第2話
朝5時、真帆と少年は駅の改札の前にいた。少年はまだ背が伸び切っていなくて、真帆の鼻先くらいまでしかない。
「何、その切符?」
「青春18きっぷです」
「……なにそれ……?てか、私もうハタチ超えてるけど」
「これはJRの乗り放題切符です。5日間もしくは5人分利用できます。年齢は関係ありません」
少年の計画は真帆の想像を遥かに超えていた。つまりこの切符を使って真帆と旅をしようというのだ。
真帆は少年に導かれるまま、始発に近い電車に乗り、ひたすら北へ向かう。
「眠い……」
車窓から差し込む朝日がぽかぽかと空気を温め、単調な揺れも相まって、まるで睡魔が真綿の両腕を広げているかのよう。
「乗り換えまで一時間半はあるので、寝ていただいて結構ですよ」
「んじゃ、遠慮なく……」
真帆はうとうとと微睡む。
……タタン……タタタン……タタタン……
時折微睡みから覚めて目を開けると、陽の光の中に空中のほこりが白く浮遊している。そして同じような白さで、少年の産毛が発光していた。うっすらと光をまとった少年は、まっすぐに窓の外を見つめていた。
ビルの立ち並ぶ都会を抜けると住宅地がどこまでも続いている。
「ねえ、名前を聞いてなかったわ。あたしは真帆。あなたは?」
真帆は思いついたように言った。
「篠原桃李です」
「ああ、あの」
「ある俳優と同じとよく言われますが元は中国の故事から来ています。物言わぬ桃の下にも香りにつられて人々が集まることから転じて人徳のある者の周囲に人が集まるという意味があります。つまり私に徳があれば人が集まってくるということですが名前負けという言葉がありまして兎角大仰な名を付けられた人間すべてがその名に恥じない人生を歩むかと言われれば必ずしもそういうわけではないと常々思っている次第ですが」
「……えっ、と。つまり君は、その名前をあまり好きではないと、いうこと、かな?」
唐突に始まったあまりに長い説明に面食らう。その内容を正しく汲み取れた自信もなく、真帆は恐る恐る言った。
「いえ、好きか嫌いかと言えば嫌いというほどではありませんしそもそも私に名付けの選択権はなくこの名と共に生きるしかないのですからいちいち嫌っていては精神を無為に擦り減らすことに繋がると思いあまり名のことは考えないようにしていますが真帆さんとは初対面ですので自己紹介がてら由来を説明した次第です」
「……へぇー……」
真帆は篠原少年の言っていることの半分以上が理解できなかったが、真帆にとって相手の話を理解できないのは今回に始まったことではなかったので、あまり深く考えないことにした。
頭の回転が遅いと小さい頃からよく言われてきた。家族も教師も友達も同僚も皆同じ意見だった。誰も真帆の立場に立って真帆を擁護する者はいなかった。だからそのせいで不利益を被っても、バカな自分が悪いんだと思った。鈍くて、頭の回転が遅くて、ちょっとバカで、どんくさい。皆が言うのだからその通りなのだろう。真帆が自分を肯定できる要素など、どこにもなかった。
「まあ、じゃ、篠原くん。あたしたちは一体、どこへ向かっているんだろう?」
「深淵です」
今度は簡潔だった。
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