第5話 叔父の葬式 悲しみの果て

 家に帰ってみると、明日は学校どころではなくなっていた。金沢の芳人叔父が亡くなった。

 おれは幼いころ、おふくろが体調を崩したせいで、金沢に住む母方の祖母方に一年ほど預けられたことがある。お袋の弟である叔父は、自慢の車(日産ローレル)でいろいろなところに連れて行ってくれたり、おれがそれまで食べたことのないしゃれたケーキを食べさせてもらったり、いろいろと可愛がってもらった思い出が、おれの中のアルバムからぽろぽろこぼれ出てくる。

「病気やったんか?」

「ううん」

「どうしたん、事故か?」

「そんなもんかね」

 しばらくすると、堪えきれんかったんやろう。おふくろが嗚咽した。

「自殺よ。伏見の病院の屋上から、、、」

 

 心の中で耳を塞いだ。何で自殺なんか、、、。葬儀にはお袋とおれが行くことになった。何で親父は来んのか?仕事の都合か?

 数学も何も、全然頭に入ってこんかった。明日・明後日の欠席を担任の瀧さんに伝えた。

「おお、そりゃ、行かないけんね。お母さんの弟さんやね。忌引きの手続きはしとく。話は変わるけど、体育祭の装飾看板の件な、普段の年はほっといても、希望者がいっぱいおるもんやけど、どういうわけか、今年は全然おらんかってな。すまん、お前やったらと思ってな、、、」

 

 昨日連絡があって、明日の晩が通夜、明日の午前中に葬儀。慌ただしい。おれとお袋は朝一番の飛行機で伊丹に着いた。そこから、高速バスで京都まで。京都から金沢まで北陸本線特急「雷鳥」で2時間30分。

 4年ぶりに訪れた金沢駅は思ったより、人通りが少なかった。平日の正午前、時間的にそんなものなのかもしれない。いつもなら、近江町の知り合い宅に寄るところだが、今日はそんな暇はない。

 タクシーで寺町の菩提寺へ急ぐ。そこにはお袋の長兄にあたる靖叔父が待っていた。

 挨拶もそこそこに、葬儀社の人が来て、今後の流れについて説明し始めた。お袋は熱心に聞いていたが、叔父は上の空のように見えた。絶えず、せわしなく扇子を扇いでいる。せっかちな性分だ。

 この人は洒落者である。おれが幼いころ、泥大島の着流しで、雪駄を鳴らしながら香林坊を悠然と歩いていた。

「おお、わかった、わかった。わしも小僧じゃない。大体のことはわかっとる」

 叔父はうるさそうに担当者に話を打ち切らせ、おれとお袋を食事に誘った。


「聡志、おまえ、この間まで子どもやったのに、あっという間に大人になったな」

「叔父、4年も経っとるんよ。当り前やろ」

「おお、口も一人前やな」

 久しぶりに食った老舗のウナギのかば焼きは旨かった。

「茉莉、おまえ、残すんか。勿体ない。そやったら、聡志、母ちゃんの分も食うとけ」

 お袋は重箱をおれの方に押し出し、出されたほうじ茶に手を付けた。

「お兄さん、お墓のことがまだ決まっとらんでしょ。どうするんですか?」

「あー、おれがきちんとしてやる。あいつ、金も残さんと、迷惑のかけっぱなしじゃ。ほんまに、、、」

 お袋の顔が曇るのが、横に座ったおれにもはっきりと分かった。

「叔父さん、おれら朝が早かったけん、通夜まで宿に帰って、休んでええかな」

「おお、そうやな。そうせえ」

 叔父は旨そうにうな重をかきこんだ。年は56、髪の毛も薄くなっているが、精力的、いや、ぎらぎらした生命力を感じさせる男だった。おれや弟の前ではいい叔父を演じていたが、この男はいわば経済ヤクザで結構な羽振りだった。。

