第5話 司書さんのお友達
一体どれほどの時間が経ったのか、私にはわからなくなっている。
司書さんの言いつけ通りに百を数えても、この不思議な空間はそのままあり続けている。
アーケードは騒然としているし、ここからでも見たことのない制服の女の人が、どこか一方向を凝視している。
(何が起きているの?)
足音の出ないよう表に出る寸前、
「きみが姫昏のツレか」
と、背の高い女の人が私に目を向けた。私の目線に合わせて膝をたたみ、ほとんど体育座りのような格好になっている。固そうなジャケットをシワだらけにして、彼女は微笑んでくれた。
「私はイリス・アーデン。生まれも育ちもミドルレイン。歳は二十四。一時期は日本にも住んでいたことがあるんだ」
イリスさんは私と目を合わせたまま自己紹介をしてくれた。口を挟むなといわんばかりに趣味や好きな食べ物、映画なんかを雑多に語り、
「休日には読書もするよ」
と、ランニングとロードバイク、それに水泳を嗜みとして持っていることを明かしてからのそれは、少し不自然な趣味にも思えた。偏見はいけないこと、だけどもしかすると、私の琴線に触れる何かを探っていたのかもしれない。
「一人で喋り過ぎたね。きみの名前を教えてもらってもいいかな。『きみ』とか『あの子』だと、少し寂しい気もするから」
嫌なら断ってくれ。そう言われると、なんだか言わなければならない気もしてくる。だからつい口が開いた。
「
彼女は柔らかく口角をあげた。見てごらん、と初めて視線を外し、促されるままにそっちを向くと、どうして今まで気がつかなかったのか不思議なくらいの光量が、とある一つの塊から発せられている。
「司書さん……?」
「そう。
イリスさんはこの現実味の薄い光景をどう捉えているのだろう。光にかき消されるように佇むその背中は、私の知っている司書さんじゃなくて、住む世界の違う異次元の存在におもえた。
「あ、イリスさん! 最後まで何があるかわかりませんから、よろしく頼みますよ」
しかしその声はいつもの司書さんだ。だからこそ、彼がいつも通りなことが、私の不安を駆り立てる。
「いつでも撃てるぞ」
イリスさんはテキパキと指示を出し、あの人たちが持っているものが何かはわからないけど、きっと、人に向けちゃいけないものだ。
「待って! それって銃ですよね、司書さんを撃つつもりですか!」
「念のためね」
口調こそ優しいものだが、強い意志がある。ブレザーに染み入るくらいの脂汗が額やうなじを濡らした。
「だめ! だめだよ、司書さんをうたないで!」
「んー、桜と呼んでもいいかな」
彼女は無関係なことを言って心の焦りを増幅させる。だけど頷かなければ先に進まないような強制力があった。
「桜、きみはあの司書さんのことを知らない」
「……知ってます。司書さんは」
「根本から違うよ。彼は」
突風、とっさに顔を庇ったけど、その風は私のスカートですらも揺らさなかった。イリスさんが何か半透明な膜のようなもので守ってくれた。
「ウィンディか。相手はレベル5だもんな」
応援はまだかと制服の人たちに檄を飛ばした。その声の力強さには物語の中の騎士のような威厳があった。
「えーと、彼の正体についてだったね」
イリスさんは司書さんと、その視線の先にいる誰かとを合致させていく。
「姫昏
イリスさんは説明を続けてくれるけど、言葉はするりと耳から流れ、半分も理解できない。私にとって重要なのはそこじゃない、おそらく彼女は触れないそれが、一番大事なことなんだ。
「ねえイリスさん」
「なんだい?」
「司書さんを助けてよ」
光量が背中以外を隠しているけど、あの人はあんなに猫背じゃない。いつでも姿勢のいいあの人が、肩で激しく呼吸し、心なしか体の軸もぶれている気がする。
「あのままだと」
それ以上は口にすることができなかった。言ってしまえば現実になってしまいそうだった。
この震える足が、臆病な心が、私をイリスさんの隣から動けなくしている。近づくこともできず、かといって座り込むこともできなかった。あの光とちっぽけになってしまった背中から、まばたきも惜しむほどに目が離せないでいる。
「なるほど。助け合いだね」
「え?」
彼女を伺うと、綺麗なウインクを一つされた。
「きみはこれが初めての実戦だろう? 初戦がレベル5だっていうのに随分と落ち着いている。それに直視できているし、正気も失っていない。素質があるよ」
「素質、ですか? それはわかりませんけど、落ち着いてなんていません。それに助け合いってなんのことですか」
突如、耳をつんざく鐘の音が響き渡る。音は衝撃になり、舗装された道路を波紋のように破壊していく。目を閉じ、無意識な悲鳴は喉が枯れそうなくらいにひび割れていた。
「きゃあああ!」
「大丈夫。私のシールドは頑丈だ。それより」
遅いぞ、貴様ら。イリスさんが恐ろしい声で誰かにそう告げた。目を開けると、彼女と同じ制服を着た人たちがたくさん集まっている。
「申し訳ありません、大尉。これでも急いで準備を整えたのですが」
「言い訳はあと。すぐに鉄鎖をかけろ。情報は伝えてあるはずだ」
「ああ、それなら」
人の気配がなかったのにどうしてこんなに大勢の人が? それにイリスさんは何者? 状況がどんどん変わっていって、もう何がなんだかわからない。
「あ! そうだ、司書さんは」
「司書さん? ああ、姫昏のことなら心配いらないよ」
それは心地の良いハスキーボイスだった。
「ようイリス。久しぶりだな」
「エリさん! どうしてあなたが、支部長として現場に出るのは控えると仰っていたのに」
「レベル5だ、それにあいつが現場にいるんだから、私だって出張りたくもなるよ」
誰なんだろう。わからないことだらけなのに、これ以上混乱させないで、なんて願いは通用しない。
「あ、その子」
よろしく、と彼女は言う。「エリザベス・スレイン・クラウベル……ってのが結構続くから支部長って呼んでくれ」
好意的に握手を求められ、手を差し出すと両手で受け取ってくれた。
「いい顔をしてるね。どうだ、うちにこないか?」
「はい?」
「あ、支部長。その件はあとで」
「おっと、狙ってた?」
イリスさんはなんでもないと笑いかけてきた。どうやら心からの安心が、彼女の表情を和ませている。
「エリさん……支部長が来たからにはこの現場はすぐにカタが付くだろうね」
そのエリさんは大股で司書さんの後ろに近づき、その背を叩いた。パシンという音が聞こえてきたくらいだから、相当強く叩いたんだろうなあ。
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