第26呪 お前のスーツ姿は呪われている💀


 ユウマと別れたミサキは、その足で母が眠る病室へと向かった。


 普段は医師と看護師以外は訪れる者のいない静かな病室。

 ピッ、ピッ、ピッ、ピッ、と規則正しく鳴っている電子音が、彼女が生きている証だ。

 

「ママ、遅くなってごめんね。これからはなるべくママのそばにいるから」


 決して返事がくることはないが、ミサキは語り掛ける。


「前回連れてきた男の子、いるでしょ。ユウマって言うんだけど、すごくいいヤツなんだ。ちょっとバカなんだけどね」


 ミサキが空気を入れ替えるために窓を開けると、少し冷たい風が入り込んできた。

 同時に、子供がはしゃいでいる声や工事の音がシンとしていた病室をにぎやかす。


「初めて会った時は、甘いこと言ってるこどもがいるぞ、くらいの印象だったんだけどなぁ……」


 風が吹くと、母の前髪がフワリと揺れた。

 額に残っている傷は、幼いミサキを自転車から庇ったときについた傷だと聞いたことがある。


「昨日も、ママの手術代を稼ごうって一緒にダンジョンに行ってくれたのよ。会って間もない知り合いのために、普通そこまでする?」


 病室の外をパタパタと走る音がする。

 看護師さんだろうか、それとも他の患者さんの見舞客だろうか。


「命を天秤に掛けてでも私を助けたい、ですって。そんなこと彼氏にだって言われたことないわ。ちょっと……いや、かなり変わってると思う」


〔 たしかにあやつは変わり者じゃな 〕


 女神の透き通った声が頭に響き、ミサキは彼女のことも母に紹介することにした。


「そうだ。私、女神と友達になったのよ。美の女神なんだって。私みたいな童顔のチンチクリンに美の女神なんて、ちょっと皮肉よね」


〔 わらわはお前と友となった覚えはないんじゃがな 〕


「えー。いいじゃない。同じネコ好きの同志ってことで。だから、今から友達。ネコ友よ。ね?」


〔 ネコ友か。その響きはちょっとカワイイのぉ 〕


「そういうことで、いま友達になったわ。猫好きだから、きっとママとも気が合うと思うんだ……だから、目を覚ましてくれないかなぁ」


 頭では諦めたつもりでいたが、いざ面と向かうとやはりそう簡単には割り切れない。

 なにかの奇跡で母が目を覚ますことを、どうしても期待してしまう。


〔 こやつが目覚めても妾の声は聞こえんぞ 〕


「分かってるわよ、そんなこと。いいじゃない、そんな未来を想像するくらい」


 コンコン、と扉をノックする音。

 ガラララと扉が開いてナースカートをひいた看護師が病室に入ってきた。


「あら、ミサキさん。いらっしゃってたんですね。あれ? おひとりですか?」


 女神との話し声が聞こえていたのだろう、見舞客がミサキひとりだと知って小首を傾げる。


「はい。母がいつもお世話になっております。これからはなるべく母のそばにいようと思って」


 ミサキの言葉に、看護師は優しく微笑んだ。


「ぜひ、そうしてあげてください。きっと、お母さまも喜ばれると思います。……親子水入らずのところ申し訳ないんですが、ちょっと体温を計らせて頂きますね」


 看護師が手慣れた様子で母の体温を計り始める。

 ミサキはその間、病室の窓から外を眺めて、ユウマは今頃なにをしているのだろうか、と思いを巡らせた。



 T区にあるオフィスビル。

 ユウマは着慣れないスーツにネクタイを締めて、とある会社の会議室に座っていた。


 オープンフィンガーのレザーグローブがスーツの袖から飛び出している。

 腕に巻かれた包帯はスーツの袖に隠れているが、アンバランスであることに変わりはない。

 

 テレビでこういう格好をしているウィッシュなミュージシャンがいたな、などと思いながらユウマは人を待っていた。


「おお、ユウマ! 久しぶりじゃないか。なんだ、その恰好……お前、スーツが絶望的に似合ってないな」


「それはお互い様って言いたいところっすけど、セイジ先輩は結構似合ってますね。真っ赤なメタルアーマーも良かったっすけど、スーツ姿もイケメンっすよ」


 ここは『クイックラッシャー』の会議室。

 ユウマはこの会社で経営企画室の社員として働いているセイジと、再会の握手を交わした。


 陽光タワーの後に病院で会って以来だから、1ヵ月以上会っていないことになる。

 セイジがブレイカーをやっていた頃は、毎週のように現場を共にしていたので、なんだかとても懐かしい。


 髪の色が黒くなっていて、一瞬、誰だか分からなかったのは秘密だ。


「こんなところですまないな。あと時間もあまりないんだ。急ぎだって話だったから会議をちょっと抜けてきてるんだ」


「そうなんすか!? 会社勤めって忙しいんですね……」


「そうなんだよ。同じ会社所属でもブレイカーと会社員って全然違うんだよ。それにほら、俺はスタートが遅いから覚えることも多くて……ってそんな話はいいんだよ。さっさと本題に入れ」


「そうっすね。すみません。セイジ先輩……あの、お金、貸して貰えませんか?」


「おう。いくらだ?」


「1億円っす」


「はっ!?」


 さっきまでニコニコと笑っていたセイジの顔が、驚きのあまり大きく口を開けたまま固まっていた。


「いちおくえん、っす」


「いや、別に聞こえなかったわけじゃねぇよ。……それ、普通に考えて知り合いから借りる額じゃねぇだろ」


「どうしても必要なんす! 俺、セイジ先輩のほかに頼れる人いないし。……来月には絶対返せるんで! 一瞬、一瞬貸してください!!」


 必死で頭を下げるユウマを見て、セイジはうーんと唸りながら「個人的に貸すのは無理だけど」と前置きの上でひとつの提案を出した。


「まあ、今のユウマなら……そうだな、うちの会社と専属契約してもらえるなら契約金として支払えない額じゃない」


「本当ですか!! 今日貰えます!? それとも明日!?」


「バカ言うな。まずは社内でダンジョン攻略部にお前の紹介をして、専属契約の稟議りんぎを通して、それから契約書を交わして、って色々と手続きがあるんだよ。早くても3ヶ月くらいかかる」


「……それじゃ、間に合わないんすよ」


「なんか理由があるんだろ? ちょっと話を聞かせろよ。」


 うな垂れるユウマに、セイジが優しく声を掛ける。


「はい……。あっ、でも先輩、会議があるんじゃ……」


「バーカ。かわいい後輩が困ってるのに会議なんか出てる場合かよ」


 セイジが大きな目でウィンクをして、席に座るように促す。


 そしてユウマの話をひと通り聞き終わると、腕を組んだ姿勢で静かに口を開いた。


「そういうことなら……ひとつ心当たりがある。そうだな、……いいニュースと悪いニュース、どっちから聞きたい?」



 残された時間は9日間。



――――――――――――――――――――

💀専属契約

 高ランクのブレイカーになると、企業が専属契約をしてくれることがある。

 他社の仕事は受けられなくなるが、契約金はもちろん成果報酬もあり、装備品や消耗品を企業が用意してくれるといったメリットがある。

 なにより自分で仕事を探さなくても、企業側がバンバン報酬の良いダンジョンを用意してくれるので、結果的にフリーの頃より収入が高くなるブレイカーも多い。

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