 宿に帰るタクシーの中で、お袋はずっと浮かない表情だった。

「お母ちゃん、何が心配なん」

 おふくろは表情をこわばらせ、しばらく黙っていたが、急に意を決したように話し始めた。

「聡志、お前には優しい叔父さんかもしれんけど、あの人はね、怖い人なんよ」

「お母ちゃん、そのことは何となく知っとるけど、剛叔父の葬式よ。靖叔父も無茶はせんやろ」

「そうやと、ええけど」

 靖叔父は数字に明るく、友達が経営する複合企業の会計を仕切っていた。昔のことである。叔父の会社はまともに税金は払わず、裏金を作って、闇の社会に金をばらまいていたらしいが、叔父は中心人物として関わっていた。そのことは剛叔父から聞いて知っていた。政治家とも関係があり、衆院議員選挙の時、選挙違反で書類送検されたこともある。

 まじめで几帳面な婆ちゃんは、

「我が家から“お縄者”が出た」と悲しんだ。

「聡志、靖叔父は信用するな」

 真剣な表情でおれに云って利かす剛叔父の顔が浮かぶ。その表情の裏には靖叔父に対する恐怖、不信感、そんなものが感じられた。

 おれが幼いころ、靖叔父の勤めていたパチンコ屋に連れていかれ、椅子に座ってパチンコを打って遊んでいた記憶がある。小学校へ上がる前である。そのことが、近所の人から祖母に伝わり、叔父はきつく叱られていた。

 だが、幼かったおれは靖叔父が好きだった。着流し姿がカッコよく、香林坊を歩くと、あちら関係の事務所にいる若い衆が腰を深く曲げて、叔父に挨拶していたのを思い出す。

 幼心に叔父はえらい人なんだと思い込んでいた。母に思いを寄せる父に、交際をやめるよう、脅したこともあったらしい。親父はそのことがあって、今回顔を出さないのかもしれない。お袋に聞いてみようと思ったが、やっぱりそんなことはできん。


 通夜は夕方の8時から始まった。剛叔父が死ぬ間際まで勤めていた職場の方、昔からの友人、知人、あわせて20名ほどだろうか。叔父の友人の話を今でも覚えている。

「よしちゃんな、母ちゃんが大好きやったろ。かあちゃんの亡くなってから、元気がのうてね。心配しとったんよ。気の優しい男やさけ、ショックやったんやろね。なにも、あんな高い所から、、、」

「隆さん、もうやめて、、、」

「すまんね。云うても仕方のないことをね」

「気の優しいやのうて、気が小さいやろう」

「靖さん、あんた云うてええことと、悪いことがあるでしょう」

 振舞酒に口をつけた叔父は噛みついた。

「どう云おうが、くずはくずよ」

「お兄さん!」

 お袋の鳴くような叫び声がおれの胸を刺す。

 おれはこの時はっきりと悟った。今おれの目の前にいるこの男は、おれの知っている気のいい靖叔父ではない。すべてのことを銭勘定で考える、鬼畜なんだ。おふくろは怯え、唇が震えていた。自分がどう感じていたのかは覚えていない。体が勝手に動いて、お袋の傍に座った。叔父を見ると、蛇のような目でおれを睨んだ。初めて見る叔父の裏の姿だった。裏か表かわからんけど、、、。

「ほう、母親を守ろうとするなんぞ、一人前やないか。偉うなったな。聡志」

 そう云うと叔父は裏の部屋に姿を消した。

 集まってくれた方たちも、興ざめの表情で帰っていった。母は葬儀社の人に礼を言い、気分がすぐれないので早めに帰りたいと話した。

 通りに出たが、あいにくタクシーが通らない。川沿いを歩いて桜橋を渡り、油車の入り口まで来た。懐かしい柿の木畠を歩いてみたいと母が言う。せっかく来たんだ、気分転換にもなるし、それもいいだろう。いつの間にか9時を過ぎていた。油車のあたりは、おれの幼い頃と変わりがないような気がする。曲がりくねった細い道沿いに急な傾斜の瓦屋根が特徴の古い家並みが並んでいる。

 お袋たちが棲んでいた柿の木畠の我が家は取り壊され、今では空き地になっている。更地になって改めて見ると、20坪足らずの狭い土地だった。幼い頃はあれほど広く感じたのに、、。

