第7話 僕らは停戦合意破棄の危機を迎えたⅣ
【前回までの振り返り】
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前回全然出てきていないが、この休日は親戚の家(農家)の手伝いに行かされていた。
田所陽のことが好き。
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休日どころか平日も空いている時間は大体バイトをしている。
鉢倉深優姫のことが好き。
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普段から頑張って標準語を使っている。
源元惇平のことが好き。
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前回全然出てきていないが、たぶんこの休日も料理の練習とかしていた。
在原栞乃のことが好き。
*****
屋上へ先についてしまった深優姫と栞乃は、お弁当箱を広げて「あいつらおっそー」「時々陽と源元くんで付き合ってるんじゃないかって心配になる」と言い合っていた。とはいえ女子高生の話題が尽きることはなく、話をしながら待っていた。
意を決して、深優姫は「あのさ」と流れを切るようにして口を出す。
「栞乃ちんは、どうして田所のこと好きなの?」
「え、何いきなり。どうしても何も、前に言ったでしょ。物心ついたときからなんかもう手遅れだったんだって」
「それは聞いたけどさ……今も好きってことは、やっぱなんかあるわけでしょ」
「ほんとなにー? いきなり……恥ずかしいんですけど」
栞乃は怪訝そうに深優姫を見て、一瞬呆気にとられたような顔をした。「あー……そう、そうね……そうだなぁ……」と言葉に詰まる。
「優しいから、陽は。私、陽より優しい人を見たことがないから。今も」
「うん」
「強くて優しくて、頑張り屋なんだよ。だから好き」
「そっか」
「なんかさ、陽と一緒になったら絶対幸せになれる、って思っちゃうんだよね。確信っていうか。そういうのって、なかなかなくない?」
「それはわかるかも」
その時、ガチャリと屋上のドアが開いた。惇平と陽が「だから全然似てないって。まだ福山雅治の真似してるって言われた方が納得できる」「マジで? 原センと対極じゃん。そんなに似てないのかよ」と喋りながら現れる。
「おっそいよ」
「あーごめん」
「二人でイチャイチャしてないで。停戦中だよ」
「栞乃さん、それはさすがに誤解すぎる」
陽と惇平が腰を下ろし、『いただきます』と全員で声をそろえた。
もはや惇平は料理の腕を隠すことなく披露するようになっており、陽はそんな惇平に「オレ、お前に料理教わろうかな」などと言っている。「そんなの私が教えるよ」と栞乃が主張した。
「いや、女子から教わるのってなんかアレだろ……」
「そんなことないって」
「栞乃さんと田所が二人きりになるぐらいなら俺が教える」
「全員で料理教室やればいいじゃん。あたしもじゅんぺーくんに料理教わりたいな」
「しれっと自分に有利な話に持っていった」
惇平は「いいよ。俺んちに来なよ」と言う。「惇平って心許すとどこまでも、って感じだよな」と陽が頬杖をついた。「田所以外ね」と惇平が付け加え、「オレが料理教わりたいって話どこ行った?」と眉をひそめる。
昼休みが終わり、午後の授業が始まった。深優姫は、後ろの席の陽が堂々と寝ているのをちょっと隠してやったりする。そんなことをしながら、ふと考えた。
子どもの頃から母に『優しい人と結婚しなさい。あんたたちを絶対に幸せにしてくれる人と一緒になりなさい』と言われてきた。深優姫自身の結婚観もそんな感じで、絶対に父のような人と一緒にならない、自分を大事にしてくれる人と幸せになるんだと思ってきた。いつでも守ってくれる、いつでも優しくしてくれる。理想とする姿は、たとえば陽のような――――
