第2話 僕らは停戦協定を結んだⅡ

【前回までの振り返り】


在原栞乃ありはらしの

 物静かで優等生然としているが言動が割とはっちゃけている。

 田所陽のことが好き。


田所陽たどころよう

 そういう星のもとに生まれている。

 鉢倉深優姫のことが好き。


鉢倉深優姫はちくらみゆき

 消費者をナメているメーカーにはとても厳しいギャル。

 源元惇平のことが好き。


源元惇平みなもとじゅんぺい

 何を考えているかわからない(大抵何も考えていない)イケメン。

 在原栞乃のことが好き。




*****

 



 ずるずるとラーメンをすすりながら、「で?」と陽が口を開く。

「なんで源元は栞乃のことが好きなの?」

「田所には教えない」

 なんで? と尋ねれば、「今さら在原さんのいいところに気付かれても困るから」と返答があった。水を飲み、陽は目を伏せながら「知ってるよ。栞乃のいいところならたぶん世界で一番知ってる。でも女子として好きにはならなかった」と呟く。

 しばらくの沈黙の後で、「田所はなんで鉢倉さんのこと好きなの?」と問いがあった。陽は少し考えて、「別に。一目惚れだし」と答える。


「入学したばっかのときにさ、オレもはしゃいでて、教室のドアの前塞いでてさ」

「うん」

「鉢倉が、『邪魔なんだけど。どいてよ』って言ってきてさ」

「それで一目惚れを? 田所ってMだったんだ」

「その時さ、鉢倉に言われて気づいたんだけど、何人かオレたちのこと見てたんだよな。でも言ってきたのは鉢倉だけだった。すげえやつだな、って思ったんだよ。それでずっと見てた。やっぱ、すげえやつなんだよ、鉢倉って。可愛いし」


 そんなことを真面目に言う陽に、惇平も一度だけ瞬きをして「俺も同じようなもんだよ」と言った。

「入学したてに、授業でパロディ童話みたいなの書いたでしょ。それで、在原さんのすごく面白かったからさ、ずっと気になってたんだ」

「あー、昔から栞乃ってああいうの得意なんだよな。ゆうて栞乃のやつぐらいしか読んでないけど」

「それで俺から話しかけた。すごく面白かったって。そしたら『あんなのクラス全員の読んでる人いたんだ』って言われた。でもすごく嬉しそうで、ああ、すごく素直な反応する人なんだなって思った。いい人なんだろうなって」

「まあ、栞乃は底抜けにいいやつだよな」

 スープを飲んで一息つきながら惇平が「俺って自分以外の人類がうっすら苦手だからさ」と話す。びっくりした陽は「そうなの??」と惇平の顔を見た。


「クラスで誰かと何か委員をやらなきゃいけないってなった時、在原さんとならできるかなと思って立候補して。一緒に授業の準備するようになって。俺、いつもとろいからさ、在原さんが『行こう、源元くん』って呼びに来て、服の袖をちょっとだけつまんで引っぱっていくの」

「うん」

「これは……たまんねえなってなっちゃって」

「うん……?」

「在原さん……好きだ……てなっちゃったんだよね」


 ぽかんとしている陽の前で、惇平はラーメンの器を傾けてまた豪快にスープを飲む。「お前ってさ」と陽が口を開いた。

「確か、モテるよな」

「よくわかんない」

「いつも女子にベタベタされてるよな。栞乃に袖引っぱられたぐらいで好きになっちゃったの?」

「袖引っぱっただけじゃない。『行こう、源元くん』『行くよ』『早く行かなきゃダメだよ、源元くん』って言いながら、あのちっちゃい在原さんが袖の端っこの方を遠慮がちに引っ張りながら俺の前を歩いたの」

「だから?」

「“たまんねえ……好きだ……”ってなっちゃった」

「なるほど」

 おっちゃん替え玉ちょうだい、と陽が言う。それから惇平の背中を叩きながら「なんかわかんねえけど、今すごく頑張れって気持ちだよ、オレ。頑張れ」としみじみ言った。惇平も頷いて「田所も頑張って。間違っても在原さんに心変わりしないで」と言いながらスープを飲み干す。




*****




 顔を真っ赤にした栞乃が、「いつから陽のこと好きか?」と質問を繰り返す。「そーだよ、栞乃ちんはいつからあいつのこと好きなの?」と深優姫が頬杖をついた。

「えー……結構、最初から」

「最初って?」

「私たち、生まれたときから家が隣だったし……なんか、好きとかそういうのより前に、『私この人と結婚するんだろうな』って当たり前に思ってたから。料理を練習するときも、新しい服を買うときも、陽のこと思い浮かべてた」