「ここに、一家5人住んでたのよね」

 母が呟く。同じことを考えていたのか。5人というのは祖母、お袋、雪叔母、靖叔父、芳叔父の5人か。

 雪叔母は戦争花嫁である。結婚数ヶ月で夫は出征、南方戦線で戦死。叔母は夫の死後も鏑木の名字を名乗り続けた。保険外交員で生計を立てており、趣味は競馬。仕事のない日、入江町の金沢競馬場に出かけるのが楽しみだったらしい。叔母はおれを溺愛していたらしい。風呂上がりのおれの顔に保湿クリームを塗ってくれた。右手の人差し指に小さく出したクリームを最初におれの額の中央に載せる。そして、左右の頬、鼻の頭、顎の先に、、。そして両手で優しく塗り伸ばしていく。その時の叔母の手の感触をいまだに覚えている。

「聡志、大学へ行きなさい。○○大がええわ」が口癖だった。独り身で苦労した叔母にとって、甥のおれが大学に通うようになるのは夢のようなことだったのかもしれない。決して裕福だったとは思えないが、積立貯金をしていた。おれの進学に備えてらしい。お袋はその話をするとき、決まって涙ぐむ。何度も聞いていると、やや鬱陶しかったが、おれにとっても思い出の家が更地になっているのを見ると、聞き慣れた話が心に沁みる。

「坂を登るのはしんどいから、回り道しようか。」

 お袋が指差したのは、小川沿いの細い道。人がすれ違うのがやっと。だが、片町への便利な抜け道で多くの人が利用していた。

 昔ながらの家並みが並ぶ、細く曲がりくねった道を抜けると、片町に出る。いつの間にか、道路がカラー舗装されている。風情も何もあったもんじゃない。馬鹿なことを。

 お袋が女学生のころ、おつかいで来た魚屋はすでになくなっている。この通りはいつの間にか観光地になってしまった。雑貨屋を右に曲がって、しばらく歩くと今宵の宿が現れる。

 

 宿の部屋に入ると、二人とも思ったより、疲れているのに気付いた。時間は9時30分。ふと、晩飯を食ってないことに気付いた。行きつけの洋食屋はもう店じまいだ。近くで開いているラーメン屋に入って、ラーメンと餃子を食べて帰った。

 部屋に帰り、着替えを済ませ、明かりを消して、並べてある布団に潜り込んだ。

「芳人はね、少し気の弱いところがあったけど、優しい子やったの。茉莉ちゃん、茉莉ちゃんて、私の後を追いかけてね」

「そう、おれも可愛がってもらったんや。叔父は車が好きやったやろ。ローレルやったっけ、あの車で水族館とか、松任とか、いろんなところへ連れて行ってもらったんよ。写真もあるはずよ」

「家にあるわ。あんたは、一年ほどここにおったさけね」

「そういや、婆ちゃんにいろんな店に連れて行ってもらったな」

「どこへ」

「うなぎ屋さんとか、うどん屋さんとか、焼き物を並べたお店とか、広くて立派な料理屋さん。どの店にも知り合いの人がおってね。今思うと、友達とか、知り合いの人におれを見せるために連れまわしとったような感じやった」

