第7話 司書さん、これって夢?

 それは眩いながらも、彼にとっては仄暗く、しかし彼女にとってはほとんど

光の中にいるというような、空白ブラインドのなかのホワイトアウトだった。


「掛羽さん!」


 姫昏天兵はとっさに腕を伸ばした。指先には、目を閉じることもできない少女がいる。

 庇うように魔導書ウィンディの持つ魔術、『風が吹くときブリッグズ』により風のシールドを展開させるも、彼自身は光の衝撃をもろに受け、大地を二、三度転がった。


「イリスさん! 支部長!」


 叫びは彼の耳にすら届かず、自分の姿だけが視認できるような真っ白な世界で、天兵は少女がいたはずの空間を握りしめた。


「ウィンディ、この光をその身にかけてかき消せ! 八雲斬りエイト・ブラスト!」


 逆巻く突風が天兵の周囲を正しく存在させた。イリスや支部長も身を低くさせて現状把握に努めていた。ただ、少女の姿が元の位置と違っている。


(魔導書——いや、あの子が! すぐ助けに行かないと)


 蔵書鉄鎖を破った魔導書が、少女の前に浮いている。背表紙を向け、そこに触れろといわんばかりである。

 いち早く駆け出したのはイリスだった。


「一般人も守れないようでは、バトル・ライブラになった意味がない!」


 背部に現れたブースターが彼女の速度を瞬間的に引き上げた。加速には一秒もかからずにトップスピードを迎え、猛然と魔導書に突き進む。

 しかし、発光するもやがその推進器を包み込むと、彼女は緩やかに減速し、ついには、桜まで数メートルのところで立ち止まった。いつもは鉄鎖を施す側の彼女だが、もやの鎖が彼女を縛っている。


「なっ! まだこれほどの力が残っていたのか」


 先ほどの衝撃で輸送を指示されていたイリスの部下たちはみな昏倒し、少女を守れるものは誰もいない。

 姫昏と支部長も遅れて駆け出したが、どういうことか桜に近づこうとしてもある一定の距離から先に進めなくなっている。


「ウィンディ!」

「無駄だ、原因がわからんのだから、どれだけ吹いても変わらない」


 その原因を、すでに姫昏は探している。しかしすでに魔導書は読み伏せてある。それを突き止める手がかりもなかった。


「あんた、いやに冷静じゃねえか」

「そう見えるなら、精神修行の賜物だ。内面を簡単に見せるようでは支部長は務まらんぞ」


 見えない壁に阻まれ、傍目からは腰に手を当てて威張るような姿勢の支部長だが、桜から視線をそらさず、もしかするとその最後までを見届けるつもりでいるようだった。


「——エイト・ブラスト!」


 光と風が交錯し、その中心点からアスファルトが砕け、そして暴風が光を飲み込んでいく。唸りを上げる無形同士の衝突は慟哭のようでもあり、天兵はそこに一歩ずつ分け入って行く。


「支部長、あの子は一般人だ。こんな世界に居させちゃ駄目だよ」

「お前が決めるな。彼女の人生だ」


 二人の吐き捨てるような言葉はそのまま風に吹かれ、天兵は体にまとわりつく光線の鎖に縛られながらも、着々と歩みを進める。

 イリスを追い越す時、彼女は絶句した。優しい司書さんであろうとし続けた男はその皮を脱ぎ捨て、彼の持つ、というよりも人間の内面が剥き出しになったような悲痛さと怒りを隠そうともしていなかった。

 天兵の横顔は見るに耐えない形相で、


「あの子に嫌われるぞ」


 と、そういうおどけた言葉しか出てこなかった。


「それで助かるのなら、かまうもんか」


 滴る血液は天兵の握りしめられた拳から、発散される濃い魔力はウィンディから、そして呟かれる詠唱はこの空白ブラインド内の全てを破壊しうるであろう前兆だった。




「本……だよね?」


 桜は目の前の分厚い魔導書にかつてないほどの興味を示していた。


「すごい、なんだか光ってるし、これなら夜に読んでも平気だ」


 倒れたバトル・ライブラや天兵たちは彼女には見えていない。勇気の蝶番がそうさせていた。外界の大人たちがどれほどの苦労と覚悟で彼女を救おうとしているか、そんなことは当然わかっていない。

