第36呪 大人の腹の中は呪われている💀


 男が目を覚ますと、真っ暗な闇の中にいた。


 確か自分はホテルにいたはずだ、と男はその日の行動を思い出す。


 夕食はチェーン店の牛丼屋で簡単に済ませ、ホテルに帰ってシャワーを浴び、備え付けのバスローブを羽織ったままベッドに寝ころんだ。


 テレビ、とくにゴールデンタイムにやっているお笑い芸人たちの下世話なバラエティ番組が嫌いで、家から持ってきた文庫本の小説を読んでいた。


 そして――眠くなった覚えもないのに、いつの間にか寝ていた。


 いや……、寝たのではなく、おそらく


 なぜこんなことに?

 ここはいったいどこだ?

 だれの仕業だ?


 気になることはいくつもあるが、そのいずれの問題よりも、先ほどからずっと反響している人の声が気になって仕方がない。


「なんで妹は二重なのに、私のまぶたはこんなに分厚いのかな」


「どうしてあいつが内定をいくつも貰えるのに、俺はいまだに内定をもらえないのはなぜだ? 俺の方が絶対に優秀なのに」


「こんなに勉強しているのに、なんでアイツに勝てないんだ。アイツさえいなければ俺は」


「好きで貧乏な家に生まれたわけじゃない。オレだって金さえあれば、もっと幸せな人生を送れていたはずだ!!」


「俺の好きな子は、どうせみんなアイツが持っていくんだ。隣に立ってる俺のことなんて誰の目にも入ってない」


「ママはいつもおとうとのことばっかり。きっとわたしのことなんかどうでもいいんだ」


「男は良いわね。出産も、育児も、洗濯も、なんでも女に押し付けて。自分はちょっと料理しただけでお皿も洗わずにドヤ顔。あとは仕事だって言えば許されると思ってるんだわ」


 男女を問わず、年齢を問わず、人が人をうらやみ、ねたみ、そねむ声。

 

「あんさんらだいね!? どこにおっと? なんばしよっと?)

(あなたたちは誰なんだ!? どこにいるんだ? なにをしてるんだ?)


 男は闇の中に問いかける。

 しかしその問いに返事は無く、ただ一方通行の恨み言だけが戻ってくる。


 男は両手で闇をかき分けながら、足を一歩ずつ前に進める。

 その手に触れるものは無く、足元が見えないまま進むことに恐怖だけが募った。


 四歩、五歩と進んだところで、男は再び腰を落とした。

 たったこれだけのことでゼェゼェと息切れしている。


 恐怖が精神と体力を削り、上がった心拍が呼吸を早めているのだ。

 男にはこれ以上、先に進むことが出来なかった。


「おいはどがんすればよかとやろか……」

(俺はどうすればいいんだろうか……)


 男は途方に暮れてつぶやく。

 もちろん、返事が戻ってくることはない。


      💀  💀  💀  💀


「協会さんの仰ることはわかりますが、弊社もそんなに余裕があるわけでは無いんですよ。正式にご発注頂いているお客様の案件を後回しにするというわけにはいきませんから。ええ。ええ。そうですね。申し訳ありませんが。はい、失礼します」


 大手ダンジョンブレイク企業『SeaWaterシーウォーター』の社長である清水は丁寧に電話を切り、ツーツーとビジートーンが鳴ったことを確認すると、フンと鼻を鳴らした。


 電話はブレイカー協会からの依頼。

 内容は、いま都内を賑わせている肥大化するダンジョンのブレイクサポートだったが、清水はあくまで丁重にお断りを入れたところだ。


「協会からの依頼を断ってしまってよろしかったのですか? 人材を回す余裕は十分すぎるほどございますが……」


 秘書の桂木が尋ねると、清水はニヤニヤと笑って言った。


「まだ早い」

「は?」

「もっと広がって大規模災害となれば、それをブレイクした我が社の株もうなぎ登り。そうだろう?」

「それは……、確かに」


 桂木の脳裏からは、いま被害に遭っている人々とこれから被害に遭うであろう人々のことが離れない。

 なにより、その中に桂木自身の知人や身内が含まれないとは限らない。


「それにな。あの会社はもっとしっかり痛い目に遭わせておかにゃならん」


 あの会社、とは言うまでもなく『クイックラッシャー』のことだ。

 前々から目障りだった新興企業が、隠ぺい工作という不祥事で自爆した――にも関わらず、ほんの2カ月程でまたしても業績を伸ばし始めた。


「ゴキブリのような生命力を持っとるからな。二度と業界に戻ってこれんくらいの痛手を負わせるにゃ、まだまだ被害が足りんのだ」


 今回の肥大化するダンジョン、大元となっているダンジョンがどこで、どの会社がブレイクを受注しているか、といった情報は簡単に手に入れることが出来た。


 それがハエのように自分の周りを飛び回る『クイックラッシャー』だとわかったとき、清水は思わず笑ってしまった。


 これは清水だけでなく、都内にある大手ダンジョンブレイク企業の経営者たちのほとんどが同じ気持ちだった。


「今のペースなら、明日の朝くらいがちょうど良い頃合いだろう。もしまた協会から連絡が来るようなら『ブレイクを受注している会社が契約を破棄して、我が社に引き継ぐなら検討できる』と条件を出してみろ。まあ、あの会社に受注放棄の判断が出来るとは思えんがな。ガハハハハハハハ!!」


 清水は背広を小脇に抱えると、大笑いしながら社長室をあとにした。


 清水の読みは正しい。


 クイックラッシャーの臨時役員会においても、二次攻略が失敗した時点で契約破棄の選択肢は議論された。

 そして却下されている。


 しかし清水は大きな間違いを犯していた。

 クイックラッシャーが早期にこのダンジョンをブレイクしてしまう可能性を考えなかったことだ。


 クイックラッシャーが業績を伸ばした原因を詳細に調査していれば、いま業界で噂になっている『中学生のコスプレイヤーみたいな恰好をしたバケモノのようなブレイカー』とクイックラッシャーの関係値に気づくことも不可能ではなかったはずだ。


 もちろん清水のところにもバケモノのようなブレイカーの噂は届いていた。

 だが、彼はそれを一笑に付して調査は行わない決断を下していた。


 会社全体でブレイクした成績を優秀なブレイカーひとりに集約させるよくある不正だ。どうせ近いうちにどっかの会社の不正が協会から発表されて終わりだ、と。

 

 清水の腹黒い企みは、バケモノのようなブレイカー――高坂ユウマと邪龍ナイドラ――によって粉々に打ち砕かれることになる。




――――――――――――――――――――

💀SeaWaterシーウォーター

 清水⇒しみず⇒しーみず⇒Seaみず⇒SeaWater

 死ぬほどくだらないダジャレの社名ですが、有名企業の社名って案外こんなもんだったりしますよね。

 花王(顔)とか、BOBSON(ボブが損する)とか、EDWIN(江戸が勝つ)とか。

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