「うなぎ屋は○○でしょ。うどんは○○ね。うちはね、おばあちゃんが若いころは呉服問屋をしてたの。その頃のお友達ね、きっと。」

「なんで、おれを連れて回るん?」

「幼稚園の頃のあなたはね、死んだ友一叔父さんにそっくりだったのよ」

「沖縄で戦死したおじさん?」

「そうよ。死んだ友一叔父にあなたがそっくりだったから、きっと、叔父のことを知っている人たちに見せて回りたかったのよ」

「そういえば、店の人が『まあ、〇〇ちゃんそっくりね!』って、おれを見て言うてた気がする。おれって、友一叔父さんに似てるの?」

「小さかった頃はね。友ちゃんは歌がうまくてね。のど自慢嵐だったのよ。透き通って、伸びやかないい声だったわ」

「おれは歌はダメやわ。父ちゃんの血が混じっとるけんね」

「父さんのせいにしないのよ」

 お袋の隣で寝て、とりとめもない話をするのは何年ぶりだろう。体を起こしてお袋を見ると、お袋は目を閉じていたが、左の目尻から一筋涙が流れるのが見えた。

「聡志、お母さん怖いわ」

 何を指して怖がっているのか、口にしなくても理解できた。

「大丈夫やて、お母ちゃん。剛叔父の葬式なんやから、靖叔父も無茶はせんよ」

「そうやったら、ええんやけどね」

 その後も途切れ途切れに、お袋は不安を訴えた。だが、おれは、いつの間にか睡魔に負け、爆睡していた。


 小鳥のさえずりで目が覚めた。お袋は鏡台の前で化粧をしていた。見てはいけないものを見た気がして、眠ったふりをしていた。お袋が鏡台を離れ、トイレに入ったのを薄目で確認して、起きあがった。まだ、6時じゃないか。もう一度目を閉じたが、もう眠れないだろう。反動をつけて起き上がる。旅館の浴衣のまま、外に出る。

 子どものころ、この近くにドジョウのかば焼きを売る店があって、剛叔父に連れてこられた思い出がある。夕方になると、かば焼きをあてに升酒を飲むガタイのいい男たちの汗の匂いと、かば焼きの甘く香ばしい煙、酒に酔った胴間声が店に溢れて、幼心に猥雑な空気を感じていた。朧げな記憶を頼りに近くを探すが見つからない。ふと気が付いた。この界隈も新しい建物が増えた。きっと、あの店も今は別の場所で、甘く香ばしい煙を立ち昇らせているのだろう。

 広坂の教会は昔のままの姿で佇んでいる。金沢は不思議な街だ。自然が豊かで、街中を犀川、浅野川が流れているせいなのか、広坂の大樹の上に鳶がとまっていたりした。その樹を眺めに行ったが、今朝鳶はいなかった。 

 

 部屋に帰ると、お袋はもう着替えていた。おれも高校の制服に着替える。旅館の朝飯は旨い。まさか、のどぐろの干物が出るとは思わなかった。これと、飯、みそ汁、漬物で幸せを味わう。お袋も機嫌が直り、明るい顔をしている。おれもホッとする。


 葬儀は10時30分に始まった。仏事のことはさっぱりわからない。だが、段取りに従って、滞りなく葬儀は進んでいた。

 読経の中、焼香が行われ、お坊さんのあいさつ、ここまではよかったのに、、、。

 叔父が縁者代表で挨拶に立った。

「お忙しい中、弟の葬儀のためご参会いただき、感謝いたします。母は末っ子の弟を溺愛しておりました。少し風邪を引いただけで、坂の上の病院まで背負って連れて行っておりました。その弟ですが、決して褒められた人生を送ったとは言えません。それでも、こうやって集まっていただける方がいらっしゃることに感謝いたします。ありがとうございました」

 隣でお袋の嗚咽が聞こえる。何ちゅう挨拶するんじゃ、もっと言い方があるやろう。


 火葬場へ舞台は移り、亡骸を見送り、係から呼ばれるまで、昼食を兼ねた宴が開かれた。残っている人は10人もいなかった。

 叔父は胡坐をかき、肴を食らいながらビールをあおっていた。剛叔父の古くからの友人という方が来て、

「芳人君は心根の優しい人やった。不器用なけん、誤解を受けたかもしれんけどね、、、」

「優しいんじゃなくて、弱いんよ。そやさけ、飛び降りたりする。周りの迷惑も考えんと」

「靖さん、今日は剛さんの日やから、、、」

 注がれたビールをあおりながら、叔父は鋭い目つきで答えた。

「どう云おうが、あれがクズということに変わりはない」

 やっぱり別人なんや。昨日おれの胸に浮かんだどす黒い感情が今日も巻き上がり、はるか上空からおれの胸に冷水を浴びせかける。凍える血液が体中を巡り、おれの体を強張らせた。


