第9話 僕らは停戦合意破棄の危機を迎えたⅥ
【前回までの振り返り】
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不思議の国のアリスがなんかこう、たまらなく好き。
田所陽のことも好き。
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幾度となく反省文を書いてきたのでもはや文才がある。
鉢倉深優姫のことが好き。
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割とミステリー小説とかをよく読む。
源元惇平のことが好き。
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ファンタジー・戦記モノが好き。
在原栞乃のことも好き。
*****
惇平の家を出る前に、栞乃は「今日もバイト?」と陽に尋ねた。陽は「あー……」と何か考えて、「今日は別に。送ってく」と答える。
「うちの親が、実家から送られてきた玉ねぎを陽ちゃん家に持っていけって。ごめんけど取りに来てくれない?」
「ありがてえ〜〜〜〜」
ちょっとムッとしたような惇平が「田所は栞乃さんと家が隣だからって調子に乗らないでほしい」と小声で難癖をつける。「そんな絡み方ある? 治安わるぅ」と陽はちょっと怯えた。
「じゃあ田所は、俺が鉢倉さんと同居してるって言っても平静でいられるの?」
「同居となったら話が違ってくるだろ!」
「家が隣なんてほとんど同居してるようなもんだよ」
「いやその理屈はおかしい」
頬を赤らめた栞乃が、「そ……そうかなあ? 同居みたいなもんなのかなあ?」と言い出したので、陽は「おかしい理屈で気持ちよくなるな」と突っ込まなければならなかった。
「ちょっとどうにかしてくれ鉢倉」
「じゅんぺーくんがそう言うんなら同居みたいなもんなんじゃない?」
「はちくらー!!!!」
ため息をついた陽が「ふざけたこと言ってないで帰るぞ」と栞乃を引きずっていく。「なんだその言い方! 栞乃さんのことをもっと丁重に扱え!」と言ってくる惇平を無視して家を出た。
*****
栞乃の家に顔を出すと、栞乃の両親が大袈裟なほど歓迎してくれた。陽は苦笑しながら軽く頭を下げる。
「まー! どんどん男前になるじゃないの陽くん」
「あざす。玉ねぎ貰ってきます。ほんとありがとうございます」
「いい、いい。そんなんいいわよ。貰ってってくれた方が助かるから」
段ボールを出してきながら、「なんかお隣さんなのに全然会わないわねー。寂しいわー」「長男だもんな、色々忙しいんだろ」と栞乃の両親はずっと喋っている。
「そんで、うちのとはいつ籍入れんだい?」なんて、栞乃の父親が半分冗談半分本気のような顔で言った。「やだよ、この人は」と栞乃の母親が結構な勢いで夫のことを叩く。
「いやぁ、こんなのと一緒になってくれるのは陽くんだけだからなぁ。こーんなちんちくりんで貧相なの、嫁の貰い手もねえし。陽くんなら婿でもいいしな」
両親揃って「がはは」と笑った。栞乃はそばでそれを聞いていたが、ただ黙って俯いている。段ボールを持ち上げながら、「オレはそうは思いませんけどね」と陽がはっきり言った。それを聞いた栞乃の両親が顔を見合わせて「やっぱり陽くんしかいないのよ」「昔っから栞乃は陽くんにばっか懐いてるもんな」とまた笑う。
ようやく、意を決したように栞乃が「やめてよ」と非難の声を上げた。
「陽とはそんなんじゃないって言ってるでしょ。全然付き合ったりもしてないし」
「また照れてら。そんなこと言って、お前も陽くん以外じゃ嫌だろ」
