第2話 人と妖
「いいですかあなた達。よく聞いてください」
畳の上で行儀よく正座をしながら
「人間の体に不慣れなのはわかりますし、今までに無かった感覚を珍しく思うのは理解できます。ですが私達にはきちんとした使命があるのですよ、わかりますか」
ゆっくりと噛みしめるように言葉を紡ぐ杏の声は、まるで地を這う悪鬼のようにおどろおどろしい。畳の上でちょんとあぐらをかいている猫又がおそるおそる金色の目を上に向ける。
「姉ちゃん、怒らせると怖いんだね……」
「何か言いましたか、猫又」
「な、なんでもないよ〜アハハハ」
ピューと口を尖らせて口笛を吹く猫又を見て、杏は再びため息をつく。まだ朝だというのに起きてから何回ため息をついただろうか。
「もう一度言いますよ。うつりよから離れて幽世に行った霊魂達は輪廻の循環を待ちますが、時に無念の死を遂げた者達が悪鬼となって現世に現れ、生者を幽世に引きずり込もうとします。悪鬼を滅するためには大きな力が必要。ゆえに、高位の霊力を持つあなた達に協力して頂いてるのですよ。その代わり、私達はあなたがたに常に霊力を分け与えています。広義の意味で見れば、あなた方も私と同じように神に奉仕するもの。もっと節度を持った行動を心がけてください」
「そりゃあねぇ、あんたには借りもあるし、協力してもいいとは思ってるけど、正直私はご飯さえ食べられればいいのよね〜」
「そーそー。姉ちゃんの所にいれば
「最近は霊力を持つ者も霊場もとんと少なくなってしまったからな。食うものに困る妖も多い」
頬杖をつきながら言う鵺と二股の尻尾をゆらゆらさせながら言う猫又に、牛鬼も腕組みしながらうんうんと同意する。
神職者と妖の神聖なる結びつきを、単なるご飯契約だと思っている妖達を前にして、杏は本日何度目かわからないため息をついた。
――
相反する二つの存在が手を組み始めたのは近年のことだ。
本来、人間には大なり小なり霊力というものが備わっているが、杏達のように高い霊力を持つ者達は主に神職者と呼ばれている。彼ら神職者達は古来より霊を鎮める役割を担っていたが、時が経ち文明が発展するにつれて人々は徐々に信仰心を失っていき、それに伴って神職者達も数を減らしていってしまった。
だが、死者の魂から生まれる悪鬼達はいつの時代も健在だ。この世に人の死が無くならない限り、死者の魂を喰らう悪鬼達は増え続ける。増え続ける悪鬼達に対し、残念ながら神職者は時代を経るたびに減り続けているのが現状だ。
このままでは国を護ることができないと考えた政府は、古来より高位の霊力を持つ妖の手を借りることにした。
彼らに人の姿を与え、悪鬼達の魂を狩る。代わりに、神職者達は妖が糧とする霊力を保証し続けるのだ。近年できた仕組みゆえ改善すべき点は多々あるが、それでも彼ら妖を戦力に入れたのは大きかった。
問題は、彼ら妖と人との共存だった。妖と手を組むにあたり、なるべく彼らに人の生活を知ってもらうよう人間としての器を与えたが、やはり見た目は同じであれ中身は妖だ。
教えなければならないことも多く、そしてまた人間達が妖に振り回されることも多かった。
「あなた達が人間の肉体を得て悪鬼の霊力を糧にできるようになったのは、私が霊力を与えて続けているからなの。私の疲労度が増すほどあなた方の体にも不調が出るのよ。お願いだからもう少し私を労ってほしいのだけれど」
はぁ、と大きくため息を付きながら言うと、四人はおう、とかうい、と思い思いに返事をしてくれる。決して悪い者達ではないのだが、いかんせん人間の世界を知ったばかりだ。最近巫女として悪鬼退治の任についたばかりの杏にとってはなかなかに重たい任であることには変わりなかった。
犬神。初めて杏が傘下においた妖であり、最も付き合いが長い。彼なりに自分に忠誠を誓っているらしく、世話役を買ってでているが元々の性格が粗野で荒々しく、雑事を任せられない上に初対面の妖とは喧嘩になることが多く、なかなかのトラブルメーカーだ。
猫又。可愛らしい見た目をしているが、中身は悪戯好きで杏や仲間の言うこともまともに聞かない。その場が面白ければ何でもいいと思っており、任務や使命を果たそうとする気はあまりない。
牛鬼。快活で癖がない性格だが、怪力ゆえにどこもかしこも破壊してしまうことが多く、彼が来てから神社の修繕費がかかって仕方がない。
一癖も二癖もありすぎる妖達に、杏は手こずっていた。だが、自身に課された任務は待ってくれない。悪鬼が出れば滅しに行き、妖が出れば重複して配下にいれる。
下手をすれば命を落とすこともある任務であるにも関わらず、未だ妖達を制御しきれていないことに、杏は内心で焦っていた。こうやってこんこんと説教をしても、いまいち彼らの心に届いていないようなのだ。もう少し釘を指してやらねばと杏が口を開いた時だった。
シャンシャンシャンシャン
突如激しく鳴る鈴の音に、杏はビクリと肩を震わせた。空気を振動させる鋭い音色が自然と杏の居住まいを正す。
「私達の管轄地に悪鬼が出たようです。皆行きますよ」