「うわーそれ……」

 口元に手を当てた深優姫が、「キッツいねえ!?」と目を丸くする。テーブルを叩きながら「キッツいでしょ!!?」と栞乃は叫んだ。

「でもさぁ、それって子どもの頃からの刷り込みであって、本当に田所のことが好きかどうかわかんなくない?」

「……私もそう思った。でも……」

「でも?」

「最初が勘違いだったとしても、結局好きになるとこばっかある陽が悪いよ……。私、幼馴染なんかじゃなくても陽のこと好きになってただろうなって思っちゃうもん」

 瞬きをした深優姫が「ふぅん」と呟く。空咳をした栞乃は「みゆきちは?」と尋ねた。ドーナツを頬張り、「あたしはじゅんぺーくんの顔が好き」と答える。顔かぁ、と栞乃が釈然としない表情をした。

「逆にあの顔に言い寄られて全然心動かないわけ?」

「うーん……言っちゃなんだけど……陽も負けてなくない??」

「ダメですねこれ。重症です」

 手を拭きながら、栞乃が「顔以外は? 源元くんの、顔以外」と尋ねてくる。深優姫はちょっと目をそらして、「あたしは見えるもの以外はどうでもいいから」と呟いた。

 それから何となく、あの日のことを思い出す。たぶん惇平は覚えていないだろうな、と深優姫は思った。


*****


 入学して半年経った頃、教室にはすでに多少のことで揺るがないカーストのようなものが生まれていた。深優姫はまあ安パイの位置。見ようによっては上位くらいをキープして、毎日周囲に気を使いながらそうとは気取られないように必死だった。

 源元惇平は深優姫から見ても盤石のカースト上位だった。勉強もできて運動もできて、何より顔がいい。たぶんどんなへまをしたってその地位は揺るがないと思わされるような男子の一人だった。クラスの女子は大多数が惇平狙いで、深優姫も興味がないなりに『いいよねイケメン。あたしもワンチャンあればなー』とか言っていれば話に乗っかれた。


 疲れたとき、屋上へ行った。なんか今日は一人でお昼ごはん食べよっかなってとき、深優姫は大体屋上へ行った。

『あれ……イケメン様じゃん』

 我ながら、最低な第一声だった。惇平はこちらに気付いても特に反応せず、ただパンを食べていた。『えー、こんなとこで何してんの』と尋ねてみる。

『俺、昼飯のときに話しかけられるの苦手だから。どっかいいとこないかなと思って』

 ストレートな拒絶だった。深優姫は『さーせん、話しかけて』と苦笑する。

『……いや、別に話しかけてくんなって言ったわけじゃないんだけど。ごめん』

『邪魔だよね。あたし、他のとこ行った方がよさそ?』

『大丈夫。鉢倉さん、うるさくないし』

 いやあたしはうるさいでしょ、と深優姫は思う。やっぱり出て行こうかと思っていると、『俺、自分以外の人類がうっすら苦手なんだよね。だから教室も苦手なんだ。人がいっぱいいて』と彼は言った。少し驚いて、深優姫は惇平のことをまじまじと見つめてしまう。

 すると今度は惇平の方から『鉢倉さんはどうしてそんなに緊張してるの』と話しかけてきた。

『え? いや、イケメンと話すのは結構緊張すんのよ』

『そうじゃなくてさ。いつも。教室でも、いつも緊張してるなって思うから』


 深優姫はハッとする。

 緊張、しているのだろうかと考えた。しているんだろうな、と目を伏せる。

 何だか周りがみんな敵のように思えて仕方なかった。勝ち負けのように上手くやらないと足元をすくわれるような気がしていた。


『あー……うん。あたしも。自分以外の人類がうっすら苦手なんだよね』


 そう言うとなぜだか惇平は驚いた顔をして、『すごいね』と言った。『何それ、煽ってる?』と嫌な顔をすれば、惇平は慌てた様子で『いや、全然』と首を横に振る。

『俺、嫌なことからはすぐ逃げちゃうからさ。苦手でもあんなに人とちゃんと付き合ってるのって……すごいなぁって本気で思ったんだ』

 それから彼は彼なりの葛藤の末に深優姫に買ったばかりのプリンを手渡して、『これあげる。頑張って』と言ってきた。


 それだけ。後にも先にも惇平と二人きりで話す事なんてこの時しかなかったし、惇平が深優姫に興味を示したのもまたこれが最後だった。それでも十分だった。たとえ惇平が覚えていないとしても、深優姫にとってはそれで十分だったのだ。




*****





「そんなこと言って、お前は鉢倉のことどう思ってんだよ。心変わりの可能性はないの? あいつあんなに可愛いけど」

「鉢倉さん……?」


 食後の杏仁豆腐を口に運びながら、惇平は「うーん」と首を傾げる。

「人として尊敬してる。田所が言うように、すごい人だよね、鉢倉さんは」

「恋愛対象にならないってこと?」

「うん……」

 疲れさせると思うから、と惇平は言う。「俺、鉢倉さんのこと疲れさせると思うから」と瞬きをした。

「それってつまり“合わない”ってことか」

「そもそも俺と合う人なんてほとんどいない」

「栞乃は合いそうだって思うの?」

「わかんない。でも俺、在原さんになら合わせていきたいなって思う」

「……なんかすげえ残酷な話聞いたな」

 片肘をついて、陽はそんな惇平をぼんやり見た。「何、その複雑そうな顔」と惇平は首を傾げる。「だってオレ、鉢倉に惚れてんだぜ」と陽は瞬きをした。「惚れた女子が報われてないの、ちょっと悲しいじゃん」と続ける。