言葉に詰まった栞乃が、しかし両親を睨みつけて「うるさいなあっ」と叫ぶ。そんな娘の様子に驚いたらしい父と母が「そんな怒らなくたって」「やだやだ、反抗期がいつまでも終わらないんだから」と不機嫌そうにした。
苦笑した陽が「すんません、玉ねぎいただきます」と挨拶をして栞乃の家を出て行く。
追いかけてきた栞乃が「ご、ごめんっ。ほんとにごめん」と謝った。陽は振り向いて「何が?」と尋ねながら段ボールを一旦置く。
「うちの親、いつまでもあんなんで……」
「オレは別にいいけど、お前もっと言い返した方がいいよ」
だよね、と栞乃は言ってまた俯いた。
ぽつりと、陽が呟く。
「お前もさ……親御さんと距離取ったらオレのことなんか忘れるんじゃねえ?」と言った。
「……え?」
「お前がオレのこと好きなの、たぶんっつうか絶対、親御さんの刷り込みだろ。親御さんと離れれば目が覚めるんじゃねえかなって」
「なんでそんなこと……」
「栞乃さ、オレとキスとかできる? 気持ち悪くなんない?」
ぽかんと口を開けて、栞乃は陽を見る。それからきゅっと唇を閉じ、怒ったように近づいて陽の襟首を掴んだ。
それから力任せに陽を引き寄せ、ぶつけるようにして唇を重ねた。
二人とも息を止めた。キスの仕方なんか知らなかったから、そうする以外になかった。
数秒経って離れて、妙に冷静な栞乃が「できるよ」と言う。
「陽ちゃんとキス、できるよ」
「…………栞乃」
「おままごとの延長で好きだったと思ってる? ばかにしないで」
そしてそのまま陽に背を向けて、栞乃は自分の家に帰って行ってしまった。
残された陽は呆然としながら段ボールを持ち上げ、呆然としながら自分の家まで歩いて行く。
「おかえりー」と妹が顔を出した。
「……これ、在原のおじさんとおばさんから」
「すごいじゃーん。ありがてえ~~~~」
はしゃぐ妹が、不意に顔を上げて「どーしたの、お兄ちゃん」と怪訝そうな顔をする。陽は「何でもない」と言って瞬きをした。
「母さんは?」
「……今日はお昼ごはん食べたよ。落ち着いてるし、別に大丈夫」
「そっか」
頭が重くなるのを感じ、陽は「オレ……ちょっと……」とこめかみに手を当てる。
「外、出てくるわ」
「えっ、今日バイトないよね?」
「悪い。飯は明日食うから」
妹が引き止めるのも聞かず、外に出た。たぶん妹も途方に暮れたろうが、陽の方がよっぽど途方に暮れていた。
*****
インターホンが鳴り、惇平はのろのろとドアを開ける。陽が息を切らしてそこにいた。
「え……忘れ物?」
「いや。いや、そうじゃない」
「何?」
「どこにも行けなかった」
惇平は眉をひそめたが、「そうなんだ」とだけ言っておく。「家、上がる?」と誘ったが陽は首を横に振った。
「お前んちにも行けない」
「日本語喋ってくれると助かる」
いきなり陽は惇平の肩を掴んで、「どうしよ! オレ、どうするのがいいんだ!?」と絶叫する。「とりあえず落ち着けばいいと思うよ」と惇平は完全に引く。
「女子にあんな顔させたら、男ならさ、やっぱ責任取んなきゃいけねえんじゃねえかな!!」
「さ、さては栞乃さんとなんかあったな!? 何があった!?」
田所、と今度は惇平が陽の肩を強く揺らした。陽はされるがままにしながらも、唐突に吐き気を覚えたようでえづく。惇平は思わずという顔で手を離し、「しっかりして、田所。大丈夫?」とちょっと心配そうにした。
「……言い訳を」
「何?」
「言い訳をしてたんだ、ずっと。栞乃の気持ちは親御さんの刷り込みだって。本気にしなかった。本気だったらオレは責任を取らなきゃいけないから。あいつのこと、幸せにしてやんないと」
ぽかんとした惇平が、何か痛ましげな顔をして、それから瞬きをし、また悲しそうな表情を見せる。そうかと思えば唇を固く結んで、「田所」と明瞭な声で呼んだ。
