第8話 訪問者

「ところで一体このアパートはなんなんですか。あの君子という人はいったい・・」

「まあ、それはおいおい分かるよ」

 守也氏が呑気に言う。

「はあ・・」

「しっ」

「えっ」

 その時、突然守也氏が、人差し指を唇に当て、険しい顔をした。

「動いちゃだめだ」

「えっ」

 そう言うと守也氏は、部屋の入口の開き戸の前に忍び足で行き、その前に立ち戸を押さえた。

 ドンドンドンドン

 すると、その直後に、戸が鳴った。そして、誰かが戸を開けようとする。それを守也さんが内側から全身を使って押さえる。

「守也さん、守也さん?」

 大家の野々村さんだった。

「いるんでしょ。守也さん」

 守也氏は、必死で扉を押さえ続ける。

「守也さん、守也さん」

「・・・」

 守也氏は黙って戸を押さえ続ける。

「お家賃。お家賃払ってください。守也さん」

「・・・」

 守也氏はなお黙って戸を押さえ続ける。僕は驚きつつ、黙ってその光景を見続けた。

 しばらくして野々村さんは諦めたのか、去って行った。多分、いつものことなのだろう。

「ふう~」

 守也氏は額の汗を拭う。そして、再び僕の前に座った。

「よく分かりましたね。大家さんが来るって」

「感だね」

 守也氏は、元の場所に座りながら再びタバコをくわえる。

「もう、大変だよ」

 ため息交じりに守也氏は言った。

「毎日が綱渡りなんですね・・💧 」

「うん・・」

 守也氏はうなだれるように答えた。

 コンコン

「!」

 その時、また戸が鳴った。僕たちは素早く戸の方を見る。

 戸がゆっくりと開いていった。今回はもう間に合わない。僕たちは身構えた。

「守也氏、また僕の定規持ってったでしょ」

 戸の隙間から顔をのぞかせたのは、大家さんではなく、個性的な坊ちゃん刈りをした高校生くらいの男の子だった。

「ああ、赤木氏、悪い悪い」

 その子を見ると、ほっとした表情で守也氏が言った。

「もう、勝手に持ってかないでくださいよ」

 赤木氏は戸を開けて部屋に入ってきた。

「部屋のぞいたらいなかったもんでね。悪い、悪い」

 守也氏は頭を掻き掻きあやまる。

「もう」

 怒りながらも、しかし、赤木氏と呼ばれた男の子は全身でその人の良さを滲ませている。そして、僕たちの近くに来て座った。

「この子は赤木氏だ」

 守也氏が僕に赤木氏を紹介する。

「あ、どうも・・、石森です」

 僕はおずおずと赤木氏に頭を下げた。

「ああ、どうも、よろしくお願いします。赤木です」

 赤木氏も僕以上に丁寧に頭を下げる。

「赤木氏は高校出たばかりなんだ」

 守也氏が言った。

「じゃあ同い年ですね」

 僕が言った。

「そうなんですか」

 赤木氏は驚いて僕を見た。

「石森氏も漫画描いているんですか」

 赤木氏が僕に訊ねる。

「うん」

 僕は少し恥ずかし気に頷いた。

「今度見せてください」

「うん」

 赤木氏とはちょっと話しただけで、気が合うのが分かった。なんとなく、この子とは友だちになれるような気がした。

「彼は向かいの部屋だよ」

 守也氏が赤木氏に言った。

「ああ、ついに見つかったんですね」

「ああ、君子さんがまた来てね」

「君子さん、やっぱ、すごいな」

「あの人は、何か超人的なものを持っているよね」

「はい」

 二人はしきりに感心している。僕は二人の会話にまったくついていけない。しかし、やはり、あの君子という人は何か特別なキャラらしい。

「ほんとに、このアパートの部屋、全部漫画家で埋めちゃうんじゃないですかね」

 赤木氏が言った。

「時間の問題だろうね」

 守也氏が頷く。

「あの人は本当にすごいですね」

「うん」

 そこで二人は同時にうなずいた。やはり、僕は二人の会話に全然ついていけない。

「ん?」

 その時、ふと部屋の片隅に目が行った。見ると、何か丸い物体がある。

「ああ、それ火鉢。珍しいだろ」

 守也氏がそんな僕に気付いて言った。

「火鉢・・」

 そう言えば時代劇なんかで見たことがある。まんが道にも出てきた記憶が・・。

「へぇ~、火鉢ですか・・、古風ですね・・」

「そんな呑気なもんじゃないよ」

「はあ・・、えっ、もしかして、まさか、冬の暖房ってこれだけ?」

 僕はふと気づき、慌てて訊く。

「そう」

 守也氏が頷く。

「基本暖房禁止ですからね・・」

 赤木氏が呟くように言う。

「えっ」

 意味が分からなかった。

「まあ、おいおい分かって来るよ。ここのルールというか、仕組みが」

 守也氏はまた呑気に言った。

「はあ・・」

 しかし、僕は寒さが死ぬほど苦手だった。僕は再び火鉢を見た。その重厚感はあるが、暖房としては頼りなさげな存在に、僕はなんだか気が遠くなってきた。やはり、ここに来たことを僕はまた猛烈に後悔し始めてきた。

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