第3話

「シンエン?」

 漢字変換できなくて真帆が聞き返す。

「深い淵、と書いて深淵です。淵とは川などの中で深くなっている場所を指します。ですから深淵とは深いという意味が重複していることになりますが恐らくただ深いだけではなく、とても深い場所、を指してそのように呼ぶようになったのかと推測します。これは私の推測ですから真実かどうかは不明です。深淵とはまた心理的概念的な意味で使われることもあります。即ち心の深淵、善悪、中でも特に悪の深淵、そういった意味です。ニーチェの言葉に『深淵を覗く時、深淵もまたこちらを覗いているのだ』というのがありますがこれには前段があって『怪物と戦うものはその過程で自分自身も怪物にならないよう気をつけなければならない』という記述に先程の深淵のくだりが続きます。つまりここにおける深淵とは怪物であると考えられますが、怪物と戦うに当たり自分自身が怪物になるという現象はつまり敵であるはずの怪物即ち深淵が自らの中にも発生すると捉えられます。これらの事例により深淵を心理的概念的に解釈するとそれは主に善より悪、理性より狂気、光より闇に通ずるものであろうかと思われます」

「……篠原くん、頭いいのね……」

「それは馬鹿にしているのですか」

「まさか!本当にそう思ってるよ。難しいこと知ってて、凄いなあって」

 その時、車内アナウンスが流れた。

『次は終点、宇都宮〜宇都宮です。宇都宮線黒磯方面はお乗り換えです……』

「乗り換えです」

と、篠原少年が言った。


 終点に着く度に乗り換えて、もう何回目だろうか。七時台は学生がぱらぱらと乗ってきては、制服ごとにまとまって降りていった。八時台は勤め人が乗ってくる。ぎゅうぎゅうに押し合う、これから働きに行くであろう人々。無職なのに席を占領していると思うと、真帆は少し気が咎めた。そっと隣を見ると、篠原少年は相変わらず涼やかな顔で、本を読んでいる。

「それ、何の本?」

「処刑の歴史についての本です。興味深いことに現在密室で行われている死刑執行は二百年程前までは処刑場で衆目に晒されながら行われていました。何の関係もない町の人々が、罪人が死ぬところを見ていたのです。およそ二千年前、帝政ローマ時代に建造されたコロセウムでは主に剣闘士が猛獣と戦う競技が行われていたのですが中でも一番の見世物は奴隷にされた捕虜や罪人同士が死ぬまで殺し合いをするショーでした。今私達が映画やドラマで殺人を観るように彼らは人間同士が本当に殺し合うのを見て楽しんでいたのです。人が必死で苦しみ殺し合う姿は観客にとってはこの上ない娯楽なのです」

 奴隷と市民。たまたま生まれ落ちた場所、辿った運命が僅かに違っていただけ。その小さな違いが、惨殺される者と愉しむ者とに命運を分ける。

「昔は残酷だった――でも私たちもテレビで殺人を観るのと何が違うのでしょうか。仮に現代で合法的に殺人を観ることが許されるならば、人々が処刑場に殺到しないと言い切れるでしょうか?」

「篠原くん、難しいこと考えてるんだね……」

 真帆はそれしか言えなかった。篠原少年は再び本に目を落とした。

 それからしばらくの間、何か気の利いた感想を言わなければと真帆は考えあぐねたが、何も思いつかないまま電車は仙台に着いた。時刻は丁度12時。

「次の乗り換えまで50分あります。ここでお昼にしましょう。私はここで牛タン定食を食べたいと思っているのですが、真帆さんは違うものが食べたければ一旦解散して」

「いや、私も牛タン、食べたい!」

「わかりました。では一緒に食べましょう」

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