古今東西妖戦記
結月 花
第1話 日々の混沌とお仕事
灯籠が並ぶ階段を登りきると、荘厳なしだれ桜と共に真っ赤な鳥居が現れる。石畳の向こうに見えるのは大きな拝殿だ。
鮮やかな桃色をした桜の木々の中に佇む真っ赤な鳥居と拝殿はこの世のものとは思えぬほどに美しく、神社の中に漂う静謐な空気は来る者の居住まいを正す程に澄みきっていた。
朝の祈祷を終えた
桜の香りのする春の風が、腰まである髪と頭につけた紅白の
「お嬢、飯の仕度ができたぞ」
後ろから粗野な声が聞こえ、杏は振り向く。そこに立っていたのは背の高い男だった。
少し長めのツンツン跳ねた赤銅色の髪と、鋭く輝くツリ目の金瞳。血のように赤い和服を着て炭のように真っ黒な袴を履いている。
「おはよう、犬神。今日もいいお天気ね」
「おう。お嬢も毎朝大変だなぁ。こんな面倒くせぇこと、やめちまえばいいのに」
「神への奉仕は何よりも大切なことだもの。それが霊気を高めることにも繋がるのよ。犬神、あなたも一緒にお祈りをなさい」
「いや、俺は遠慮しておくわ。神なんて喰ってもうまくなさそうだし」
犬神、と呼ばれた男はまるで興味が無さそうに杏の提案を一蹴する。道端を歩いていれば女人が振り返りそうな程の美丈夫だが、その端正な顔立ちとは裏腹に言動は粗野で荒っぽい。
目の前で偉そうに腕組みをしながら仁王立ちしている男を見て、杏は軽くため息をついた。
「はぁ。あなた方はもう少し信仰心と言うものを持っても良いと思うのですが」
「おっそうだ。飯だ飯。お嬢、早く来ないと冷めちまうぞ」
「ご飯を作ったのは私なんだけれど……まぁ配膳をしてくれただけでも助かります。行きましょう、犬神」
そう言って杏は犬神と共に社務所への方へと向かった。
社務所の一画、宴会ができる程に広い和室の隅に座り、杏は居住まいを正す。正座をしながら待っていると、犬神が膳を運んできた。
汁物もあるはずなのだが、ドカドカと大きな足音をたてながらやってくる彼を見て、杏は内心で色々と諦めていた。おそらく今日の汁物は半分くらい膳に溢れているし、おかずもきっと四方に飛び散っているのだろう。
目の前にやってきた犬神はドンっと音を立てて善を杏の前に置いた。蓋をした汁の椀が飛び跳ね、ビシャっと膳に溢れる。なんだか最後の汁まで溢れた気がしなくもないが、膳を運んでくるようになっただけでも大きな成長だろう。
「お嬢、飯だ。早く食え」
「犬神、言葉が荒っぽいですよ。そういう時は、たんとお上がりなさい、とかもっと優しく言ってください」
「あ? わかった、善処する」
そう言って犬神が頷き、どかりと杏の目の前にあぐらをかく。杏は特に美男子好きと言うわけではないのだが、端正な顔立ちが目の前にあるのは視線のやり場に困る……というか、端正でなくとも目の前で食事風景をジロジロ見られるのは落ち着かない。
「犬神、普通は目の前でじっと見られると食事がしにくいものですよ。もう少し座る位置は考えてください」
「俺はお嬢の世話焼きだからな。何か用事があればすぐに動けるような場所にいないと駄目だろ」
ふん、と鼻を慣らして得意気な顔をする犬神を見て、杏は内心でため息をつく。だからと言って目の前に座ることはないだろう。努力しようとする姿勢は褒めるべき点だが、感覚がずれているのは彼が人間ではないからなのだろうか。
などと色々なことを思いながら椀に口をつけていると、ドタドタバタンと音がして
「ちょっとーあんずぅー! 私の鏡知らないー!?」
入ってきたのは桃色の打掛を着た美しい女性だった。藤色の長い髪がさらさらと揺れ、透き通った若草色の瞳がこちらを向く。彼女が動くたびに頭についた
「そこにある鏡がそうですか?」
「あらほんとじゃない! あーもう、なんでこんな所にあるのさ!」
杏が脇の文机の上をさすと、はたしてその上には細かい装飾のついた手鏡があった。美女がぷりぷりしながらそれを手に取り、何かに気付いたのかピキッとこめかみに青筋がたつ。
