っとりゃええやないか。

 これほど苦悩に満ちた親父の表情をおれは初めてみた。一刻も早く、この場を離れたかった。おれは、立ち上がり、親父に背を向けたまま自分の部屋に籠った。寝転んで天井の木目を見ていると、やり場のない怒りがこみ上げ、木目が滲んで見えた。


 

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