鉢倉、と名前を呼ばれて飛び上がる。黒板には数式。教師の目が痛い。ふと後ろから、こそこそと回答が聞こえた。そのまま口に出すと、正解だったようで次の問題へ移っていく。深優姫はちらっと後ろの席を見て、『なんでさっきまで寝てたのにわかんのよこいつは』とちょっと陽を睨んだ。陽はといえばどうして睨まれているかわからないようで、『オレまたなんかやっちゃいましたかね』という顔でこちらを見ていた。
放課後、珍しく栞乃が二人で帰ろうと言うのでいそいそと支度をする。深優姫が鞄を持って廊下に出ると、すでに待っていた様子の栞乃が並んで歩いた。
「あのさー、みゆきち」
「おん?」
「あのさー」
「どしたん」
「陽ちゃんのこと、好きになった?」
立ち止まる。栞乃も立ち止まって、深優姫のことを見た。いっぱいいっぱい考えたんだろうな、とわかる思い詰めた顔で見ていた。
「なんで?」
「わかんない。でもっ」
栞乃が深優姫の手を両手でつかむ。
「でも、もしそうだとしても全然っ。私に気遣ったりしないでよね! そっちの方が惨めだから!」
栞乃は深優姫の腕をぶんぶんと上下に振り、そしてなぜかそのまま深優姫のことをぎゅうっと抱きしめた。
「陽ちゃんのこと好きだし、他の子にとられたくないってずっと思ってきたし、今も思ってるけど、でもみゆきちのことが大好きなのもほんとだからね。だからっ、だから、陽ちゃんのことちゃんと考えてあげてね」
何とか栞乃を引きはがしながら「ち、ちがうよっ」と叫んでしまう。
「そんなんじゃないよ! 田所のこと、そんな風に見てないよ!」
「もし違ったとしても! それでもちゃんと考えてよ。私に悪いからって理由で否定したりしないで! 私がいなかったら、もっとちゃんと陽ちゃんのこと考えたでしょ? だから考えてよ、私がいないのと同じように考えてよ。そうじゃなきゃ陽ちゃんが可哀想だよ。私が陽ちゃんの邪魔してるのと一緒じゃん」
ゆっくりと、深優姫から離れた。それを見た栞乃が、「また明日ね」と言いながら背中を向けて、歩いて行く。
もうどうしたらいいかわからなくて、深優姫は走った。
うざったいほど桜が舞う道を走った。雨が降ったばかりの道は、花弁がべたべたあらゆる所に張り付いていた。
曇りの空に不釣り合いなほど薄紅の桜が、どこまで走っても終わらない気がした。あたしたちは春に囚われている。そんな錯覚さえ覚えていた。
*****
女子トイレから出て、栞乃は昇降口まで歩く。ちょうど靴を履き替えるところだったらしい惇平と鉢合わせしてしまった。
「……栞乃さん、なんで」
「ごめん。また明日」
腕を掴まれる。「なんで、泣いてんの」と訊かれた。
「…………」
「……。ちょ、ちょっと歩こっか」
「源元くん、自転車じゃん」
「歩きたい気分だから」
自転車を押しながら歩いていると、栞乃は「源元くんって嘘が下手だよね。というか、料理以外の大体のことが下手だよね」と言ってくる。
「嘘をつくのが上手い人が好きなの?」
「……源元くんはどうして私のこと好きなのかな」
「うーん。気付いたら好きだった。毎日好き」
「そっか……」
どうして泣いてたの、と惇平がまた尋ねる。栞乃は首を横に振って、「みゆきちに嫌われちゃったかもな」と呟いた。
「鉢倉さんに?」
「うん。みゆきちが陽のこと好きになったんじゃないかと思って、だから、もしそうだとしたら私に気遣わないでねって言ったの。というか、それ言いたかっただけなのに、若干喧嘩腰になってしまった」
「へえ……そうなんだ……」
「興味なさそう」
「いや、喧嘩腰の栞乃さん見てみたいなって考えてた」
「ふざけてる?」
「全然」
そのまま無言で歩く。アスファルトの上に散った桜の花びらが、風に吹かれて舞い上がっている。
「上手くいくかな、陽とみゆきち」
「さあ。てか、それって栞乃さんが考えることじゃなくない? あの二人がくっつくかくっつかないかはさ、あの二人の問題じゃん」
「そうだけど」
「今一番大事なのはさ、栞乃さんが本当にそれでいいのかってことなんじゃないかな」
それから惇平は栞乃のことを見下ろす。「どうして泣いてたの、栞乃さん」と、また尋ねた。
みるみるうちに顔を歪ませた栞乃が、両手で顔を覆う。絞り出すような声で「ダメかも」と言った。
「あの二人が上手くいったら、わたし、今までみたいに仲良くできないかも。わたし……どんな顔すればいいんだろう」