 やがて知らせがあり、遺骨を拾って骨壺に収めた。そして、火葬場を後にして、菩提寺に戻った時にはもう夕刻になっていたが、おれは一刻も早く、家に帰りたかった。

お袋がおれに袱紗の包みを住職に渡すように言づけた。住職に包みを渡し、縁側で寺の中庭を見ていた。枯山水というのだろうか、古木の松、白砂利、緑のグラデーションを織りなす絨毯のような苔。庭を眺めていると、涙が込み上げてきた。

 着物の擦れる音に振り向くと、おれの右側に住職が立っていた。

「若いのに、枯山水に興味がありなさるか」

「いいえ、詳しいことはわかりません。以前、京都の龍安寺の庭を一度見たくらいです。あの庭は歴史の教科書や美術の教科書に載っていました」

「それを知っとるんなら、充分。話は変わるが、今度のことは、残念やったね」

「色々あったんかもしれませんが、芳人叔父はおれに優しくて、いい叔父でした。僕に言えるのはそれだけです」

「それも、それで充分じゃないかな」

 その時、奥の部屋で叔父の怒鳴る声がした。おれは、立ち上がり、奥の部屋に向かった。

「やかましい!ワシがきちんとする、そう云うとるやろ」

「お兄さん、あの子の墓のことも考えて、お金を、、、」

「やかましい。お前は聡志連れて、さっさと帰れ!」

 襖を開けると、部屋の真ん中で仁王立ちになった叔父がお袋を見下ろしていた。瞳は蛇のような怪しい光を放っていた。おれは体が再び強張るのを感じた。それと同時に怒りと悲しみが混じり合った感情が湧きあがり、おれを別の人格にしてしまった。そして、憤怒に衝き動かされるままに動いた。

「靖叔父、お袋の言うことはわかったんやろ。おれは、お袋を連れて帰る。もう、これ以上お袋を泣かすなや!」

「おう、一人前の口を利くやないか。わしをなめとったら許さんぞ!」

「ああ、許してもらわんでええ。お母ちゃん、もう帰ろう」

 叔父の怒声を背中で聴きながら、お袋の手を引いて、部屋を出た。しばらく川沿いの道を歩いていたら、タクシーが来たのでつかまえ、宿に向かった。

「お前を連れてくるんじゃなかったね」

「もうええんよ、お母ちゃん」

 おれの手を握る、お袋の細い指と手の温もり、体の震えをおれは忘れない。


 どこへ行くこともなく、古くからの知り合いの洋食屋でオムライスを食い、早々に床に就いた。二人とも疲れていたのだろう。深い眠りについた。

 翌朝は9時過ぎの「雷鳥」で京都へ、そこからバスで伊丹へ、空路を使って家に帰ると、4時を過ぎていた。心身ともに疲れ果てた2泊3日だった。


 その晩、夢を見た。芳人叔父のローレルに乗って、河北潟の近くを走っている。北陸特有の低く垂れ込めた雲の隙間から木漏れ日が差す。冬なんだろうな。

 芳人叔父はご機嫌でハンドルを握っている。海の見える丘に出た。叔父とおれは兎の跳ぶ海をボーっと眺めていた。

「おれも船乗りになればよかったんかな。聡志、お前は大きくなったら、船乗りになるんか?」

 中学の頃のおれの夢は外国航路の船乗りだった。このことはおふくろしか知らない。

 これは夢や。気づいてしまった。芳人叔父とローレル、そして兎が跳ぶ海がフェードアウトしていく。目が覚めた。4時20分か。昨日の晩は10時に寝とったから、睡眠時間は充分ということか。

 寝ている家族を起こさぬよう、足音を忍ばせて、1階の階段下の本棚からアルバムを持ち出した。

 机の上に広げて、明かりの下、写真を探す。あった、これだ。柿の木畠の家の前で、ローレルをバックに、サングラスをかけた芳人叔父の横に5歳のおれが映っている。若い叔父は、腕を組んで立っているが、カメラから目をそらしている。人見知りの叔父はレンズと視線が合った写真が残っていない。この癖はおれに受け継がれる。誰が撮ったんだろう、雪叔母かな。

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