第5話 漫画家のバイブル

「ところで、なぜ僕が漫画家志望だって分かったんですか?」

「そんなの分かるに決まっているでしょ」

「えっ、そ、そうなの・・、なぜ?」

 僕には全然分からなかった。自分の中に全く思い至る節がない。人に分かるそんな何かを僕は自分で発していたのか?僕は不安になる。

「私が何年編集者やっていると思っているの」

「え?だから二年弱ですよね・・」

「でっかい封筒もって、夢遊病者みたいに、ぼーっと街を歩いているさえない若者が、漫画家を目指していないわけがないわ」

「うううっ、鋭いのか、滅茶苦茶偏見なのか・・、どっちにしろ屈辱的・・」

「現実逃避で漫画描いているオーラがビンビン、その背中から立ち昇るように出でていたわ」

「そ、そんなに・・」

 本当にそうなのか不安になる。そういう負の感覚は外に出てしまうものなのだろうか・・。

「そんなあなたに待っているのは、暗い青春とボロボロのヘタレな人生だけよ」

 そこでまたすかさず、君子は鋭く僕を指さした。

「ううっ」

 きつい一言だったが、しかし、自分の未来をズバリと言い貫かれた気がした。

「でもあなたは運が良いわ」

「へ?」

「私に出会ったんだから」

「・・・」

 そう言う彼女の目はランランと異常に輝いていた。何かやばい薬でもやっているかのように、自己疑念など微塵も感じさせないギラギラとした自信が腹の底からみなぎっていた。

 やはり、この時、気付くべきだったんだ。彼女のやばさに。しかし、どう逃げろと言うのか・・。それもまたこの時の現実だった。僕は完全に彼女のペースに巻き込まれ、洗脳されていた。

「はい」

「何これ?」

 部屋に入ると、何やら分厚い本が手渡された。

「入居おめでとう。私からの入居祝いよ」

 君子が言う。

「あっ、こ、これは・・」

「そう、まんが道愛蔵版よ」

「漫画家のバイブル、まんが道・・」

 藤子不二雄A先生の代表作で、僕も実家にたまたまあったのを読んで、はまりにはまり、何度も読み返した作品だ。藤子不二雄先生お二人が、いかにして出会い、そして、漫画を描き、そして、仲間と共に漫画家になっていったのか。そこには、漫画、仲間、夢、僕の求める青春の全てがあった。漫画家を目指すものならば、誰しもが心を揺さぶられ、心動かされる、まさに漫画家のバイブルだ。

「漫画家にとってこれは聖書よ。いい、全てのセリフを暗記するまで、百万回は読み返しなさい」

「ええっ・・」

 言っていることは無茶苦茶だったが、確かにでも、まんが道はモチベーションになる。これに憧れて、漫画家になりたいと思ったことは事実だった。

「じゃ、私は会社に戻るわ」

「えっ、行っちゃうの」

 まだなんの説明も受けていないし、何をどうしていいのかすらが分からない。

「逃げるんじゃないわよ。逃げても地獄の底まで追いかけるからね」

 しかし、僕を睨むようにしてその言葉を残し、彼女は容赦なく去っていった。

「・・・💧 」

 実際彼女なら、しそうだから怖かった。

「・・・」

 一人になり、とりあえず渡されたまんが道をパラパラとめくる。

「そういえば、このアパートの名前はトキワ荘・・」

 ただの偶然なのだろうか・・。それにしては出来過ぎている・・。

「君も入居したのか」

「えっ?」

 その時、突然戸口で声がして、僕は慌てて振り返る。

「・・・」

 そこに立っていたのはさっき、向かいの部屋で芋虫のように戸口に転がり出てきた男だった。

「は、はい」

「そうか・・」

 男は、そのままずけずけと僕の部屋に入って来て、僕の隣りにどかりと座った。

「まんが道は厳しいよ」

 そして、男はぼそりと言った。

「は、はあ・・💧 」

 誰なんだこの人は・・。しかし、戸惑う僕の隣りで、男は手に持っていたタバコの箱からタバコを一本手慣れた手つきで抜き取ると、それを口に咥え火をつけ、無遠慮に僕の部屋で吸い始めた。

「あ、あの・・」

 僕は高校を卒業したばかり、タバコなど吸わない。だからタバコの煙は嫌いだった。

「君も、大変なところへ来てしまったね」

 しかし、男はタバコを咥えたまま、まるで自分の部屋ででもあるかのように、そのまま寝そべって、壁にそのもじゃもじゃの頭をもたせかける。

「まあ、俺もだけどね。はははっ」

 そして、一人笑う。

「・・・」

 何なんだこの人は・・。また、訳の分からん人が、僕の前に出てきた・・。

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