「ここに、3つの正論がある」
「正論……?」
「ひとつ、栞乃さんの想いを軽んじていた田所は最低ってこと。ふたつ、そうだとしても田所が自分の気持ちを曲げてまで栞乃さんに応える道理はないってこと。みっつ、栞乃さんを世界で一番幸せにできる男は俺ってこと」
ずっと顔をしかめていた陽が、ふっと力を抜いた。それから弱々しく笑って、「お前のそういうとこ、すごい羨ましいよ」と呟く。
「騒いでごめん。帰るわ」
「別にいいけど、行くとこないなら泊めてくよ」
「いや、家帰る。ほんと迷惑かけてごめん」
陽の後ろ姿が見えなくなり、惇平はドアを閉めた。それからリビングまで歩いて行き、「うーん」と唸る。
キッチンの前を行ったり来たりして、盛大にため息をついた。
スマホを取り出し、耳に当てる。相手はすぐに出た。『もしもし? じゅんぺーくん?』と声がする。
「あ、のさ……鉢倉さん」
『なんー?』
「鉢倉さん……の、お母さんかお姉さんいる?」
『え? ああ、お姉ちゃんならいるけど』
「“今から飯食いに来ない?”ってお姉さんに訊いてほしいんだけど」
『なんで??』
「なんかこう、詳細は省くけど俺は今すぐ誰かに料理を食べさせないとダメになる気がするんだ」
『そんなシチュエーションある?? てかあたしが食べに行くよ。なんでお姉ちゃんなんよ』
「ここで鉢倉さんのことを呼ぶのは違うと思うから」
『何が?? お姉ちゃん、彼氏いるよ』
「できれば彼氏さんも連れてきて」
『マジでなんで??』
電話口で、仕方なさそうに深優姫が姉に事情を話す声が聞こえた。どうやら二つ返事で了承を貰ったらしく、深優姫はひどく困惑していた。
*****
「ねぇね、今から彼氏呼んでじゅんぺーくんちに行ってくんない? なんかご飯食べさせたいらしい」
「なんで??」
もっともな反応である。深優姫は「うーん」と考えて、仕方なく「春だからしょうがないよ」とだけ答える。姉もなぜだか妙に納得して「春だもんなー」と言って了承した。我が姉ながら、何でもいいのだろうか。それとも姉妹揃って乗せられやすいタチなのだろうか。
惇平との電話が終わると、すぐにまたスマホが鳴った。発信者は栞乃だ。やれやれと思いながらスマホを耳に当てる。
「もしもーし」
『…………』
「あれ、栞乃ちん?」
『やっぱなしで』
「何が??」
栞乃は、ほんのちょっとだけ涙声だったと思う。だけど『声聞きたかっただけなの。こんな時間にごめんね』と言って電話を切ろうとする。
「待て待て待て。そんな気になる切り方あるかい! なんかあったんでしょ?」
『うーん……なんかあったっていうか、やらかした。でも今日話すようなことじゃないから、また明日話したい。本当に声が聴きたくなっただけなの』
「ほんとにぃ??」
『本当。私も自分で不思議だけど、みゆきちの声聴いたらちょっと落ち着いた。明日また話すね』
そう言って切れた。深優姫は腕を組んで、「深追いしないべきか……」と呟く。
また、スマホが鳴った。
さすがに驚いてしまって、深優姫は「何? なになに?」と言いながらスマホを耳に当てる。ろくに誰からの電話かなんて確認しなかったが、もはや疑いようもなくそれが誰なのか知っていた。
『……』
「田所?」
『…………』
「無言電話流行ってんの?」
きこきこ、何か金属が軋むような音がする。しばらく沈黙が続き、唐突に電話が切れた。ついでに深優姫もキレた。
スウェットの上着を羽織り、サンダルを引っかけ、外に出る。時刻は21時前。街灯が照らす夜道を走った。
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