「うん」
「陽のこと好きだし、もう子どもの頃から好きだし、みゆきちのことも大好きだし、一番友達だし、それなのに喜んであげられなくて、もしかしたらめちゃくちゃにしちゃうかもなって思うの」
「うん」
立ち止まる。風が吹く。世界は微かに春色だ。
惇平は栞乃の頭についた花びらに気付き、髪を梳くようにして指先で触れる。ひらひらと花弁は舞い落ちた。
あのさ、と惇平は口を開く。
「俺と付き合ってみない? 俺、栞乃さんのこと幸せにするよ。俺はたぶん、栞乃さんことを世界で一番幸せにできる男だよ」
驚いて、栞乃は目を見開く。惇平は淡々と、「どうして栞乃さんのことが好きなのかはわからないけど、栞乃さんの好きなところは数えきれないほど言える」と続けた。
「田所のことが好きでもいいよ。俺はね、栞乃さん。栞乃さんが笑ってれば何だっていいんだ。それで、栞乃さんを笑顔にしてるのが俺だったら本当に幸せだなと思う。それだけ」
栞乃はちょっと後ずさって、目をそらした。
「そんなに真っ直ぐな目で見られたら困るよ……。源元くんは、ここで頷くような女の子が好きなの?」
「栞乃さんなら好きだよ」
鞄をぎゅっと抱きしめ、栞乃は「ごめんっ」と言いながら走っていく。
一人残された惇平が、頭を掻きながら「しっかりフラれてしまった」と呟いた。
*****
一人でカラオケに行って、深優姫は部屋に入ったものの鞄をぶん投げたまま呆然とした。テレビからは曲の宣伝が延々と流れている。
(田所のこと、好きじゃない)
そう心の中で呟く。
(あたしはじゅんぺーくんが好きだし)
目をつむる。膝を抱える。ちゃんと考えて、と栞乃の声が頭の中にずっと響いていた。
(田所のこと、好きじゃない。好きじゃない……。ちょっとは好き? 違う、すごく好き。でもその“好き”が付き合うとかの“好き”なのかわからない)
今までずっと陽のことを、どこかでこわがっていた。父とは違うけれど、でも父のように暴力を振るうタイプなんじゃないかと。そんな風に考えないようにしていても、一度でも人を殴っているところを見たら深優姫は誰のことだってそう疑った。
でも、ちょっとずつ、ちょっとずつ、深優姫は陽のことを信頼していた。陽がいると安心できる自分がいた。たぶん、陽のことが好きだ。今まで出会ってきた人たちの中でも1位や2位を争うくらいに好きだ。
じゃあ、陽とキスできるだろうか。抱き合って、目を見つめながら、それだけでほんのちょっとドキドキしたりして……そんな風になるのだろうか。
わからない。恋ってなんだろう。
陽といると安心する。この前、『鉢倉のそういうところがすげえ好きだ』と言われて嬉しかった。なんだかドキドキしたと思う。だって去年からずっと変わらず好きでいてくれたんだもん。あたしのこと、ずっと見てくれていた。
だから、陽とキスもできるかもしれない。その瞬間、もしかしたらとてつもなく幸せな気持ちになるかも。それって恋かな。恋じゃん。
陽はたぶんいつだって守ってくれるだろう。陽と一緒にいたら幸せになれるだろう。
『鉢倉さん』
ぎゅっと、ぎゅっと、膝を抱える。惇平の伏し目がちな顔が思い浮かんだ。流れて消えてしまいそうな声が聞こえる。
名前を呼ばれるだけで、すごくすごく切ない気持ちになる。全然、幸せな気持ちじゃない。つらくて苦しい。惇平が隣にいたって安心できないし、むしろテストの前みたいに緊張する。こんなの全然楽しくない。惇平のことを好きでいても、全然楽しくない。
でも、その声をずっと聞いていたいと思う。惇平と会っていない時はいつだって惇平と会いたい。
わかんないよ。そう呟いた。
本当はわかっていた。考えたから、わかってしまった。
カラオケ店を出て、家に帰った。珍しく姉が先に帰っていて、深優姫の顔を見るなり「どした? 男に振られた?」と言ってくる。深優姫はうなづいて、「実はずっと振られてたって今ちゃんと気づいた」と答えた。そして自分も、しっかり振っていた。つまるところ、これはそういう話だったのだ。
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