第14話 美咲さんと鵺野くん
「えっ、あたりなしでいきなり描くんですか!」
僕は驚く。美咲さんは、あたり無しでいきなり枠の中にキャラクターを描き込んでいく。その日、僕は、頼んで美咲さんの漫画を描くところを見せてもらっていた。
「そうよ」
美咲さんは当たり前みたいに言う。
「・・・」
信じられなかった。しかし、美咲さんは実際あたり無しで、スラスラと、しかも何か写真を写しているかのような完璧なデッサンで、まっさらな枠の中に次々絵を描いてゆく。
「す、すご過ぎる・・」
その正確なデッサンと線は、下書きなしで、いきなりペンで描いても、描けるんじゃないかとさえ思えた。
「は、速い」
しかも、滅茶苦茶描くのが速かった。これだけのクオリティーの絵を、十六ページさらさらとなんの躓きも迷いもなく描き上げていってしまう。しかも、絵は緻密で複雑で繊細だ。
「どんな頭の構造をしているんだ・・」
常人にはない何か異常な何かすらを感じた。
僕が驚いている間にもスラスラと絵はどんどん描き上がっていく。
「やっぱり、すごい」
やはり、それは超絶技巧だった。そして、あっという間にキャラの部分が描き終わると、今度は背景の絵を描き始める。それは非常に複雑で細かい絵なのだが、それも正確にスラスラと描いていってしまう。
「はあ・・」
思わずため息が出る。そのペンさばきはそれだけで見ていて美しさすらあった。こんな人もいるのだ。僕はただただ驚くばかりだった。
「週一の連載なんてわけないわ」
美咲さんが、漫画を描きながらさらりと言う。
「・・・」
僕は言葉もなかった。週間連載はかなりしんどいと聞く。どの漫画家さんの話を読んでもそういう話は出てくる。それを訳ないと言ってしまえる美咲さんはやはりすごかった。
「う~ん」
僕はうなる。でも、実際、この技術とペースなら、それもそうかもしれないと思った。それほど美咲さんの手は速く、精緻だった。
「まっ、内職みたいなもんね」
「内職・・」
そう言いながらも、美咲さんの手は止まることなく、どんどん漫画制作は進んでいく。
「漫画なんて文字を書くように描けばいいのよ」
美咲さんはかんたんに言う。
「えっ、いや、それは普通、絶対無理だと思いますけど・・」
そんなの普通の人間には絶対に無理だ。美咲さんの漫画を描く感覚がもうなんだかおかしかった。
「さあ、出来た」
「えっ、もう終わったんですか」
「うん、下書きは終わったわ。あとは午後に君ちゃんが来て、これを見てもらってGOが出れば、ペン入れで終わり」
「・・・」
すご過ぎる・・。多分、ペン入れもこのペースなのだろう。
「さあ、これで、私の好きな漫画が思いっきり描けるわ」
しかも、さらにこれから漫画を描くと言う。
「・・・」
何か参考になればと、美咲さんの漫画を描く現場を見させてもらったが、すご過ぎて何の参考にもならなかった・・。
僕も少しは絵に自信があった。小さい頃から絵が好きで、ずっと暇さえあれば描いていたし、同級生からバカにされがちな僕だったが、それでも絵だけはクラスの中で一目置かれていた。小、中学校と、絵画コンクールでは何度か賞も取ったことがあるし、何か全国の小中学生の優秀な絵を集めた作品集にも載ったことがあった。でもやっぱり世の中には上には上がいて、そして、その中にもさらに化け物のような絵の天才がいる。僕は、またさらに自分に対する自信を、くらくらと意識を失うかのように失いかけていた。
「うをっ」
茫然としたまま僕が美咲さんの部屋を出て、廊下を歩いていると、誰かが廊下の端にぬぼ~と立っていた。僕は滅茶苦茶驚く。
「・・・」
僕はその人を見る。それは鵺野くんだった。
「鵺野くん来てたんだ・・」
何か鵺野くんは、ある種異様とも言える独特の雰囲気があり、どこか不気味だった。多分、美咲さんとの打ち合わせでやってきたのだろう。それにしてもなぜここに立っているんだ・・。そこは廊下の唯一と言ってもいいくらい、日の当たらないジメジメとした暗い一角だった。
「美咲さんに会いに来たの?」
鵺野くんは無言で小さくうなずく。
「美咲さんは部屋にいるよ」
僕がそう言うと、鵺野くんはやはり無言で小さくうなずき、幽霊が移動するみたいにスーッと美咲さんの部屋の前まで行くと、そのまま幽霊が消えて行くみたいに、入り口の襖の開いたままの美咲さんの部屋に、スーッと入って行った。
「・・・」
僕は、そのまましばらく美咲さんの部屋の前を見守った。
「うおっ」
そして、その後、しばらくして、美咲さんの部屋から、美咲さんの驚く大きな声が聞こえた。
「俺、あの子なんか苦手だな」
いつものように守也氏の部屋に赤木氏と三人で集まりだべっていると、あまり人に対して好き嫌いがなさそうな守也氏がぼそりと言った。
「僕もなんか・・」
僕も何か近寄りがたい何かを感じていた。
「僕も・・」
そこに赤木氏も同調した。人の良さでは誰にも負けない赤木氏が言うのだから相当だ。
「なんか、変なとこでニターって笑うんですよね。あの人。なんで笑っているのかが分からないんですよ」
赤木氏が気味悪そうに言った。
「うん、なんか何を考えているのかも分からないしな」
守也氏。
「美咲さんが苦手って言っていた意味がなんとなく分かりますね」
僕。
「うん」
赤木氏がそれに頷く。
その時、美咲さんの部屋の方で何か話し声がした。僕たち三人は部屋の入り口の襖を開け、顔を出して廊下を覗く。すると、美咲さんの部屋から丁度鵺野くんが出て来るところだった。鵺野くんは、部屋から出ると、そのまま、またナメクジが二本足で歩いて行くみたいに音もなくヌーっと帰って行った。
「・・・」
僕たちは無言でその後ろ姿を見つめた。
「しかし、あの鵺野くんて何者なんですかね」
僕が呟いた。
「なんか、独特の雰囲気あるよな」
守也氏が言った。
「はい」
正直、やっぱりあまり関わりたくない感じのする人だった。
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