第6話 向かいの部屋の安守也
「あ、俺は向かいの部屋の安守也」
「やすもりや?」
「よろしくな」
「は、はい」
「飯でも行こうか」
タバコを吸い終わると、守也氏は一人立ち上がった。
「えっ」
突然のことに僕は驚く。しかし、僕の返事など待たず、一人守也氏はさっさと行ってしまう。
「・・・」
仕方なく、僕も立ち上がった。
駅前まで行くと、こじんまりとした商店街があった。そこに守也氏は入って行く。そして、その中ほどにある一件の中華料理屋の前でとまった。
「松葉?」
はて、どこかで聞いたことのある名前だ。店の入り口上の大きな赤いひさしの真ん中には、中華料理松葉と大きく書かれていた。守也氏は通い慣れた様子でその店に入って行く。
「よっ」
店に入ると、守也氏は、店員の女の子に気軽に声をかける。
「あら、守也さん、いらっしゃい」
二人は、顔見知りらしい。
「締め切り終わったの」
「え、う、うん」
「終わってないのね。ダメよ。ちゃんと締め切り守らなきゃ」
「あ、ああ」
女性店員に切り返されると、入って来た時の勢いが嘘のように守也さんは、途端に小さくなる。
「あまり、顔見知り過ぎるのもよくないな」
守也氏は、バツが悪そうな顔を僕に向け、席に着いた。僕はその向かいに座る。
「ここのラーメンは絶品なんだ。あっ、しのぶちゃん、ラーメン二つね」
テーブル席に着くと、僕の意見など聞かず、守也氏は先ほどの女性に、勝手に注文してしまう。
「はい」
しのぶちゃんと呼ばれた女性店員は、愛想よく店の奥へと消えた。
「おまちどおさま」
すぐに出てきたラーメンは、普通過ぎるくらい普通の醤油ラーメンだった。
「シナチク久々に見たな・・」
思わず呟く。
「んま~い」
しかし、守也氏の言う通り、確かにうまかった。あっさり醤油の昔ながらのシンプルなラーメンなのだが、一切の無駄のない純粋なうま味の醤油スープが、近年、変に手の込んだラーメンが多い中、逆に新鮮でうまかった。
「うまいだろ。毎日食っても飽きないよ」
「そうですね」
僕たちは、夢中でラーメンをすすった。
「入居は今日から?」
守也氏が僕に訊く。
「はい、君子さんに今日出会って、今日入居が決まりました・・」
「新記録だな」
「えっ?」
「君子氏の強引さは段々エスカレートしているな」
守也氏がうねるように言う。
「はあ・・」
「まあ、でも、仲間が出来て嬉しいよ」
ラーメンを食べ終わると、人心地ついて守也氏が言った。
「そう言えば君の名前をまだ聞いていなかったな」
「僕は石森青太(しょうた)です」
「石森氏か、あらためてよろしくな」
「はい、こちらこそ」
見た目とは裏腹に、なんかいい人そうで僕は安心した。
「じゃあ、あとよろしく」
「えっ」
守也氏はそう言って、立ち上がると、さっさと店を出て行ってしまった。
「僕がおごるの・・?」
一人残された僕は茫然とする。しかし、払う人間は僕しかいない。
「・・・」
仕方なく、僕が二人分払った。
店を出て、僕たち二人は再び並んでトキワ荘に向かって歩く。
「・・・」
守也氏は、ありがとうも言わない。当然といった風情で僕の隣りを歩いている。悪い人ではないのだろうが、やはり僕はなんか納得がいかない。
「あっ、おばあちゃん、アイスキャンディー二つね」
すると、突然、守也氏が、商店街の外れにあるボロボロの駄菓子屋みたいな店の店内に顔を突っ込み叫んだ。
「ああ、守也さん、久しぶりだね。漫画描いとるかね」
中からよぼよぼのおばあさんが、出て来た。
「え、ええ」
どうも、守也氏が漫画を描いていることは、この商店街では周知のことらしい。そして、それをツッコまれると、守也氏は途端に小さくなる。
「百二十円」
おばあさんがアイスキャンディーを二つ渡しながら言う。
「百二十円だって」
守也氏は、僕の顔を見る。
「えっ」
僕は驚く。だが、今回も守也氏はさっさと行ってしまう。
「・・・」
仕方なく僕は百二十円をおばあさんに支払った。
「この辺は都会のわりになんかのどかだろ」
「そうですね」
僕と守也氏は、アイスキャンディーをしゃぶりながら、ゆったりと流れる小さな川沿いの道をのんびりと歩いていた。確かに、都会の真ん中にありながら、何とものんびりとした雰囲気が漂う。時代は平成を越え、令和に入っていたが、ここだけがまだどことなく昭和だった。
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