第12話 司書さんたち、怒ってる?

「桜、来てくれてありがとう」


 ジェイド・クロードって指名手配犯の家宅捜索。そんな大事件に私はイリスさんの副官として参加してしまった。


「私、頑張ります。できることは少ないけど」


 ガジェットをいつでも発動できるようにし、クロードの拠点へ徒歩での移動だ。なるべく警戒させないようにってことだけど、五、六人の突入メンバーは結構強面が多いし、インカムからはあちこちで狙撃班の準備完了の声が聞こえてくる。


「うん。でも、指示には従ってくれよ? 退がれといったら退がる。逃げろといったら逃げる。約束だよ」


 返事をためらうと、彼女は約束だからねといいきかせるように呟いた。


「ここだ」


 なんの変哲もない雑居ビル。その一階のワンフロアが、今回の現場だ。

 イリスさんは受付さんにクロード氏と約束があると言ったが、もちろん嘘だ。


「そのような約束は承っておりませんが」

「おかしいな、これを見てくれ」


 懐にあるのは、手軽に人を殺傷できてしまう、恐ろしい兵器。それを見た受付さんは青ざめてすぐに社長室まで通してくれた。


「効果抜群だろ?」


 その私への笑顔を受付さんに向けてあげれば、すんなりと通してくれただろう。そう思ってしまうほど魅力的だった。


「失礼する。ジェイド・クロードだな」


 線の細い男性。写真で見るよりもずっと顔色が悪い。黒と金色のまだらになった髪を綺麗に分けていて、耳にはピアスが光っている。知り合ったことのないタイプの人だけど、言葉は柔らかで、知性を感じさせた。


「おや、誰でしょう。一度顔を見たら簡単には忘れないはずなんですが」

「戦技局のものだ。あなたに嫌疑がかかっている。故意に魔導書を暴走させた容疑だ、ご同行願いたい」


 窓の外、どのビルの屋上にも狙撃班が彼を狙っている。背後を取り、イリスさんが許可すれば、私たちの出番はこれで終わりだ。


「暴走? どういうことでしょう」

「我々も証拠があってここにきている。あなたの社員に余計なことを悟られぬよう配慮したつもりだ。どうか一緒に来てくれないか」


 証拠って、捜査戦場に浮上したってだけなのに、いつの間に揃えたのだろうか。それとも、嘘なのかな。


「戦技局、ですか。あの、あなた方から狙われるようなことなど何もした覚えはないのですが」

「一切は局できく」


 問答無用。イリスさんはこちらにと促した。


「困りましたねえ。


 クロードの手に現れた魔導書が、閃光を放ち爆裂した。


「伏せ——!」


 何もわからないまま、イリスさんの声だけが耳に届いた。熱波が肌に、光は目に、そして衝撃と爆煙が部屋を粉砕する。




『至急ミドルレインに来てくれ』


 支部長からの呼び出しはよくあることだが、用件も伝えずに何の用だ。

 しかし至急なんてのは滅多にない。飲み会かな、でもまだ陽が出ているし。

 ミドルレインの協会本部は、そんな暢気に浸っていた俺をぶちのめすかのような慌ただしさで、姫昏が来た、と職員が右往左往してやがる。なんだよ、俺が来ちゃいけねえのかよ。