 好奇心が恐怖を忘れさせ、鐘の音だとか衝撃だとか、凄まじい光を浴びたことなども意識の外にあった。

 桜は魔導書に手を伸ばした。向けられた背表紙にある文字は、本来彼女にはわかるはずもない超古代のもので、フルダイブをして感覚的に理解しなくては解読できないものだが、この本好きな少女は無意識のうちにそれをした。


「『扉を破壊できる強者にではなく、押し開くことしかできない勇者のために私は在る。寄り添い給え、然らば蝶番ヒンジは錆びず、砕けない』」


 それは魔導書の最後の一説だった。背表紙に殴り書きされたそれを読み切った瞬間、光の鎖は細かい粒子となって消えた。


「掛羽さん!」


 天兵の絶叫と同時に魔導書は霧散した。空に溶けて消えるようにして、桜はそれがどこに行くのか目で追ったが、見上げてもアーケードの屋根があるだけだった。


「だ、大丈夫ですか!? 体調はどうですか、怪我は、どこか苦しいとか……」


 天兵は這うようにして近寄った。突然に体が軽くなったため、それまで踏ん張っていたものだからバランスを崩し、一度転んでいる。その勢いのまま這うようにしてやって来たから、後ろでそれを見ていたイリスたちは笑いを堪えていた。


「司書さん」

「やはりどこか痛みますか? すぐに医者を」


 慌てる天兵に、桜は微笑みで安否を伝えた。「平気だよ。あの本もどこかにいっちゃったし」


「そんなことは問題ではありません!」


 その顔はイリスが見たものよりもいくらか柔らかいが、桜にとっては初めてみる表情だった。涙を浮かべながらやり場のない怒りを胸に秘め、そして全霊を込めた労りがある。


「あなたがご無事かどうか、それだけが重要なんです」


 あまりにも真に迫っているから、桜は頷くことしかできなかった。こくんと首が動くと、天兵は深く息を吐き、よかった、と項垂れた。


「お疲れさん。うん、元気そうじゃないか」


 支部長がイリスと共に桜を囲んだ。「怪我はないみたいだな」


「は、はい」

「よし! じゃあ、イリス」


 あとは頼んだ。と支部長は空間にドアを創り、さっさとその向こうへと消えた。


「ふぇ? な、なに、消えちゃった……?」

ブックマークだよ。そういう魔法があるんだ」


 魔法、と小首を傾げる桜に、イリスは心底から和んだようで、


「気に入った。おい姫昏」


 と項垂れっ放しのその顔を覗き込むと、どうやら失神しているらしい。


「なんだ、寝ているのか。仕方ないな」


 イリスはくっくと喉を鳴らして笑った。部下に一切の事後処理を任せ、桜の手を優しく握った。


「ねえ桜。明日にでももう一度お話しできないかな」


 ナンパのような文句だったが、しかし天兵の知り合いでもあるし、自分に対して敵意がないことも分かっている。今回の件についての重要参考人なのかもという桜の読書知識が妙に後押しして、つい頷いてしまった。


「学校が終わってからなら」

「ありがとう。それじゃあ、図書館で待ち合わせしようか。今日は大変だったね、お疲れ様」


 と、いうが早いか桜の体は光に包まれ、次の瞬間には家の近所の歩道に立っていた。

 カラスが鳴いて、買い物袋をさげた顔見知りのおばさんにお辞儀をし、夢遊病者のような足取りで帰った。


(もしかして夢だったのかな)


 夕飯も風呂も宿題をしている時でも、あの不思議な体験はなんだったのかと頭には常にそればかりあった。


(イリスさんとの約束も夢? 支部長も、司書さんも……?)


 夢だとすればこの異常な疲れはなんなのか。夢でないのなら、しかし現実感がなさすぎる事ばかりであり、


(ファンタジー小説は控えようかな)


 とすぐに眠った。これからどんな夢を見ようとも、今日の体験に勝るものはないだろうと、彼女は枕の上で微笑した。

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