「えっやったー! お説教終わり? しかもご飯の時間じゃんラッキー!」
「ええー。私今日化粧のノリが最高だから戦闘で崩したくないのよね〜。ちょっと牛鬼、アンタ私の分も狩ってきなさいよ」
「ははは、何を言っているのかわからないな」
「もう! いいから皆早く来てください!」
杏が感じるビリビリとした緊張感などまるでないかのようにユルすぎる妖達に叱咤する。彼らの尻を叩きながら杏は社務所を飛び出した。
急いで庭に出て境内にある大鳥居に向かう。
杏は目の前で揺らぐ空間を睨みつけながら、ぐっと拳を握る。
「悪鬼が何体いるかはわかりません。皆、気を引き締めて」
「ええ〜だからぁ、アタシ今戦う気分じゃないのよね〜今日はパスしとくわぁ」
「犬神、鵺を抱き上げて連れてきてください。横抱きで」
「えっ犬神のお姫様抱っこ? それなら行く行く!」
「あぁ? 横抱きぃ? 横に担げば良いのか? ほらよ」
「ぎゃーー! ちょっとぉ! マジで横に担ぐやつがどこにいるのさ! これじゃ米俵と一緒じゃないの! きゃーー! 裾がまくれて下着が見えちゃう! 犬神のすけべ!」
「別にいいだろ、お前男なんだし」
「だめなものはダメーーー!!」
「ははは、俺も男のイチモツを見るのはご遠慮いただきたい所だな。まぐわうならあっちでやってくれないか」
「まぐわうって何だよ、気持ち悪ぃな」
「イチモツって言うなゴラーーッ!!」
ぎゃあぎゃあ煩い男三人を能面のような目で見ていた杏は、説教から免れて鼻歌を歌っている猫又に向き直る。
「それに猫又、悪鬼を取り逃したらさっきとは比べ物にならないくらいのお説教が待っていますからね。あと屋根裏に隠しているお菓子はすべて没収します」
「げっあれバレてたの?」
「あなたの持っているネズミの玩具がラインナップ全色揃っているのも、最近アップグレードしたドブネズミverを揃え始めたのも知っています。では行きますよ」
なんとか彼らを戦いに参加させることに成功した杏(この時点でかなり疲労している)は、鳥居の中で揺らめいている空間の中に身を投じた。
──────
────
鳥居の外は森の中だった。背の高い木々が生い茂り、まだ朝だと言うのに辺りは薄暗い。足元をヒヤリと撫でる冷気に、杏はぶるりと身を震わせた。
「姿は見えないけれど、いるわ。十五体──いえ、三十体!」
途端に、木々の間から悪鬼が飛び出してきた。ガリガリに痩せた骨と皮だけの黒い鬼が、四つ足で地面を蠢く。落ち窪んだ眼は杏達を睨めつけるように捉えていた。
悪鬼を目の前にした犬神の目がギラリと輝く。
「相変わらず汚ねぇナリしやがって。お前みたいなのは俺が真っ先に排除してやんよ!」
「あっ! 待ちなさい犬神!」
杏の静止の声など聞こえなかったかのように、犬神が悪鬼に飛びかかった。空中で手を構え、ギラリと爪を光らせて瞬時に悪鬼の首をハネる。ギィッと一声鳴き声をあげて悪鬼の体は地面に転がった。屍となった体からすうっと蜃気楼のように薄紫色の煙があがり、犬神の赤銅色の髪の艶がほんのりと増した。
「ハッやっぱり飯は上手いな! 力が湧き出てくる!」
爛々と目を輝かせながら犬神がニヤリと笑う。赤くなった瞳は瞳孔が開き、口からは鋭い犬歯がチラリと覗いた。悪鬼を葬り、彼らが持つ霊力を得たことで妖としての本来の実力を出せるようになったのだ。
いきいきと空中を飛び回る犬神を見て、他の妖もソワソワと動き始めた。
「ちょっと! 私も食べたいわ! ちゃんと私の分まで残しておいてよね!」
「わー! 待ってよボクも行くー!」
「おお、それならば俺も行こうか。早いもの勝ちというやつだな、ハハハ」
他の三人の妖達も口々に言うと、湿った大地を蹴って思い思いの方角へ散っていく。
「あっ! 待ちなさい! 猫又! 鵺! 牛鬼!」
だが杏の叫び声も虚しく、三人はそれぞれ森の中へ姿を消した。伸ばした腕は空を切るのみ。一人取り残された杏は腕をおろした。
(彼らが命に従わないのも私の実力のせいだわ……)
悪鬼を葬るために戦場へ行くのもこれで何度目だろうか。もう何度も戦いに出ているのに、彼らは一向に杏の言うことを聞いてくれない。それぞれが自らの食欲を満たす為に好き勝手に暴れているだけだ。
彼らの霊力を感知しようと目を伏せた途端、突然ぐらりと世界が回転するような感覚に襲われ、杏は地面に片膝をついた。
(しまった……霊力が……!)
彼ら妖が悪鬼の霊力を糧にできるのは、杏が彼らに霊力を分け与えて人の姿を保っているからだ。霊力とはすなわち、彼らの生命そのもの。神社の敷地内にいるうちは、結界内の霊気に満たされて彼ら妖は自由に動けるものの、一歩結界の外に出れば、彼らが動き回る度に、どんどんと杏の霊力は吸い取られていく。
力が入らなくなってきた右手を感じながら、杏はグッと拳を握った。
(とりあえず私の霊力がゼロになる前に早くなんとかしないと)
杏は唇を噛むと、彼らの霊力がする方へと駆け出していった。
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