第4話 阿呆にも明日はやってくる

 ぼんやりした頭でトーストを焼き、冷えたミルクで流し込む。いちごジャムが切れていたのは誤算だった。

 午前中は英語と科学の勉強でつぶれた。昼間に勉強できる奴は凄いと思う。昼食後、満腹のためか眠気に襲われ、畳に転がり込むと、当たり前だが、いつの間にか気を失っている。

 目覚めると3時になっていた。昨日の数学のプリントを見返してみるが、やっぱりわからん。中島の下宿へ行ってみるか。


 中島の下宿は学校から歩いて3分、おれの家からは自転車で5分くらいのところにある。部屋のドアをノックすると、ごぞごぞと何かが動く気配がする。もう一度、ノックしようとしたその時、中島が顔を出した。

「山村、悪いが帰ってくれ」

 頭を掻きながら、部屋の方を目配せをする。なるほど、彼女が来ているということか、、、。そりゃ悪かったな。

「おお、また、今度な」

 まっすぐ家に帰る気にもならず、思案していると竹下のことが頭に浮かんだ。

「あいつ、門田とうまくいっとるんかな」

 竹下の家は、自転車を真剣に漕げば、ここから5分かからない距離にある。野次馬根性が湧いたおれは、奴の家を目指した。

 竹下の家の近所まで来た時、前から歩いてくる女の人に声をかけられた。

「山村君、元気?」

 竹下の姉ちゃんだった。県立図書館で働いている。

「はい、なんとか。幸一は?」

「さあ、どっか、出かけて行ったわ」

 怪訝な顔をしているおれに向かって、姉ちゃんは、こっそり秘密をばらした。

「デートがね。うまくいかなかったみたいよ」

「はあ、そうなんですか」

「今のは秘密だからね。弟に言っちゃだめよ。かなり、へこんでたから」

「わかりました」

 返事をしながら思った。あいつは姉ちゃんに何でも相談するんやな。おれには理解できん。

「そろそろ帰ってくる頃だと思うから、上がって待つ?」

 姉ちゃんと話をするのも悪くないとは思ったが、帰ってきたあいつに何言っていいかわからん。

「今日は遠慮しときます」

「そう、じゃ、またね」

 彼女に頭を下げて、来た道を引き返した。大通りを渡ろうとした時、通りの向こう側に竹下の姿があった。車の切れ間をぬって、あいつはおれの所にやってきた。

「おお、どうした。こんなところで何してる」

「ああ、数学の宿題、さっぱり分からなくてな、、、」

 咄嗟についた嘘にしては、上出来だと思う。


 竹下の部屋は2階にあり、窓を開け放つと、風が通り、居心地がよかった。あいつは窓際に腰掛け、黙って窓の外を見ていた。普段なら、明るく話しかけてくるはずやのに、、、。不意にふすまが開いて、姉ちゃんが入ってきた。

「山村君、麦茶しかなかったわ。我慢して」

「いいえ、ありがとうございます」

 姉ちゃんは竹下の肩を叩きながら、

「暗い顔して、元気出しなさいよ」

「もう、ええけん、はよ出てや」

「嫌いやって、言われたわけじゃないんやろ。フラれたわけやないんやから、、、」

「うるさい、はよ出ろや」

「はい、はい」

 姉ちゃんは笑いながら出て行った。その瞬間奴はおれに詰め寄り、泣きそうな表情で声を絞り出した。

 