「姫昏、こっちだ!」


 玄関の方から支部長がやってきた。俺の姿を見つけた瞬間に背を向け、また戻っていく。

 ついていくにもなんとなく駆け足になるくらい、彼女は切迫していた。

 愛車である四駆のスポーツカーは目の覚めるライトグリーンのオープンカーで、彼女はドアも開けずに運転席へ滑り込んだ。

 エンジン音はうるせえなと声を上げてもかき消される。発進すると猛烈な加速でシートにもたれてしまう。


「何があったんだよ。誰かの送別会か」

「これを読め」


 それは戦技局で行われる作戦計画書だった。無論、局外秘である。


「いいのか? てかあんた、やばいことしてるぜ、これ」

「今からその現場に行く。一時間前にそれは実行され、失敗した」


 目を細めてパラパラ眺めるだけで、嫌な感じがする。


「ジェイド・クロード。なんだったかな、結構有名な傭兵じゃなかったか? 魔導書の扱いに長けた実力派。蔵書は『招かれざる水』ってレベル4だっけ」


 所有する魔導書のことを蔵書といって、俺の蔵書ならばウィンディになる。

 支部長は凄まじい速度で車をぶっ飛ばしている。バタバタとはためく資料を読み進めるうちに、知らず知らず端が破けるほどに握りしめていた。


「最近の魔導書の発生源はこいつだってか」

「それだけならお前を呼んだりしない。イリスから連絡があってな、桜がそこにいる」

「……ああ、そういうことか」


 怒鳴り散らしてしまうと、自分でもそう信じていたが、どうやら一定の領域を超えると、人は冷静になるらしい。

 カーブをほとんど減速せずに曲がり、ギアチェンジの手捌きはスリのようだ。そういう体感できる恐怖や視覚の外的要因が、俺の暴走を防いだのかもしれない。


「俺はこのクロードを殺せばいいのか」

「私ならそう命じる。だがイリスは後でいいと言った」

「なんで」

「それを聞きに行くんだ。お前が目をかけている子なら私の部下も同然だ。失敗した任務に桜がいて、対象は取り逃し、責任者はヘラヘラ我々を呼びつけた。誰をぶん殴ればいい、戦技局と一戦交えることも想定しているぞ」


 協会と戦技局の仲が良くないと掛羽さんに誤解させているのはこの人のせいかな。

 到着までは、本来の半分ほどの時間しか必要としなかった。現場の手前の区画からでも野次馬の波が揺れている。


「どけ! 轢くぞ!」


 車を進行方向から横に回転させ、タイヤと地面の摩擦による速度低下だけで野次馬に突っ込んだ。波は悲鳴と共に割れ、立ち入りを禁ずるために警護をしていた局員の目の前でピタリと停止する。


(内面は簡単には見せないんじゃなかったのかよ)


 局員の女性は泣きべそである。彼女のこの場所に立ち続けなければならないという責任感に拍手を送るとともに、同情する。


「イリス! どこだ、ああ? 寄るな下っ端、アーデン大尉を出せつってんだ!」


 やってることがまるっきりチンピラじゃねえか。こういう暴力を厭わない奴に権力を与えちゃいけないね。


「てめえらで協会呼びつけておいてまともな応対もできねえのか! 市街に被害は出せても上司は出せねえのか!? ふざけんじゃねえ、イリス! どこにいやがる!」

「あの、それくらいで勘弁してください」


 あ、イリスだ。どうやら隣の喫茶店を借りて諸々の処理をしていたらしい。

 あ、殴られた。顔じゃなくて腹なのか、しかも木陰でやるなんて、だいぶ優しいな支部長。


「姫昏、こい。そこの茶店だ」

「はい。すぐに参ります」


 やばいなあ、歯向かったら魔導書まで出しそうだ。


「あ、支部長!」

「桜か。怪我はないか。すまん、これはあの時、イリスにお前を任せた私の責任だ」


 ベタ甘だな。この人、掛羽さんとか村雨とか、活躍が見込める若者に甘いよな。


「怪我はありません。この子が守ってくれたので」

「この子って」

「司書さん? 司書さんまで来てくれたんだ」

「や、どうも。無事で何よりです」


 彼女は戦技局の制服で、その上にガジェットによる武装をしている。しかし右手に溢れる光には、紛れもない魔導書の息吹がある。


「それは」


 イリスが腹をおさえながら、呻く。


「ゆ、行方不明中だった例の魔導書だ。灯台下暗しという奴だな」

「余裕あるじゃねえか。イリス、お前な」


 と支部長につかまって説教に入った。俺と掛羽さんは互いに苦笑するしかなかった。


「で、これが」

「うん。勇気の蝶番」


 縦三十センチ、横二十センチ、幅十センチ。表紙は白く、そしてどこか神々しい。彼女の小さな手には大きすぎるくらいの魔導書が、どうやらビルを破壊するほどの衝撃からイリスたちを守ったようだ。


「選ばれたのですね」

「え?」

「魔導書には、こういうことがあるんです。私のウィンディもそうでした。本の意思が人を選ぶ。あなたはこの魔導書の持ち主になってしまった」


 こうなると、彼女はもう進むしかない。穏やかな暮らしは、このレベル5を求める協会や戦技局によって奪われてしまう。そうならないためには、彼女が自らを戦いの場に置き続けなくてはならない。強制的に戦わせられる道具か、魔導書とガジェットを駆使して戦う戦士になるしか道はないのだから。


「どうしたの、司書さん。顔色が」

「私も、気持ちを新たにしなければならないみたいですね」


 これが発現しなければ、彼女はまだイリスの庇護下に置かれ続けたはずだ。勤勉な彼女だから出世もするだろうが、戦場に出続けなければならないということはなかったはずだ。

 誰が、このきっかけを。もとを辿れば俺たちの管理不行届だが、さらなる原因を求めるのならば、暴走させたジェイド・クロードだろう。


(これじゃ逆恨みだ。まったく馬鹿げている)


 しかし、恨むには十分すぎる。この魔導書を無力化させるより先に、野郎を殺す。これは間違っているやり方だろうけど、知らねえよ、決めたんだ。

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