第31話 ひもじい
僕は燃えていた。美咲さんの漫画や、少年ジャンピングの新連載のマンガに刺激を受け、僕は漫画を描きまくっていた。描きたくて描きたくて仕方なかった。漫画を描く情熱が僕の中に次々と溢れ出していた。
「しかし・・」
しかし、それにしてもお腹が空いた。昨日の晩から何も食べていない。かれこれ二十時間近くは経つだろうか。高校を卒業したとはいえ、まだまだ成長期。僕は食べ盛りだった。
「石森氏、なんかない?」
守也氏が僕の部屋にやって来た。空腹なのはみんなも一緒だった。
「この豊かな時代に飢えてるのって僕たちくらいじゃないでしょうかね」
「そうだな」
僕が言うと守也氏がうなずく。僕と守也氏は赤木氏の部屋に行った。
「赤木氏、なんかない?」
「売れ残りのバナナがありますよ。商店街の八百屋で安く売ってたんですよ」
僕たちは赤木氏の部屋に入った。
「これです」
赤木氏が棚の奥から、バナナの束を取り出して来た。
「黒いね」
守也氏がバナナを見て言った。
「黒い」
僕も見る。そのバナナは黒かった。真っ黒と言ってよかった。
「おおっ、すごい」
守也氏が目を丸くして感嘆の声を上げる。しかし、その黒いバナナはうまかった。
「うまいね」
「うまいですね」
守也氏の問いかけに僕が答える。本当にうまかった。
「水木しげる先生が貧乏時代、古いバナナを食べていたっていうエピソードをなんかで読んだことがあったんですよ。それで、商店街の八百屋を探したら、ちょうどあって、すごく安かったんで買っといたんです」
「へぇ~、そうなのか」
守也氏がバナナを食べながら感心する。
「しかし、うまいね。もしかすると普通のバナナよりもおいしいよ」
「そうですね」
僕も同意する。
「なんか熟した方が甘味とか、栄養分が増すとかあるらしいんですよ」
赤木氏が言う。
「そうなのか」
「それでか」
僕と守也氏はさらに感心する。僕たちはもりもりとバナナを食べた。しかし、古いバナナにこれほど感動できる自分が、僕は少し悲しかった。
「でも、なんか余計お腹空きますね」
みんなで一房あったバナナを全部食べ尽くすと僕が言った。
「ああ、そうだね」
守也氏が答える。中途半端に何かを食べると余計にお腹が減る。
「松葉のラーメンが食べたいな」
守也氏が遠くを見るように言う。
「ええ、豪華に餃子をつけてね」
うっとりと松葉の手作り餃子を頭の上に思い浮かべながら僕が言う。
「僕はチャーハンをつけたいですね」
赤木氏も夢見る少女のように言った。
「うううっ、なんかほんと食べたくなってきたな」
守也氏が唸るように言う。
「はい」
僕。
「でも、お金ないですよ」
赤木氏。
「うん」
「・・・」
全員沈黙。僕たちは、貧乏とひもじさに打ちのめされる。
「こうなったら」
沈黙を破り、守也氏が突然言った。僕と赤木氏が守也氏を見る。
「なんか手があるんですか」
僕が訊く。
「こうなったら」
「はい」
「こうなったら」
「はい」
「金を借りよう」
「結局それですか」
僕と赤木氏が呆れる。
「また借金かぁ」
赤木氏が天を仰ぐ。
「他に道があるか?」
守也氏は僕たち二人を見る。
「・・・」
なかった。
「誰に借りるんです?」
僕が訊いた。
「あの人しかいないじゃないか」
守也氏が言った。
「そうですねぇ」
僕と赤木氏が同時に答えた。
僕たちは美咲さんの部屋に行った。
「あの・・」
僕たちは美咲さんの前に三人並んで正座した。
「何?」
机に向かって漫画を描いていた美咲さんが振り向く姿勢で僕たちを見る。
「あの・・」
僕たちは横目でお互いを見る。
「何よ」
「あの・・」
「お金貸して欲しいんでしょ」
僕たちが口を開く前に美咲さんが先に言った。
「えっ」
僕たち三人は一斉に顔を上げる。美咲さんは全部お見通しだった。
「いいわよ」
僕たちの心配をよそに、美咲さんはあっさりとオッケーしてくれた。
「えっ」
僕たちは目を剥く。
「やったぁ~」
そして、僕たちは子どものように喜んだ。
「はい」
「うおおおおっ」
三万円あった。
「いいんですか」
僕が美咲さんを見る。
「いいわよ」
美咲さんは太っ腹だった。僕たちが期待していたのは千円ほどだった。
「出世払いでいいわ」
「ありがとうございます」
僕たち三人は、一斉に美咲さんに頭を下げた。
「後光が見えますよ」
守也氏が言った。
「大げさね」
「本当ですよ」
僕が言った。本当に美咲さんが神様に見えてくる。
「私もすっからかんだわ」
「えっ」
「結構いい原稿料もらったんだけどなぁ」
美咲さんはあっけらかんと言う。
「もう全部使っちゃったんですか」
僕が驚いて訊く。
「うん」
「漫画家になったら原稿料とか、印税とかいっぱい入ってくるんじゃないんですか」
赤木氏が訊く。
「原稿料はもらったけど、それは大半はてらちゃんに借金返済で返しちゃったし、印税はまだもらってないし。単行本出てないから」
「美咲さんもてらちゃんに借りてたんですね」
僕は初めて知った。
「うん」
「・・・」
ここの人たちはことごとく社会性のない人ばかりだった。
「借金で原稿料なくなるって、どんだけ借りてたんですか」
「まあ、ちょっとずつ、長年積もり積もってたからね」
「長年・・」
僕もそうなるのだろうか。自分の未来を見ているようで、少し不安になった。
「あんたたちもマンガが売れたら返せばいいのよ」
「なるほど・・」
でも、それはマジメに働いて借金を返すよりも難しいような気がした。
「美咲さんは大丈夫なんですか」
人のいい赤木氏が心配して訊く。
「まあ、大丈夫じゃない。また来週原稿料入ってくるわけだし、連載はあるわけだし」
「いいですね連載があるって」
僕は心底から呟くように言った。
「うん、生活が安定するわ」
「俺たちもがんばらないとな」
守也氏が言った。
「そうですね」
僕と赤木氏が言った。僕はさらに燃えてきた。今はなんだか漫画が描きたくて描きたくてしょうがなかった。
地獄まんが道 ートキワ荘の青春ー ロッドユール @rod0yuuru
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