第8話 司書さん、知られたことを知る
私が
司書さんは久しぶりの本格的な読み伏せで過労のため入院していたのだとイリスさんが教えてくれた。
心配だったしお見舞いに行きたかったけど、まだ私は
「桜」
「あ! イリスさん!」
図書館へ向かう途中、私の新しいお友達、いや先輩? 上司? になった人が手を振っていた。
「こんばんは。イリスさんも図書館に?」
「ああ。退院したらしいから、顔を見に行こうかと思ってね」
イリス・アーデンさんとの関係性は、ちょっと候補が多くて絞れない。先生でもあるし、歳の離れたお姉さんでもあるし、でも今は司書さんという共通のお友達を持つお見舞い客だ。
「あれから異常はないかい」
「はい。私は元気だし、変わったことも起きていません」
「ならいいんだが、まだあの魔導書、
「かしこまりました、大尉」
私は彼女を階級で呼ぶような関係性を築いた。これは私の意思で、決してあの日にモンブランと抹茶パフェで懐柔されたわけじゃない。
「ふふっ、
しばらくはイリスさんの元で経験を積むらしいけど、今のところ彼女とはお茶をして、毎晩魔導書を知覚したかどうかの連絡をするだけ。
毎晩の報告はおしゃべりがほとんどだけど、学校でのこととか彼女の仕事とか様々だけど、やっぱり司書さんのことが多かった。
「彼はきみの前では司書さんでありたいはずだ」
彼女は何度もそう言った。魔法で連絡を取り合えるインカムで、イリスさんは熱心に繰り返した。私がどういう態度をとるのかについては言及しなかったのは、選択を委ねてくれたのだろう、司書さんが、姫昏二等栞尉と同一で、それを知ってから顔を合わせていない私のために。
(司書さんが何者でも、やっぱり司書さんだと思うなあ)
図書館が見えてくる。古ぼけていて、それでいて憩えるあの場所だ。
「緊張するかい?」
「いいえ。だっていつもの図書館ですから」
玄関を開ける権利を彼女は譲ってくれた。なんだかくすぐったくなるくらい、イリスさんは優しい人だ。
カウンターで本を読んでいる彼がいる。傍にはメモ用紙とボールペン。あれで感想や気に入った文章を書き残すのだ。
「あ、掛羽さん。ようこそ。しばらく休んでいましたが、今日からはいつも通りいらっしゃってくださいね」
「司書さん! 久しぶり、元気だった?」
「ええ。ご心配をおかけしました」
本から顔を上げ、その微笑みにつられてこっちまで嬉しくなった。
だけど、彼のその顔は、遅れて入ってきたイリスさんに焦点が当てられると少し曇ってしまった。
「あー、えーと、そうですよね。ここは図書館ですから、お客さんが同時に来てもおかしくありませんよね」
「何だその顔は。この子を頼むといってのはお前じゃないか」
仰る通りです、と司書さんなら言うはず。でも、苦笑したままだった。
「こちらへ。閉館には早いのですが」
玄関の外に閉館の札をかけた。鍵はかけていなかったけど、読みかけの本を閉じ、私たちを机に案内してくれた。
「掛羽さん、こちらはイリスさんといいまして、古い友人です。イリスさん、彼女は掛羽さん。何年も図書館に通っていただいているお客様です」
「桜、これで情報の重要さがわかるだろう。知らないということは、時として笑えるくらいに滑稽だ」
うわあ、すごいやイリスさん。司書さんがニコニコしたまま固まっちゃってるよ。
「あのな姫昏。お前が入院している間に」
「入院ですか? ちょっとした用事があって、それで図書館を休んでいただけですよ」
もっとすごいのは司書さんだ。あのことを全部なかったことにしようとしている。
「……姫昏。まだあの魔導書、
「や、やだなあ。何をおっしゃっているのかわかりませんね。誰かの新刊ですか? 海外の新人作家かな」