「お友達のままでお付き合いしたい。それって、『これ以上近づかないでって』ことやろ。なあ、山村?」

「うーん。おまえ、近づいたん?」

「頬っぺたに、キスした」

「なるほど、そうか、、、」

「明日からどうしたらええんかな」

「おれにそんな難しいことはわからん。彼女もおらんし。中島に聞けや」

「中島んち、行こうか?」

「だめや、坂本ちゃんが来とる」

「なんだよ、、、。えっ、おまえ、中島んち行ったんか?」

「行ったよ。坂本ちゃんが来とったけん、お前んちに来たんや」

「そうか、、、」

「ところで、お前何しに来たん?」

「中島んちを出て、ふらふらしとったら、お前のお姉さんに会ってな」

「それで、おれんとこに?」

「ああ、そうや」

「暇だね、お前も」

「わかったわ、そろそろ帰る」

「待てよ、一緒に中島んち、行ってみんか?」


 おれたち二人は並んで、自転車をこいでいた。

「坂本ちゃんの気配がしたら、すぐ帰ろ」

「そうやな」


 あっとういう間に中島の下宿に着いた。2階の中島の部屋の窓が開いている。二人で自転車を降り、鍵をかけ、もう一度見上げた時、その窓から中島が顔を出した。

 中島は驚きの表情を浮かべ、一瞬部屋の中に引っ込んだが、数秒後もう一度窓辺に現れた。顔の前、両手で大きな✖を作ると、窓を閉めた。

 竹下とおれは、顔を見合わせ、諦めの表情を浮かべ、自転車の錠を開錠して、それぞれの家に向かった。声を出すのも億劫だった。

「山村、またな」

 おれは右手を上げて、応えた。壮大な時間の浪費だった。いつの間にか、夕日が差す時間になっている。


 月曜日は授業は午前中で終わった。午後、学校林へ竹を切りに行くやつが集められた。竹下の陰謀のせいでおれはこのばかばかしい仕事に駆り出された。くそ暑いのに長袖に着替えにゃならん。1年生の時も下草刈りに行かされた。半袖では、擦り傷、ひっかき傷は必須。加えて、虫刺されもある。くそったれ。

 校門を出てしばらくは県道を歩いているが、山が近づくにつれ、道幅は狭くなり、大八車と対向車がすれ違うのも神経を遣うようになってきた。そりゃ、職務質問も受けるわな。

 丘の登り口に着き、坂道を上ること10分、竹が生い茂る学校林に到着。作業着を着こなした年配の方が5人おられて、作業の説明をしてくださった。その方たちがお手本として、鋸を使って竹を根元から切る。根元から4m50㎝までの部分を使い、そこから上は鋸で切り落とす。節から生えている下枝は、選定ばさみの化け物みたいなやつで切り落とす。これは女の子がやってくれる。この切り口が鋭くなるので、引っ掛けると簡単にシャツが破れる。

 男4人組で一本の竹を切る。生の竹だから、簡単には鋸の歯が進まない。175㎝60Kgのやせっぽち(おれ)では、歯が立たない。4人のうち一人は柔道部、もう一人は野球部。この二人は鍛えたいい体をしている。やっぱり、鋸を持たしても、切り進むスピードが違う。

 おれたちは倒す方向を間違えないように、慎重に倒し、寸法を測り、余分を切り落とす。この頃にはやぶ蚊との戦いになってくる。痒みに気づくと、袖をまくり上げた腕に噛まれた跡が点々と見える。気が利く女の子が虫よけのスプレーをかけてくれたが、元気のいい(近づいてくるときの羽音が家蚊とは桁違い)山の蚊には効かないんだろうか?

 おれたちが4本切り終えたところで、大方の作業は終了した。でかい竹を二人一組で大八車まで運ぶ。20本ほど伐採したと思う。

 その後、大八車3台に竹を乗せて運ぶ。これが思ったより危険。ほっとくと坂の下まで突っ走るだろう。それをブレーキ代わりに、前で4人くらいが足を踏ん張ってこらえる。途中、何回か交代しながらおりていく。坂を下り切ったころには大腿四頭筋が悲鳴を上げていた。

 平地に降りてからは、交通量が結構あるところを運ぶので、周りの車に気を遣った。

 出発してから約4時間後、学校に着くと、竹を所定の場所に積んで、もう一度講堂に集まったときには、疲れ切って声も出なかった。

 黒板に所属するグループの立看板の設計図が貼られていて、今後の活動計画が発表された。おれたちのグループは京の四条の橋の上で、弁慶と義経が出会う場面を作るらしい。

 前の方で役員の男子が叫んでいる。

「お疲れさまでした。これから読み上げる人以外はお帰りください。山本大介、中山紘一、坂田誠二、、、」

 おれは力なく立ち上がり、出口へ向かっていた。

「山村聡志、帰っちゃだめだよ」

 おれが振り向いて抗議の声を上げようとしたその時、グラサンをかけた瀧さんが腕組みしていた腕を解き、おれを手招きしている。しまった。振り返るんやなかった。

 集められた20人の中にはもちろん竹下もいた。前の方で5人くらいが話し合っている。その輪が解けて、竹下がやってきた。

「おまえな、義経の下半身をほかのやつと一緒に作ることになったけん」

「わかった。疲れすぎて頭が働かんけん、今日はもう帰る」


 教室で着替えて、荷物をまとめて校門まで歩いてくると、

「山村君、ちょうどいいところに来たわ」

 福ちゃんか、今日は勘弁して。

「かわりに水遣りしとって。お客さんなんよ。」

 先生、今日はと言いかけた時には、福ちゃんは部屋の中に入っていった。

 こんな学校辞めちゃる。明日は休んじゃろか。

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