「ちょ、ちょっと何よこれ〜〜! 猫又ー! お前のしわざね!!!」
美女が手鏡を持ちながらうがーっと吠える。またいたずら好きの猫又が何かやらかしたのだろうか。
美女から鏡を受け取った杏は、それを一瞥し思わず苦笑いをした。美女が大切にしているその手鏡は、ガラスの部分に墨で絵が描かれ、使い物にならなくなっている。
「あーなるほど。やらかしましたね」
「きー! もう腹立つー! あのいたずら猫め、今度こそとっちめてやるわ!」
「んん〜? 別にこんなもんなくたって身繕いできるだろうが。お前、男だろ」
「きゃっ! それは言っちゃダメ〜! 犬神のいけず〜!」
クネクネしながら犬神にすがりつく美女……もとい美男を犬神は心底嫌そうな顔で見ている。普段は細かいことを気にしない男だが、さすがに男にベタベタ触られるのは気になるらしい。
「最近お前、女の格好をしてることが多くないか? たまには元の姿に戻れよ。落ち着かねぇ」
「えぇ〜そんなぁ〜犬神は可愛い子は嫌い?」
「可愛いとか可愛くない以前の問題だろお前は。そもそも、急に招集が来たらどうすんだよ。そんな格好戦いにくいだろ、
「ぎゃあ! 本名は言わないで! ぬーちゃんって呼びなさい!」
「お前の本名を呼ぶことの何が悪ぃんだよ。気持ち悪いな」
「酷い〜私はこんなに犬神のことが好きなのに〜」
そう言いながら美女……いや美男……いや鵺が犬神の袂に手を突っ込む。男の手で素肌を弄られる感覚に、犬神の背筋が総毛立った。
「てめっやめろ! 触んな!」
「え〜なんで〜? わたしいい男大好き〜! あら、犬神ったら意外といい体してるじゃない! もっと見せなさいよ!」
「だから気持ち悪いんだよお前は! 人の体を得たからと言って調子に乗りすぎだ!」
犬神が鵺を肘で引き剥がすが、美女の格好をしていても体は男だ。しがみついたまま離れない鵺の存在に、犬神が助けを求めるようにこちらを見てくるが、華麗に無視をして椀に口をつける。落ち着いて食事ができなくなったのは一体いつからだろうか。
漬け物を箸でつまみ、ポリポリと齧っていると、天井の方で何やら微かな物音がした。家鳴りかと思ったが、おそらくこれは違う。目を凝らして見ると、天井に開いた小さな穴から金色の光がチラリと見えた。
(はぁ、もういい加減にして欲しいですね)
杏は膳に箸を置くと、懐から呪符を取り出し、ピッと投げて天井にそれを貼り付けた。印を組んで念を込めると、天井部がサッと横にスライドする。「わぁっ!」という悲鳴と共に落ちてきた黒い塊には黒い三角耳と二つに別れた尾がついていた。
「あてててて……姉ちゃん酷いよ。急に天井を開けるなんて。もう、いったいなー」
腰をさすりながら黒いものが起き上がる。まだ少年と言っていいくらいの小柄な男の子だ。紺色の袷の下に甚平のような黒い半ズボンを履いている。お尻から出るのは二股に別れた二本の尻尾。ちょっぴり長めの青みがかった黒髪から覗く、恨めしそうな金色の目を見て杏はため息をついた。
「あなたがそこにいるからですよ、猫又。今日は何をしたんですか?」
「べ、べっつに何でもないけどぉー? 天井でお昼寝してただけだよっ」
「またバレバレの嘘をついて。それではその手に持ってるものを見せてください」
「な、なんも持ってないよっ」
慌ててさっと両腕を後ろに回す猫又に犬神が近づき、無言でそれを奪い取る。
「あっ」
「くっだらねぇおもちゃだな。ほれお嬢」
「これは……ねずみの玩具ですね。大方これを私の前に落として驚かせようとしたのでしょう」
「えっそ、ソンナコトナイヨ〜」
「声が上ずってます、猫又」
「あっ! そういやあんた、私の鏡!!」
そっぽを向いて口笛を吹く猫又に、鵺がハッとして掴みよる。
「こんのいたずら小僧! 私の大事な鏡にいたずらすんじゃないわよ!」
「アハハッ! だって必要ないじゃん、男だし〜むしろ今よりもっと綺麗に映ってると思わない?」