このままじゃ埒が明かない。司書さんは私を気遣うように伺ってくるし、イリスさんもその態度にうまく切り出せないみたい。
「あのね司書さん」
あ、唾を飲み込んだ。司書さんは私をあの世界から遠ざけようとしてくれていて、だけどもう想像がついているんだろうなあ。私の言葉が彼の想像に確証をもたらしてしまうんだ。
でも、言わなくちゃいけない。これは私の意思で決めたことだから。
「私ね、魔導戦技官になったんだ」
過度な装飾品は校則で禁止になっているけど、銀色のネックレスくらいならと認められていた。摘んだ細い鎖、これが今の私の身分を示してくれる。
「ミドルレイン魔導対策局所属の魔導戦技官掛羽桜訓練兵。です」
この自己紹介も練習した。司書さんの、驚く顔が見たかったから。
成果はあったみたいで、目を見開いて、私と鎖を視線が行き来し、最後はイリスさんに向けられた。
「情報、ですか。確かに先ほどの私は滑稽でしたね」
「落ち込むなよ。その喋り方の方が私的には変だし」
「頼むというのは、彼女を守ってくれという意味です。それに変じゃありません」
「守ったよ。守っているとも。まだ魔導書がどこにあるのかわからない中で、最大限に身辺警護をするにはこれが一番だ」
彼女は戦技局が預かる。イリスさんはそう言って私の肩に手を置いた。
「掛羽さんはそれでいいのですか」
これは一方的な取り決めじゃない。魔導書を、戦技官を知った上で、あなたを知った上で選んだこと。
これが最善かどうかはまだわからないけど、イリスさんは毎晩一度は言ってくれた。
姫昏を助けてやってくれ。
司書さんにはたくさんお世話になった。それに蝶番からも守ってくれた。助けたい、けどそれは少し傲慢だから、これは恩返し。私が勝手にそうするんだ。
「司書さん。私は本が好き」
「存じています」
「でも本が魔導書なっちゃったら、みんなが困る。本が嫌いになる人が出てきたら、それが誤解だって伝えたいの。だから」
これも本心だけど、でもまさか司書さんを前にして「あなたを守りたい、助けたい」なんて言えないよ。
「そもそもお前がごちゃごちゃ言っても仕方がないよ。彼女の決めたことだもの」
司書さんはため息をついた。そして真心のあるお辞儀をした。
「私はあなたに本当のことを語っていませんでした。危険から遠ざけようとしたというのも言い訳にしかなりませんね」
「司書さん」
彼がしたことは、誰かのためをおもってのこと。多分、タイミングの問題だったんだ。司書さんが魔導書を持っている限り、私はきっとどこかでそれを知っただろう。だから、そんな顔をしないでよ。
「あのね、これからはもっと本を読んで、たくさん勉強するよ。それで、今度は私が司書さんの前に出るんだ。どうかな、これならヒーローになれるかもしれないよ?」
悲しそうな微笑は、想像とは違う反応だった。てっきり、ヒロインでなくていいのですか、なんてけらけら笑ってくれるかと思ったのに。
「ヒーローはいない世界です。でも、そうなれるよう努力することは大切です」
そして眉根を揉んで、真剣な顔つきになった。初めまして、と他人行儀になったのは、司書さんではなく姫昏さんとしては初対面であるという彼なりのけじめなのかな。
「私はエリーデルス魔導書管理協会所属の姫昏天兵と申します。階級は二等栞尉、大橋町の支部長をしています。アーデン大尉、掛羽訓練兵、調査すべきことがあればなんなりとお申し付けください」
「真面目だなあ。当たり前だよ、一日中ここで本を読んでいるんだから、調査くらいには参加してもらわないと」
「あ、あはは。司書さん、じゃなくて姫昏二等栞尉殿、よろしくお願いします」
イリスさんは結構ずけずけものを言う人だから、こういう時は困っちゃう。本当はとってもいい人なんだけど、この口の悪さは司書さんへの親しみの表れなんだろうなあ。
