第11話 美咲さんの漫画

「なんかすごい人だね」

 僕が赤木氏を見る。

「うん、悪い人じゃないんだけど、なんか豪快な人でね・・」

 赤木氏が少し笑いながら言った。僕たちはすっかり暗くなって、人通りのなくなった住宅街を酒屋に向かって歩いてゆく。

「あの人も漫画を描いているの?」

 漫画を描くような人には全然見えなかった。

「うん、美咲さんはものすごく絵がうまいんだ。もうほんとプロ並み。いや、プロの中でもすごいかな。ほんとすごいんだ」

「へぇ~、じゃあ、もうどっかで連載してるの?」

「いや、全然・・」

 赤木氏が困ったような顔で言った。

「えっ、なんで?」

 僕は赤木氏を見る。

「う~ん」

 そこで赤木氏が、腕を組み渋い顔で首を傾げた。

「ストーリーがねぇ・・」

「ストーリーがダメなの?」

「う~ん、うん」

「そうなのか」

「絵はうまいんだけどねぇ・・」

「そんなにストーリーがダメなの?」

「う~ん、なんかねぇ・・」 

 赤木氏はうなってしまう。

「こう・・、なんて言うか、う~ん」

 赤木氏はさらにうなる。

「う~ん・・、なんかね・・、つまらないんだ・・」

 赤木氏はついにはっきりと言った。

「そんなにダメなんだ・・」

「美咲さんくらい絵がうまかったら、それだけで適当なストーリー乗っけるだけでも連載できそうな気がするんだけど・・」

「そんなにつまらないんだ」

 僕は驚く。

「う~ん、うん」

 赤木氏はさらに考え込んでしまう。

「あの器用さはアシスタント向きだって、君子さんは言っていたけどね・・」

「へぇ~、そうなんだ」

 僕は、そこで昼間、僕に力強く指を差す君子さんの姿を思い出した。

「僕もそう思うな・・、アシスタントとかの方が美咲さんには向いている気がする・・。それに、美咲さんくらい絵がうまかったら引く手あまただろうし・・」

 赤木氏がうなるように言った。

「なんでやらないの」

「まあ、あの性格だから・・、人の言うことは・・」

「ああ、なるほど・・」

 なんとなく分かった。

「それになんか・・」

「それに・・」

「いや・・」

 そこで赤木氏は困ったような顔をして黙ってしまった。


「あれ?」

 僕と赤木氏が焼酎を一本買って帰ると、守也氏の部屋には誰もいなかった。狭い部屋を見回すが、部屋はやはりもぬけの殻だった。

「あっ、石森氏、こっちこっち」

 その時、廊下の方から声がした。赤木氏の後ろにいて、まだ廊下にいた僕が、左を見ると、僕の部屋の隣りのAV女優の人の隣りの部屋から守也氏が顔だけを出して、手招きしている。どうやら、二人は美咲さんの部屋に行っているらしい。僕たちは美咲さんの部屋に行った。

「うわっ」

 美咲さんの部屋に入った瞬間僕は驚く。その部屋は漫画の原稿と、資料であふれかえっていた。壁にも、所狭しと資料や絵が貼ってある。

「す、すごい」

 僕は美咲さんの部屋を見回す。

「・・・」

 この部屋を見ただけで、美咲さんの漫画への情熱が分かった。

「おっ、待ってました」

 その時、美咲さんが、そんな僕の手に持つ焼酎を発見して、うれしそうに手をこすり合わせた。そして、ボトルに手を伸ばす。

「守也君に新作見てもらってたんだ」

 焼酎を手に取ると、美咲さんはさっそく自分でチューダーを作り始めた。

「そ、そうなんですか・・」

 赤木氏が答える。

「今回のは自信があるんだ」

 美咲さんが、完成した濃い目のチューダーを片手に自信満々に言った。

「そうですか・・」

 答える赤木氏と僕は原稿を持つ守也氏を見た。

 守也氏は、なぜか僕たちに助けを求めるような苦悩した表情で僕たちを見てくる。僕はその意味が分からなかった。

「石森氏も見るかい」

「はい」

 僕は原稿を受け取り、その場に座った。

「す、すごい」

 その絵の緻密さ正確さ、表現力、キャラの魅力、美しさ、カッコ良さ、全てが完璧だった。

「で、でも・・」

 しかし、読み始めてすぐ、何か違和感を感じる。ストーリーが、いまいちだった。いまいちというか・・、はっきり言ってつまらなかった。

「・・・」

 僕は原稿を持ったまま固まる。これだけ絵がうまくて表現力があれば、それだけで何か漫画として成立しそうなものだが、しかし、なぜか、まったく成立していない。

「・・・」

 なぜだ・・。

「なんか・・、ダメでしょ」

 赤木氏が顔を近づけてぼそりと言う。

「う、うん・・」

 何がおもしろくないのかは分からないのだが、やっぱり何かおもしろくない。しかもかなり・・。

「おもしろいでしょ?」

「え?」

 すると、そこに美咲さんが僕にものすごい期待を込めたキラキラとした眼差しを向けてくる。

「えっ、ええ・・」

 僕は答えに困る。

「絶対おもしろいわよね。ね?今回のは自信あるんだ。ねっ、おもしろいでしょ」

「えっ?・・・」

 僕は答えに窮した。僕は赤木氏を見る。

「・・・」

 赤木氏も僕に視線を振られておろおろする。

「おもしろいわよ。絶対。でも、なんか私の漫画ってウケないのよねぇ」

 自分で自分の他の漫画の原稿をしげしげと眺め、美咲さんは何度も呟く。

「ねえ」

 そして、同意を求めるように僕たちを見る。

「は、はあ・・」

 僕たちは三人は答えに詰まりながら、あいまいな笑顔で適当に相槌を打つ。

「いつもこんな感じで原稿を見させられるんだ」

 守也氏が僕の耳元に顔を近づけ囁く。

「・・・」

 僕たちは、まるでジャイアンリサイタルを無理矢理聞かされているのび太君たちの心境だった。

「漫画家なのに漫画音痴・・」

 なるほど、赤木氏がなぜ美咲さんの話をしていた時、最後、困った顔をして黙ったのかが分かった。美咲さんは自覚がないのだ。音痴の人が自分の音程のズレにまったく気づかずに、熱唱しているような感じで、まったく自分でそのズレに気付いていないのだ。

「・・・」

 僕は、もう一度美咲さんの漫画の原稿を見つめた。絵はうまい。絵はうまいんだけど・・。僕はうなった。

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