第13話 美咲さんの返事
「見せて」
美咲さんは、守也氏の手にあった原稿をひったくるようにして手に取った。
「・・・」
そして、ものすごい真剣な顔でそれを読み始めた。
「・・・」
何度も何度も原稿を読み返し、読み終わった美咲さんが顔を上げた。
「・・・」
やはり、美咲さんも度肝を抜かれているのがその表情で分かった。しかし、美咲さんは描くとは言わなかった。プライドが、美咲さんの中の凝り固まって、膨張した強烈な自我が、それを邪魔していた。
「やっぱり・・」
美咲さんが、重そうに口を開いた。
「アルバイト感覚でやってみたら」
そこに君子さんが被せるように言った。
「えっ」
全員が君子さんを見た。
「美咲さんなら、週一の連載くらいわけないでしょ。だったら、これで、お金を稼いで、そのお金で美咲さんの描きたいものを描けばいいじゃない」
「・・・」
美咲さんは黙った。その手があったか。僕はうなった。
「こんなチャンス、もう二度と無いわよ」
最後に君子さんがダメ押した。それが決定打だった。僕たちは美咲さんを見た。
「・・・」
美咲さんはしばし固まったように黙考した。
「・・、分かったわ・・」
そして、ついにあの美咲さんがうんと言った。
「すごい」
僕は君子さんを見た。
「すごい」
この人はやはりただ者じゃない。僕は思った。君子さんはしてやったりといった顔で、思いっきりドヤ顔をして腕を組む。
「負けたわ」
さすがの美咲さんも負けを認めた。
「これは絶対当たるよ」
守也氏がもう一度原稿を手に取り、それを見ながら興奮気味に言った。
「はい」
僕もそう思った。この原作に、美咲さんの絵のうまさ、表現力が加われば当たらないはずがない。僕も確信した。
さっそく、その場から、君子さん美咲さん鵺野くんの三人で、新しい漫画の打ち合わせと創作が始まった。僕たちは、お邪魔なので守也氏の部屋に引っ込んだ。美咲さんの部屋は三畳間しかない。
「あれは絶対当たるよ」
部屋に帰って、開口一番守也氏が興奮気味に言った。
「ええ、あれは絶対人気出ますよ」
僕も同意した。
「ついにこのトキワ荘から、本物のプロの漫画家が出るんですね」
赤木氏が、興奮気味に言った。
「しかも、売れっ子作家だよ」
守也氏。
「そうですね」
赤木氏。
「あの鵺野くんもここに住むのかな・・?」
その時、僕がふと疑問に思い、首を傾げ言った。
「さあ、どうなんでしょう」
赤木氏も首を傾げる。
「空いている部屋はあるけどね・・」
守也氏。
「でも、ジャンピングで売れたら、もうコミックスなんか何百万部とかですよ」
赤木氏が言った。
「そうだよ」
守也氏。
「アニメ化ですよ」
僕も続く。
「そうだよ。もう、すごい全国区だよ。日本中の人気者だよ」
守也氏は興奮気味に鼻息荒く言った。
「そうですよね」
赤木氏が言った。
「印税とかがばがば入って来て、こんなアパートすぐ出てっちゃうよな・・」
守也氏が急にトーンダウンして言った。
「そうですね・・」
赤木氏が呟くと、そこでみんな黙った。
「美咲さん、出てっちゃうんですね・・」
赤木氏が寂しそうに言った。
「ああ、でも、あの性格だからもうすんごい、白亜の御殿なんか建てちゃうんじゃない」
守也氏が言う。
「ありえますね」
赤木氏。
「そしたらみんなで遊びに行こう」
守也氏が言った。
「はい」
僕と赤木氏は元気に答えた。
「僕、美咲さんのアシスタントに使ってくれないかな」
僕が言った。
「いきなり志低いな」
守也氏がツッコむ。
「ははははっ」
そこでみんな笑った。
「よしっ、前祝いだ」
「えっ」
見ると守也氏の手には昨日の残りの焼酎があった。
「いつの間に」
僕が驚く。いつの間にか美咲さんの部屋から持ってきたものらしい。
「昼間からですか」
赤木が言う。時刻はもう昼近くにはなっていたが、それでも、まだ午前中だ。
「いいじゃない。こんなこと滅多にないよ」
「そうですね」
まじめな赤木氏も同意した。
「じゃあ、僕キャベツ炒め作ってきます」
赤木氏が立ち上がる。
「おお、頼むよ」
守也氏がうれしそうに、両の手の平をこすり合わせながら言った。やはり、美咲さんどうこうというよりは、酒が飲めて盛り上がれれば、なんでもいいらしい。美咲さんうんぬんは口実っぽかった。
「じゃあ、美咲さんの前途を祝してかんぱ~い」
赤木氏がキャベツ炒めをもって戻ってくると、守也氏がチューダーを高々と掲げた。
「かんぱ~い」
僕と赤木氏もグラスを高々と掲げる。僕たちは美咲さんの前途を祝って乾杯した。
「いや~、でも、寂しいようなめでたいような複雑な気持ちだね」
守也氏がチューダーを飲み、顔を少し赤らめながらしみじみ言った。
「そうですね」
僕たちはちょっとしんみりした感じになった。まだ、売れたわけでもないのに、僕たちは勝手に盛り上がっていた。
その時、突然入り口の襖が開いた。
「わっ」
みんな驚く。美咲さんだった。美咲さんが鬼の形相で入り口に立っていた。
「だから、なんで私を無視して酒盛りしてんのよ」
「いや、だって、連載とか始まるわけで、忙しいでしょ?・・」
守也氏がたじろぎながら言い訳する。
「忙しくても飲むっていつも言ってるでしょ」
美咲さんはズカズカと守也氏の部屋に入って来て、僕の隣りにどかりと座った。
「私にもチューダー」
「は、はい」
僕はすぐにコップを茶箪笥から取り出した。
「打ち合わせはいいんですか」
赤木氏が美咲さんに訊く。
「もう、終わったわよ」
「えっ、もう終わったんですか」
僕が驚く。
「うん、とりあえず私がキャラ描いて、コマ割りと構成にあたりをつけてからもう一度よ」
「そうですか」
そういうものなのか。僕はリアルな漫画の現場の話を聞いて、漫画の制作過程を知った。
「あの原作だったら絶対当たりますよ。みんなそのことを話してたんですよ」
赤木氏が言った。
「はい、チューダー出来ました」
僕が美咲さんにチューダーを渡す。
「ありがとう」
美咲さんはそれを受け取る。
「でも、私、なんかあの子苦手なのよね」
美咲さんが受け取ったチューダーに口をつけながらぼそりと言った。
「えっ」
みんな美咲さんを見る。
「なんか嫌な予感がするわ」
「何ですか嫌な予感て」
僕が訊く。
「嫌な予感よ」
美咲さんは、また呟くように言った。
「やっぱり、自分の漫画だけを貫くべきだったわ」
美咲さんが後悔を滲ませながら言った。
「・・・」
それはどうだろうかと、みんな思った。でも、みんな黙っていた。
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