「そうだ。定期的に桜を通して情報のやりとりをするから、図書館は開けておけよ。桜は日報を、まあ口頭でいいや、いつもの時間に頼む。それじゃまた」
「あなたもおいでになればいいじゃないですか」
「暇じゃないんだ。どうしてもというなら兵法書とか、そういうのを用意しろ」
気を遣われちゃったかな。夕暮れの近づく五時、その十分前だった。
「あ、えーと、掛羽、さん? あの」
何かいいたそうだけど、珍しく言い切れない司書さん。そっか、司書さんたちのいる協会と私たちの戦技局って、あんまり仲が良くないんだっけ。
「いいよ、司書さん。私は入ったばかりだし、全然気にしてないもん」
「え? どういうことですか」
「だって、戦技局と協会って仲が悪いんでしょ?」
「そんなことは、ないとは言い切れませんが、そうではありません。掛羽さんが局員になっても私は私、あなたはあなた。そうでしょう」
「司書さんの仰る通りです」
ものまねは全然似ていなかったけど彼はようやく笑ってくれた。いつものように静かで、だけど心の底からの笑顔だ。
「で、なにを言おうとしてたの?」
「正直になりますから、笑わないで欲しい。実は姫昏天兵は、あなたが見た通りの男なのです」
それは魔導書と対峙した時のことを指しているのだろう。
ボロボロになって、気絶しちゃうくらいに頑張っていたあの姿だ。
「そんな男があの司書だったのか、と思われているとしたら、それは正しい感覚です。勝手ながらそれが怖かった。メンツというかなんというか、そんなことを考えていたら、あなたにどう声をかけていいのかわからなくなったのです」
ほえー、やっぱり不思議な人。司書さんは図書館でも掃除をしたりコーナーを作ったり、それに街の掲示板に読み聞かせ体験のお知らせだって貼ってる。誰も参加はしてないけど。
そうやって頑張ってる人が、私の知らないところでも頑張っていた。そういうことなのに、なんで怖がるんだろう。
「声なんていつでもかけていいよ? 私だってそうするし」
わお、すごい安心した顔だ。司書さんも私も言いたかったことを全部伝えたし、なんだか秘密の共有って感じでわくわくする。
「ねえ司書さん。また新しい本を借りてもいいかな」
「もちろんです。ですが、書評会のための準備はいいのですか?」
「あー、先輩が別なのをやるってさ。お前たちには難しすぎるって。だからSFものになったんだ」
あ、また安心した顔。すぐ顔に出ちゃうからわかりやすい。
「ではジョン・ロイターの『アルゴンの開拓』はいかがでしょう。遠い未来、主人公は惑星アルゴンへ旅行に行くのですが、帰りのシャトルが何者かに破壊され、そこでの生活を余儀なくされてしまう、という話です」
その小説を探しに席を離れている間、私はこの久しぶりの図書館の雰囲気に浸った。机にはボールペンでの書き損じの跡があって、本棚はちょっとささくれが目立って、カーテンは年季が入っている。その中で司書さんがきびきび歩くこの図書館が、私は大好きなんだ。
「ありましたよ。これです、いやあ懐かしい。かなり大袈裟な宇宙科学が登場しますので、そんな馬鹿なと笑える部分もあります。お話自体はよくあるタイプですが、みんなと読むのでしたらお勧めできます」
手渡されたのは三センチくらいの厚みのハードカバーだった。
「ありがとう司書さん。じゃあ、早速」
表紙を開く。目次も冒頭も訳し方は不自然じゃないし、かなり読みやすい。
「今日は帰れなんていいませんからね」
顔を上げると、司書さんはもうカウンターの中にいた。返事はしない。彼もそれを望んでいない。静かで暖かな夕暮れだけが私たちを包んでいる。
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