地獄まんが道 ートキワ荘の青春ー

ロッドユール

第1話 突然現れた謎の少女

(あの時、もしあの道を歩いていなかったなら・・、もし、あの子に出会っていなかったなら・・、そして、彼女が僕に声をかけなかったなら・・、今は時々そんなことを考える。ただ、はっきりしていることは、あの出会いが僕の人生の道を変えた・・、地獄へ続くその道。漫画道へ)


 昭和の匂いのまだ残る、平成という新しい世の中に少し慣れ始めた、そんなまだ新しい時代の始まりのそんな辺り。僕はこんな世界の片隅で一人漫画を描いていた。

 僕は、街の雑踏をふらふらと、夢遊病者のように歩いていた。

「はあ~」

 自然とため息が出た。目の前には何をやってもダメな自分がいた。それはどうしようもない紛れもない現実だった。どうがんばっても、どう考えなおしても、やはりこれは現実で、僕はやはりダメな僕だった。

「はああ~」

 自分のダメさ加減に、ため息しか出なかった。高校を卒業し、同級生たちはどんどん次のステップに進んでいるのに、自分だけ置いて行かれているそんな、焦燥にも似た劣等感が、暗澹たる思いとして目の前を覆っていた。

 ただ漠然と漫画家になりたいと思っていてなれるような、そんな甘い世界ではないと知ってはいたつもりではあったが、しかし、その壁にじかにぶち当たると、やはりその破壊力は強烈だった。もしかしたらという僕の妄想に似た希望は完全に打ち砕かれた。

 大人のよく言う現実の厳しさは確実にあった。勉強もダメ、スポーツもダメ、人間関係もダメ、見た目もパッとしない。そんな僕に、それでも何かあると思い込み、その中に逃げ込んで、そして、その発露の先が漫画だった。

「・・・」

 でも、それすらがダメだった。自分の全てを、自分が今まで守ってきた全てが破壊されたような、打ち砕かれたような、そんな恐怖にも似た絶望が容赦なく僕を打ちのめす。

 相手にすらされなかった。多少何かあるのかと思っていた。多少は何か引っかかるものがあるのだと思っていた。だが、それすらも何もなかった。出て来た編集者は、ただ機械仕掛けのそういう仕組みのようにただ僕の作品を否定した。いや、否定すらされなかった。否定することすらの価値を認めてもらえなかった。

 目の前が真っ暗だった。世界が灰色だった。未来が何も見えなかった。何も考えられなかった。いつもの歩きなれた街の、なんてことないその風景がいつもと全然違っていた。まるで現実ではない平行した別次元の世界を歩いているようだった。

「・・・」

 僕はただ何もなく彷徨い歩いた。行くあてもなく。目的も希望もなく・・。もうなんだか全てがどうでもいいような捨て鉢な気分だった。心身を完全に喪失し、自分が自分でないみたいだった。ありとあらゆるものが、ありとあらゆる方向から僕を否定している気がした。神経症的な強迫観念にその場にへたり込んでしまいそうだった。周囲の人間がやばい奴を見る目で僕を見ているのが分かった。しかし、それすらも、気にしている余裕がなかった。

 僕はまさに彷徨える屍だった。

「あなた漫画家目指しているわね」

 その時だった。突然、背後で声がした。

「えっ」

 振り向くと、そこには高校生か大学生くらいの少女が立っている。しかし、少女はその幼い感じとは裏腹に、大地にしっかりと腰を据えるように足を横に広げ立ち、左手を腰に当て、態度のデカさをその小柄な体で目いっぱい表現しながら、大胆に僕を鋭く見つめ、僕の眉間に突き刺すような勢いで右手の人差し指を突き出していた。

「な、なんだ・・?」

 少女は、その態度のデカさを体現しているかのように、その年齢にそぐわない、やたら高そうな服を派手に着こなし、僕を見据える。

「あなた漫画家目指しているわね」

 少女はもう一度言った。

「えっ、ええ・・?」 

 この状況と、そして、なぜそれが分かったのかという疑念で、僕は頭が混乱し、言葉すらが出てこない。

「いいアパートがあるの」

 しかし、そんな僕を無視するかのように、彼女はもう次の話に移っている。

「はい?あ、アパート?」

「そうよ。あなた、きっと気に入るわ」

「え?なぜ・・?というか君は誰なんだ、というか、なんなんだ」

「それは後で分かるわ。ついて来なさい」

「はいっ?ちょ、ちょっと・・」

 しかし、確実に僕よりも年下であろう彼女はなぜか偉そうにそう言うと、僕の意思や都合など確かめもせず、自分本位にスタスタと行ってしまう。

「・・・」

 訳の分からない展開だったが、なぜか僕は彼女の勢いに負け、というか引き込まれるように、その後ろをついて行ってしまった。

「・・・」

 僕の前を歩く、彼女の足取りは自信満々で、揺るぎない力強さがあった。だが、その後ろを歩く僕は不安と不安定の中に揺らいでいた。自己啓発や怪しげなカルト宗教、キャッチセールスなどは、よく今の僕のような心神喪失状態の不安定さに付け込み、言葉巧みにその心に入り込んでくるという。もしやそれでは・・。

「何を売り付けられるのか・・」

 だが、僕はそんな堪らない不安にかられながらも、しかし、しっかりと彼女の後ろをついて歩いていた。

 

「ここよ」

 そう言って、彼女は突然立ち止まった。

「・・・」

 目の前にあったのは、古い昭和の木造アパートだった。かなり古いタイプの木造二階建てで、見るだけで扉がギシギシなるのが分かるほどの、かなり雰囲気のある建物だった。

「・・・」

 僕は、彼女と共に、その木造アパートを見上げた。

「あなたの青春の一ページはここから始まるのよ」

「はい?僕の青春?」

 僕は、隣りの彼女を見た。

「そうよ。あなたの本当の青春が始まるのよ」

 少女は鋭く僕を見返した。

「・・・」

 本当の青春・・。

 そして、彼女は僕の戸惑いをよそに、そのままそのアパートの敷地に入って行く。

「ちょ、ちょっと・・、ん?」

 彼女を追いかけようとしたその時、ふと、敷地の入り口にある、門扉の脇の石柱に目が行った。

「トキワ荘?」

 そこには、トキワ荘の文字があった。僕の目はそこにくぎ付けになった。

「トキワ荘・・」

 その名を知らない漫画好きはいない。それは特別な名前だった。そう、それは漫画の聖地。絶対的漫画の聖地の名前。そこには漫画の全てがある。仲間、青春、夢、希望、そして、漫画家への道――。 

「何してんのよ、早く来なさい」

 彼女が怒鳴る。

「は、はい」

 僕は、慌ててトキワ荘の中へと入って行った。それが、僕の人生に取って重大な、いや、地獄への一歩だということも知らずに・・。

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