「……お互い様だ」

「そりゃそうなんだけどな」

 すっかり綺麗になった器を端に寄せながら「田所はさ」と惇平が口を開く。


「在原さんの気持ち、気づいてたの?」と尋ねた。陽は何か答えようとして、しかし口を閉ざす。何とか言えよ、と惇平が眉をひそめた。

「気づいてた……というか、あいつの気持ちって刷り込みなんだよ。オレ、栞乃んちにはすごいお世話になってさ、そしたら在原のおばさんとおじさんが『将来は陽くんのお嫁さんになるんだろ』って栞乃のことすごくからかったんだ。それでその気になってるだけなんだよ、あいつ」

「……そうとは限らないと思うけどね」

「いいやつだけど、やっぱ家族としか思えねえよ。弟妹と一緒だ」

「田所、兄弟いるんだ」

「弟が一人いて、妹が二人いる」

 ふうん、と惇平は呟く。「そういうのがいいのかな、在原さん」と思案顔をした。




*****




 じゅんぺーくんのことどう思ってるの、と深優姫が尋ねる。栞乃は困った顔をして「あー……」とちょっと斜め上の方を見た。

「源元くんかぁ……正直よくわかんない……」

「“正直よくわかんない”ってレベルなんだ」

「一緒に委員やったけどさ、あんま話さなかったし、こっちから話しかけても『うん』しか言わなかったし、嫌われてんだろうなぁって思ってた」

「ああ~」

 唇をすぼめた深優姫が「じゃあ、じゅんぺーくんのことよく知ったらころっとそっちに落ちちゃうかもしれないね」と言う。栞乃は「ふふっ」と笑って肩をすくめた。

「私の十五年の片思いも消えちゃうわけだ」

「案外そうかもよ」

「そうなったらいいなぁ、割と本気で」

「ちょっとぉ! 気をしっかり持ってよ。そんなんじゃあたしが困るよ」


 急に慌てだした深優姫に、「じゃあ不可侵条約でも結ぶ? 願ったりかなったりだけど」と栞乃は言う。「ええ~? つまりどっちも手出さないってこと?」と深優姫は辟易とした顔をして、「“どっちも”じゃないよ。全員好きな人に手を出さないの、卒業するまで」と人差し指を立てた。

「……じゅんぺーくんも田所も乗ってこないんじゃない? だってしたいでしょ、きっと」

「陽は案外乗ってくるよ。ヘタレだから」

「そーなの??」

「こうやってネガキャンしとかないとね。みゆきちがその気になったら困るから」

「なんないって」


 本当になんない? と栞乃が身を乗り出す。「ほんっとーに陽ちゃんのこと好きになんない?」と釘を刺した。「なんないよぉ」と深優姫は怯えた声を出す。

「陽のこと、どう思ってるの?」

「えー……あいつ……なんかさぁ……怖くない??」

「えっ」

 理解不能、という顔をして栞乃は「怖くないよ、全然。世界一怖くないよ」とぶんぶん首を横に振った。「うーん……」と深優姫は腕を組む。


「前にさ、相田が水谷にいじめられてた時あるじゃん」

「そう?」

「知らない? なんか割とステレオタイプのイジメがあったの、金せびったりして」

「水谷くんって誰にでもそうだと思ってた」

「まあ、そうなんだけどさ。相田に対してはさすがにないわって勢いだったわけ」

「うん」

「それで、いつも通り水谷が相田に金せびってるとこに田所が来て、水谷のことぶん殴ってったんだよね」

「へえ……」

「それ自体はさ、『やるじゃん田所!』って話なんだけど、あたしちょうどそれ見てて……『えっ、田所ってそういうタイプじゃなくね?』ってすごいビビっちゃったんだよね。引いたっていうか」


 深優姫は反応を伺ったが、栞乃は別段驚いた様子もなく「そうなんだ」と言ったきりだった。

「驚かない感じ?」

「うん。私からすると、陽は『そういうタイプ』だから」

「あっそう……」

「でも別に喧嘩が好きなわけじゃないし、怒って手が出るわけでもないから……怖いって思ったことは一度もなかったな」

 ふうん、と言いながら深優姫はほとんど水みたいになったコーラを飲む。「あたしも、悪いやつじゃないってわかってるんだけどさ」と瞬きをした。




*****




 栞乃が停戦の宣言をしたのは次の日のことだった。

 色恋でピンク色になった彼らの頭で、それでも一線を超えないまま高校生活を謳歌できるのか。いつのまにか、逃れるすきもなく、なんとなく彼らは春だった。

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