第72話 離脱

神戸の小料理屋の女将から聞かせてもらった話


常連客の社長が坂を歩いていると


坂の向こうからやって来る若い女性が、電動ではない黄色の街乗り自転車を漕いでいるのだが


ハイギアのままギアチェンジできないのか、一生懸命ペダルを漕いでいる割には、前に進んでいない


ガーガーガーガー足元は必死に漕いでいる割に顔は無表情


じーっと見入っていると、社長の視線に気付いた女性がキッ!と睨んできた


社長が歩いてきた歩道は少し坂道を上っていたのだが


その女性は逆に、坂の天辺から下りに差し掛かった辺りにいて


今度は両足を地面に付け、トン・トン・トンと、下ろう下ろうとする自転車を止めながらやってくる


ブレーキも効かんのか?


よく見ると自転車は擦り傷だらけ

フレームも曲がっている


どうすればそんなボロボロになるのか笑


すれ違った女性を振り返ってみる


社長の5mほど後ろを上ってくる、初老の男性の連れていた犬が女性側に膨らんできて


女性がそれを避けた瞬間、ふらふらガッシャン!


転けたというか、自転車を倒したというか・・・本人は倒れずに済んだが


「あっ大丈夫?!」


男性に手助けされながら自転車を起こした女性は


少し足元を気にしながら、自転車を押して再び歩き出す


見送る男性の後ろで社長も見ていたが、犬が何かに近付く


それに気付いた男性


「ちょっと!チェーン落ちてるよ?!」


少し振り返った女性だったが、軽く会釈してそのまま行ってしまった


何だか訳が分からんな・・・坂の天辺まできた社長


見下ろした坂道の500mほど先に十字路があり、なにやら人集りができている


なんだ?


近づくにつれ、それがまだ起きて間もない交通事故の野次馬だと分かる


人集りの隙間から見えた光景は


フロントガラスが割れてボンネットのひしゃげた赤の軽自動車


その先に転がるボロボロの黄色い自転車と、うつ伏せに横たわり微動だにしない女性


ふと気づけば隣に、犬を連れたあの初老の男性が立っている


「あの子、さっきのお姉さんやね・・・事故に遭ったの、気付いてないんかな・・・」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る