第9話 チューダー
「今日は僕の部屋に泊まっていけよ」
守也氏が言った。
「えっ、いいんですか」
「うん、いいよ。布団は野々村さんに借りるから」
三人で漫画談議に花が咲き、なんだか、もう家に帰るのも億劫になっていたので、この話はうれしかった。
「じゃあ今夜は乾杯だな。石森氏の歓迎会も兼ねて」
守也氏が赤木氏を見る。
「はい、じゃあ、チューダーですね」
赤木氏が言った。
「うん」
「チューダー?」
僕が訊く。
「ここの定番なんだ」
守也氏が答える。
「じゃあ、僕サイダー買ってきます」
「ああ、頼むよ。焼酎はまだ残りがあるから」
赤木氏は立ち上がり、部屋を出て行った。
「あの・・」
「なんだ?」
「電話あります?」
一応親に電話を入れとかないといけない。
「ああ、大家さんとこだ」
「えっ、このアパートにはないんですか」
「うん、僕らも言っているんだけど、電話だけはなかなかね。まっ、すぐ隣りだから。大家さんに布団借りに行くからついでに行こう」
「はい」
このアパートには電話がないのか・・。
「守也さんは携帯とか持っていないんですか」
「ああ、ないない。そんなハイカラなもん」
「そうですか」
もちろん、僕も最近、急に出回り始めたばかりの携帯電話など持ってはいなかった。しかし、同級生などはもうすでに持っている者もいた。
「それにここは携帯禁止だから」
「はい?」
「それにお金も無いしな。ははははっ」
守也氏はそこで笑った。
「・・・」
携帯禁止・・?また、さらりと出て来た突然のトンデモな新しいルールに僕は困惑する。
「あっ、それとさんとかいらないから。ここではみんな何々氏と呼ぶんだ」
「そうなんですか」
「うん、ここでは上も下もなくみんな平等。だから、さんとかくんとかそういうのをなくしているんだ」
「へぇ~、そうなんですか」
僕はそこには感心してしまった。
「おばさん、また、布団貸して下さい」
僕たちは、二人して野々村さんの家に行き、玄関を開けた。
「あっ、守也さん、もう、さっき部屋にいたんでしょ」
野々村さんが、玄関口に出て来て守也氏に少し怒りながら言う。
「へへへっ」
守也氏は、いたずらな笑みを浮かべ頭をぽりぽりとかく。
「お家賃は?」
「へへへっ、すみません」
「もう、仕方ないわねぇ」
でも、結局、人の良い野々村さんは、守也氏を許してしまう。そして、布団を貸してくれた。
「ありがとうございます」
布団を受け取りながら、守也氏が言う。
「あっ、石森氏には電話を貸してください」
「奥にあるわ」
野々村さんに導かれるように家の中に入って行くと、そのままリビングに通された。そこの端に電話はあった。
「どうぞ使って」
「く、黒電話・・」
そこにあったのは昔懐かしの黒電話だった。
「だ、ダイヤルが重い・・」
ダイヤルを回すと、この合理性と軽量化の時代をあざ笑うかの如く、ひ弱な現代っ子の僕の指を突き指させそうなほどの重量感があった。
「ちゃんとご飯食べてるの」
僕の電話も終わり、守也氏と二人帰ろうとすると、野々村のおばちゃんが言った。
「ええ、まあ、はははっ」
守也氏が、後頭部をポリポリと掻きながら、あいまいに笑う。
「これ持って行きなさい」
すると、一回奥に消えた野々村さんがそう言って、菓子パンの袋とお菓子とお饅頭を僕たちに渡した。
「ありがとうございます」
やはり、野々村さんは相当に人が良いらしい。それを受け取り、僕らは再び守也氏の部屋に戻った。
部屋に戻ると、すでに赤木氏が一・五リットル入りのペットボトルのサイダーと共に、部屋に戻っていた。
「僕キャベツ炒め作ってきます」
そう言って、赤木氏は再び部屋を出て行った。
「さあ、始めようか」
「はい」
借りて来た布団を部屋の隅に置くと、守也氏は、ガラスコップを三つ部屋の端に鎮座していた古風な茶箪笥から取り出し、部屋の中央に置かれた古い昭和の丸テーブルに置くと、そこに赤木氏の買ってきたサイダーを注ぐ。
「このサイダーに焼酎を入れてね」
その上から焼酎を少し入れる。
「へぇ~、これがチューダーですか」
そういえば、まんが道にもよく出ていた。まんが道に出てくる登場人物たちはみんなで一つの部屋に集まり、そこでよくこのチューダーを飲んでいた。
「キャベツ炒め出来ました」
そこに大皿を持って赤木氏が戻ってきた。
「おっ、待ってました」
そう言って、守也氏が大きく手を叩く。
赤木氏はそれを、丸テーブルの真ん中に置いた。
「キャベツ炒めですか」
僕がその大皿を覗き込む。
「うん、これが中々うまいんだ」
守也氏が言う。
「キャベツだけはいっぱいあるんで」
赤木氏が笑顔で言った。
「食べてみて」
守也氏が言った。
「はい」
僕はさっそく箸でつまみ上げる。
「うん、うまい」
濃い目の塩コショウがピリリと効いてうまかった。
「これがチューダーとよく合うんだ」
守也氏が言う。
「じゃあ、石森氏の僕らの仲間入りにかんぱ~い」
守也氏が高らかに言うと、僕らもチューダーの入ったコップを持ち、高く上げた。
「かんぱ~い」
突然ではあったが、僕の新しい生活がここで始まろうとしていた。突然過ぎてなんだかまだ色々整理できてはいないが、でも、少しだけなにか希望と期待を感じている自分がいた。
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