第2話 薄暗い廊下の向こうで

 彼女の後ろについて、薄暗い急こう配の黒光りした年季の入った木造階段を、ギシギシと音を鳴らしながら上がってゆく。上りきったところをそのまままっすぐに、薄暗い二階の廊下を奥に向かって歩いてゆく。

 そして、彼女は一番奥の右側の部屋の開き戸を開けた。

「ここがあなたの部屋よ」

 彼女は言った。

「えっ?」

 僕は彼女を見る。彼女の目は、すでに何か決まったことを確信している目だった。

「・・・」

 なぜか僕の意思の確認などなく、彼女の中ですでに僕の入居は決まっていた。

「三畳一間に半畳の押し入れ。南向き角部屋。一月一万二千円。どう?」

 彼女はドヤ顔で僕を見る。

「えっ!一月一万二千円!」

「そうよ」

「今時、三畳一間とはいえ、都心で一月一万二千円・・」

 信じられないほど安い。

「トイレ、台所は共同だけど、光熱費は込みよ」

「光熱費も家賃に入ってるの!」

「そうよ」

「信じられない・・」

 僕は部屋を見回し、唖然とする。作りは古く天井や柱は低いが、部屋の内装はそれほどボロボロというわけではない。窓は角部屋で正面に一つと左にも一つあり明るい。三畳と狭いが、十分に住めるレベルだ。

「隣りの四畳半は、二万四千円ね」

「それでも安い」

 しかも、窓から外をのぞくと、敷地も広くそこに大きな木も植えられ、都心なのに緑の香りまでする。日当たりも良かった。日当たりが良いせいだろう外壁はびっしりとツタに覆われている。それがまたいい感じに、古い木造の作りとマッチして、味を出している。

「な、なぜ・・」

「大家さんがすごい人なのよ」

「すごい人?」

「会えば分かるわ」 

 そう言って、彼女は部屋を出て行こうとする。

「いや、でも・・、あの、僕・・、お金ないんですけど・・」

 僕も彼女を追いかけ廊下に出た。

「分かってる分かってる」

 なぜか、彼女はうれしそうだ。

「なぜ、分かってるんだ・・」

 しかも、なんか分かられている。

「あなたはお金のない貧乏な漫画家志望」

「えっ?」

「だけど、夢はある」

 また僕を鋭く指さす。

「・・・」

 なぜ分かる・・。

「ここであなたは、血反吐を吐くまで、思う存分漫画を描き続けることが出来るのよ」

「ち、血反吐・・?」

 何かがおかしい。この時、僕は気付くべきだったのだ。今、自分が地獄の入り口に立っていることに・・。

「漫画を描くのに部屋なんて三畳で十分でしょ。これで思う存分漫画が描けるわね」

「は、はあ・・」

 なんだかどんどん彼女のペースに巻き込まれてゆく。

「いや・・、でも・・」

 でも、あまりに怪し過ぎた。話がうま過ぎる。安さを売り物にして結局何か落とし穴があるに違いない。一人暮らしは憧れていたが、そもそも漫画は実家で描けばいいのだ。ここで描く必要はないし、彼女が何者かさえ分からない。せっかくここまで案内までしてもらったが、僕は勇気を振り絞り断ろうと思った。

「でも、やっぱり・・」

「何?」

 彼女が僕の顔を睨みつけるように覗き込む。

「いや、あの・・、でも、やっぱり、漫画は実家でも描けるわけで・・」

 僕はそんな彼女の迫力に怯みつつ勇気を出して言った。

「そんなだからあなたはダメなのよ」

「えっ」

 彼女は猛烈に怒り出した。

「そんなだからあなたは何をやってもダメなのよ。勉強もダメ、スポーツもダメ、あれもダメ、これもダメ、うだつも上がらない」

「なぜ分かる・・」

「そして、最後に辿り着いた漫画すらもダメ。ダメ、ダメ、ダメ、ダメ、もうあなたはダメダメなのよ。ここで逃げたらあなたは一生このダメダメ人生を歩むことになるのよ」

「・・・」

 なんか無茶苦茶言われている。でも、怖いくらい言っていることは当たっている・・。

「いや、でも・・」

 ガラガラ

 その時、突然隣りの部屋の引き戸が空いた。

「!」

 出て来たのは、驚くくらい目の覚めるような美人だった。しかもスタイル抜群で、細身の体から突き出すように、胸がピタリと体に張り付くTシャツを膨らませている。僕はもうその胸のふくらみにくぎ付けだった。

「・・・」

 女性は、軽く微笑みつつ、僕らに軽く会釈すると行ってしまった。

「口空いてるわよ」

「あ、ああ」

 僕は口を閉じた。

「彼女がこの薄壁の隣り・・」

「どうするの」

「僕やります」

「そう来ると思ったわ。決まりね」

 まあ、ダメならすぐやめればいいさ。その時の僕はそんな軽い気持ちでいた。

「じゃあ、さっそく大家さんにあいさつに行きましょ」

「えっ、今から」

「そうよ」

 そう言って、彼女はもう廊下を出口の方へと歩き始めている。

「いやでも、印鑑とか・・」

「いいから、付いてきなさい」

 彼女は行ってしまった。僕は軽く決断してしまった自分を後悔しつつ、彼女の後を追った。

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