「思 う わ け 無 い だ ろ! てめぇ、八つ裂きにして喰ってやるぞこの化け猫野郎!」
「あれれ〜口調が男に戻ってるよ」
「え? きゃあっ! いや〜ん私としたことが!」
慌てて猫又の首を離してクネクネと恥ずかしがる鵺を、犬神が気持ち悪いなという目で見ている。
「ねー犬神も、たまにはこのいたずら猫を懲らしめてやんなさいよ! ほらほら」
「だから着物の中に手を入れるんじゃねぇ! 離れろ馬鹿!」
「んん〜? 鵺は犬神の裸が見たいのかな? そしたら僕が協力してあげるよ〜」
猫又が笑いながら犬神の着物の帯を引っ張る。シュルリと音を立てて帯がほどけ、犬神の着物の裾から男の足がチラリと見えた。
「わっ! くそ、こんにゃろ! 返しやがれ!」
「へっへーんだ! 返してほしけりゃ取り返しに来なー」
「きゃあ犬神ったら大胆ー! それは私へのサービス?」
「だからお前はくっつくな! ちょ、押すな馬鹿! うわっ」
女の格好をしているとは言え中身は男である鵺に押されて、二人は揉み合いながら床に倒れる。着物は乱れ、なんとなくいかがわしい見た目になっている二人を、杏は能面のような目で見ていた。何の罰で自分は朝っぱらから男二人のイチャツキを見せられなければならないのだ。しかもご飯中に。鵺が犬神の着物をはだけさせてうっとりする。
「うふふ〜猫又もたまには役に立つじゃない。いい眺め〜」
「ふざけんなてめぇ! せめて前は隠せ!」
「んもう、別に良いじゃない。ここは男しかいないんだし」
「女ならそこにお嬢がいんだろうがよ!」
「あら、そうだったわね。色気がないから忘れてたわ〜」
シレッと暴言を吐く鵺の言葉を聞かなかったことにして杏は椀をすすった。今日のお吸い物も美味しい。まあ自分で作ったものだけど。
鵺を力付くで引き剥がした犬神が飛び起き、着物の袷を掴みながら猫又に詰め寄る。
「おいコラこのクソ猫。日頃の諸々も含めて仕置してやる。来い!」
「ええー怖いよう。助けて鵺ー!」
「なんでよ。あんた私の鏡のこともあるでしょ、助けるわけないじゃない」
「助けてくれたら、今度犬神の
「えっ本当に? それなら、えーい」
「おい俺を羽交い締めにするな! 離せ!」
羽交い締めにされた犬神が暴れるとドタバタと家屋が揺れ、振動で神棚に置いてあるものがカタカタと音をたてた。
と同時に、杏が先日買ってきたお気に入りの陶器の花瓶が床に落ち、派手な音を立てて割れた。床に散らばる花瓶の破片を見て、杏のこめかみにビキッと青筋が立つ。
「い い 加 減 に なさいっっっ!!」
ビリビリと部屋中に響き渡る大声に、三人はピタリと動きを止める。懐から呪符を取り出した杏はユラリと立ち上がった。
「あなた達……覚悟はできてますよね」
「ま、待てお嬢、札はやめろ!」
「あらやだ、本当に怒らせちゃったの?」
「ね、姉ちゃんごめんってもうしないから」
「問答無用です! 反省なさい!」
杏が呪符を三人の額に貼り付けようと近づいた瞬間、ガラリと襖が開いて大男が顔を出した。短く切られた銀髪に赤い目。背が高く、頭が梁につきそうだ。黒い法衣に数珠をつけた彼は訝しげな表情をする。
「なんだ、随分と騒がしいな。杏殿、どうなされた?」
「牛鬼! 聞いてくださいよ! ひどいんです、私の花瓶が〜〜!」
「あーなるほどな。この荒れた部屋もこいつらの仕業か。安心しろ、俺が直してやろう」
そう言って牛鬼と呼ばれた大男がカラカラと笑う。彼の頼もしい言葉に杏がジーンと感動していると、部屋の中に入ろうとして襖に手をついた彼の手が襖を真っ二つにへし折った。
「あ」
「おっとすまんすまん。まだ人間の体に馴染んでいなくてな。力の加減がわからんのだ。はははは」
快活に笑う牛鬼の笑い声を聞きながら、杏は目の前が真っ暗になった。
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