第4話
その日、夕方まで電車に乗り続け、ようやく篠原少年は駅の外に出た。
人はまばらで、駅前のビルは殆どが5〜6階建て。静かな町だった。車の音も人の声もするのだが、それらは広い空に溶けて静寂と混じり合う。
「盛岡……県?」
「岩手県です」
少し呆れた声で篠原少年が訂正する。
座っていただけとはいえ、早朝から移動しっぱなしの二人の顔には疲労が滲んでいた。キャリーバッグもゴロンゴロンと疲れた音を出して転がっている。
「ホテルで少し休みましょう……予算の都合上、セミダブルですが良いですか?」
「うん」
駅からほど近いビジネスホテルに入る。窓の外には川が流れている。
「一級河川の北上川ですね」
「物知りだねぇ、篠原くん」
真帆はばったりとベッドに倒れ込んだ。
「本当にベッド一緒で大丈夫ですか?気になるなら私は床に」
「いいよ、もう一緒で。どうせ」
どうせ行きずりの男と寝て生活してるし――と言いかけてやめる。相手はまだ声変わりもしていない子供だ。真帆にもそれくらいの分別はあった。
「すみません。気付いたことがあったらちゃんと言ってください。私は少し変なので」
「変?」
「変わっている、と言われます。空気が読めないと、皆そう言います。桃李は普通じゃない。桃李はおかしい。桃李なのに、私の周りからは人が離れてゆきます。桃のように黙っていれば良いのかもしれません。でもできません。言葉がどんどん頭に浮かんで口から溢れてしまうのです。それで」
少年は言葉を切った。ひとつ息を吸って、少し上ずった声でまた続ける。
「クラスメイトの誰も私と話さなくなりました。話しかけても逃げられてしまう。教師には『篠原は自分の話だけじゃなくて相手の話も聞くべきだ』というようなことを言われました。それで私は聞く努力をしました。でも相手の話を聞きたくてももう誰も私に話をする人は」
痛々しい告白はそのまま真帆の歩んできた過去と重なって、感情がシンクロする。
「もう、いなかっ」
声を詰まらせる篠原少年を見ていられなくて、真帆は言った。
「ねぇ、あたし、篠原くんが変だなんて思ってないよ……」
まあ、確かにちょっと変わってはいる。だって初対面の人間連れて旅をするなんて、普通の子じゃなかなかやらない。でも――普通って?
真帆は微笑った。普通じゃないのはお互い様。
「ベッド、一緒でいいよ。蹴っ飛ばしたらごめんだけど」
夕食はホテルの前のコンビニで買ったおにぎりで済ませた。
部屋の明かりを消すと、まばらな街の灯が川越しに見える。夜空は暗く、川は黒い。
「篠原くん、起きてる?」
「ええ」
顔が見えない暗闇は心を開きやすい。
「……学校ってさぁ、行きたくなきゃ行かなくてもいいっていうけど……あたしみたいになっちゃっても困るからなー」
「真帆さんみたいに、とは?」
「まあ、ほら。あたしもさぁ、学校とか親とかとうまくやれなくてさ。家、出ちゃったんだよね。しばらくは友達んちとか彼氏んちとかに住んでバイトとかしてたんだけど……彼氏と別れて追い出されちゃったら、住むとこなくなっちゃって……仕事もさぁ、高校行ってないし……ほら、バカだから?水商売とかも続かなくてさ。今やネカフェ難民……いや、むしろラブホ難民?なんつって」
ははは、と笑ってみたが篠原少年は笑わなかった。代わりに、静かに話しだした。
「……ヒエラルキーの底辺は常に2〜3人いました。僕らは順番に標的になった。ヒエラルキー上位の人間たちにとってそれは退屈しのぎの遊びに過ぎませんでした。ホイジンガはホモ・ルーデンスで『遊ぶ人間』を定義しましたが、まさに彼らは退屈になると新しい遊びを考え出します。どうやれば標的が苦しむか徹底的に考察して実験して研究します。それが効果を発揮すると喜び、更なる手法を開発する。楽しい遊びです。そして観客たちは僕らがいたぶられる様子を娯楽として楽しんでいた。悪気なんてない。ただ面白いから見ているだけ。映画を見るのと一緒です。映画よりもリアルなドラマが目の前で起きているだけ」
「……つらいねぇ……」
ぽつりと出た言葉は、篠原少年に向けたものか、真帆自身に向けたものか。
「いいえ、私は共感や慰めを必要としているわけではありません。慰められる資格などないんです」
遠くまで来た――そう思わずにいられない、光のない夜景を眺めながら、少年は深淵を覗いた。
「苦痛は卒業まででした。中学に入って、私は観客側になったのです」
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